※モブ視点


 どうしたのか、なにかあったのかと尋ねても、鬼柳は不機嫌に、傷ついた顔を歪めるだけだった。
 鬼柳がここを訪れたのは、23時を少しまわったところだった。塒(ねぐら)にしている廃墟のひと部屋で、外と中を仕切る麻布が風に揺れたかと思えば、途端、傷だらけの彼が転がり込んできた。驚いて駆け寄ってみれば、彼は安心したように、表情をほころばせた。
 しかし、いったいなにがあったのか、鬼柳はなにも言わないのだ。詰問するのを止め、瞳の奥を覗き込んでやると、彼は根負けしたように口を開いた。

「……あいつらが」

そこでいったん言葉を区切る。あいつら? と聞いてみれば、鬼柳は言いにくそうに続けた。

「ジャック……、と、クロウと、遊星……が」

彼らになにかあったのか、と聞く。しかし鬼柳は首を振る。そして小さな声で、あいつらにやられたのだと告げた。
 信じられなかった。彼らは個性的な面々ながら仲がよく、チームサティスファクションというデュエルチームを立ち上げていた。そしてつい最近、このサテライトを統一したばかりだった。
 先述の通り、チームサティスファクションの4人は、それぞれがひと癖もふた癖もあるような連中だったが、それでも羨むほどに強い絆で結ばれていた。ときには殴り合い、ぶつかり合ったが、またすぐに肩を叩き、支え合っていた。そんな友情に憧れ、彼らがひどく輝いて見えたものだった。
 そんな彼らに限って、仲違いなど。それも、鬼柳ひとりを責め立てるような、そんなことをするだろうか。
 戸惑う様子が伝わったのだろう。落ち込んでいた様子の鬼柳は、は、と嘲るような笑みを浮かべた。

「まさか、って顔してんな。オレだって夢であればと思うさ。でも、本当なんだよ。この痛みもな」

傷ついた頬に、鬼柳自身で手を添える。鬼柳の肌は白いから、こびりついた血や青アザが、尚のこと痛々しく見えた。
 どうして、と問う。鬼柳の言うことが本当だとしても、まさか理由もなしに暴力を奮うことは思えなかった。
 鬼柳は再び首をふり、わからない、と言った。

「なんであいつらが、あんなことをするのか、オレにもわかんねぇんだよ……っ」

思い当たる節はまるでないのだと言う。俯く鬼柳の表情は、理不尽な暴力への怒りと、そして悲しみに縁取られていた。
 しかし、それではさっぱり、何が起こったのかわからない。とりあえず順を追って話してくれないかと頼むと、彼はぽつりぽつりと話し出した。
 いつものように、既に統一したエリアの見回りをおえた鬼柳は、仲間の待つアジトへと向かっていた。早く仲間たちとデュエルがしたくて、その足は浮き足だっていたかもしれない。今日の収穫である、久方ぶりのカップラーメンを片手にアジトの入り口をくぐると、刹那、ジャックに右頬を殴り飛ばされた。
 わけがわからなかった。混乱した頭はぐちゃぐちゃと渦巻いて、痛みすらも遠ざけた。しかし、目をぱちぱちと瞬かせる鬼柳に容赦なく、ジャックは馬乗りになって、もう一発鬼柳を殴った。見損なっただとか、そこまで落ちぶれているなど知らなかっただとか、鬼柳には心当たりのない暴言まで降ってくる始末だった。
 そこからは酷いもので、誰も鬼柳の話を聞こうとはしなかったのだと言う。ジャックには殴られ、クロウにはデッキを奪われた。叫びながら抵抗を示せば、その身体は遊星が押さえつける。まさか、遊星にまでこのような仕打ちを受けるとは思ってはおらず、絶望したように、ただ唖然とした視線を遊星に送った。遊星は気まずそうに視線を反らし、すまない、と言った。
 時を追うにつれ、3人からの暴力と暴言はまして激しい。このままでは殺される。そんな恐怖を感じた鬼柳は、あらんかぎりの力で遊星の拘束を振り切り、ここへと逃げて来たのだと言った。
 信じがたい話だった。とにもかくにも、双方の話が聞きたい。すると、びくりと鬼柳の肩が跳ねた。

「嫌だ! オレは絶対に、あいつらのとこになんか戻らねぇ!」

ならば、無理に鬼柳を連れていくことはしない。本当は話し合いの場を設けるべきなのだろうが、当人にその意志がないのなら、彼らを会わせたところで無意味だろう。
 ひとりで行くから、と言うと、ことさら鬼柳は安堵したように息を吐いた。
 とりあえず、シャワーで傷を洗ったらどうかとすすめると、鬼柳は今さら、自身の顔の有り様を思い出したようだった。自嘲気味に笑って、しばし沈黙したのち、じゃあシャワー借りるわ、と言う。
 サテライトでは、綺麗な水は貴重だ。他人のそれを使ってしまうことに、鬼柳は躊躇いを覚えたのだろう。だが、そうも言っていられない状態なのも、彼自身がよくわかっている。
 消毒液もあるから、と一応言っておく。鬼柳は顔をしかめた。

「えー、しみるのは嫌だぜ、オレ」

この期に及んで、何を言うのだろうか、この男は。






 しかし、と改めて考えてみる。ジャックは確かに気難しい。けれども、彼は理由もなく暴力を奮う馬鹿でも、思考が足りない阿呆でもない。クロウだってそれは同じだし、まして遊星など、加害者になるのが考えられないほどだった。
 わからない。いったい彼らに何があったのか。いったい何が、彼らにそうさせたのか。ざーざーと響く水音が、思考回路に蓋をする。
 そもそも、鬼柳が他人に泣きつくこの状況がおかしくないだろうか。そりゃあ、多勢に無勢もあるだろうが、鬼柳は転んでもただでは起きない男だ。
 そうだ、最初から全てがおかしい。ジャックが鬼柳を殴ったのはなぜだろう。その理不尽な行いを、なぜ遊星は止めないのだろう。デッキを奪うなどと、なぜクロウはそんな卑劣な真似をしたのだろう。なぜ鬼柳は、一度も殴り返さなかったのだろう。
 はた、と気がついたとき、部屋を満たしていた水音は止んでいた。おや、鬼柳が出てくるだろうかと、少し身を反らしたときだった。
 がたん、と大きな音がして、中と外を仕切る麻布の方を見遣った。するとそこには、傷だらけのクロウがいた。慌ててそちらへと駆け寄る。
 鬼柳だけじゃないのか! お前もか! 半ば叫ぶようにしてから、彼の身体を支えた。瞬間、クロウの身体はびくりとはね上がる。

「鬼柳? 鬼柳がここにいんのか!?」

クロウは踵を返そうとして、はたと止まる。いや待て、とその表情に深いシワが刻まれた。

「んなわけねぇよな。オレがアジトから逃げてきた時点で、鬼柳はあそこにいたんだ。オレより先にここに着くなんてありえねぇ」

見え見えの嘘をついて、なんのつもりだ? とクロウは言った。けれど、こちらには嘘をついたつもりなど微塵もないのだ。だって、実際に鬼柳はここに来たわけだし、さっきまで話もしていた。
 しかし、クロウが嘘をついているとも思えないのだった。嘘だと、そう言い切れないほどにクロウの表情は真剣だった。
 入口にクロウを待たせて、シャワーの方を覗き込んだ。そこには鬼柳がいるはずである。だが、そこから水音は聞こえず、人の気配もまるでなかった。不審に思い、鬼柳、と声をかける。しん、としたまま、返事はない。意を決して、シャワールームとその他を区切るカーテンを開けた。
 そこには誰もいなかった。それどころか、まるで使った形跡など無いように、コンクリートの地面はからからに乾いていたのだった。





「アジトへ戻ると、いきなり鬼柳に押し倒された。奴は馬乗りになって、オレの頬を殴ったんだ。あいつは何やらヒステリックに喚いていて、ますますわけがわからなかった。鬼柳に殴られる理由がちっとも浮かばなかったんだ。
 ふざけんな! つって鬼柳の胸ぐらを掴み返してやった。そしたらジャック、遊星までもが加担しやがって……っ、信じられるか? みーんな鬼柳の味方なんだぜ!? あんなわけわかんねぇこと言ってるやつのさ!」

そこまで言い捨てて、急に糸が切れたように脱力した。ちくしょう、と呟いて、彼は額に手を当てた。

「なんなんだよ……。オレが何したってんだ」

同じだ、と思った。先ほど鬼柳が告げたことと、クロウが話した内容は酷似している。ただ、被害者と加害者の立場が違っていて、その違いが致命的だった。
 ふたりの証言は、決して同時間軸には存在し得ないのだ。つまりはどちらかが嘘ということなのだが、そう単純な話ではないことはわかっている。見た限りの範囲では、確かにふたりとも被害者だった。
 これはいったいどういうことなのだろう。ひどく頭が痛かった。
 とにかく集まって話をしよう。残りの皆の話も聞きたい。そう提案すると、クロウはしばし考えたのちに、不承不承と頷いた。

「わかった。……けど、その前にシャワー借りていいか? 血がついて気持ち悪ぃんだ」

頬をかいて、気まずそうに笑う。
 それもそうだと納得して、快くシャワーを貸した。
 流れる水音を聞きながらクロウを待つ。頭の中を整理しようとしても、細い糸が幾重にも絡まっているようで、まったくもってぐちゃぐちゃなままだった。
 外の方で物音がしたのは不意だった。
 嫌な予感がした。二度あることは三度あると、昔の人は言ったのだ。あっては困るが、この状況はまさか三度目ではないかと、恐る恐る腰を上げる。
 麻布を捲り、外を覗く。見ると、壁に凭れるようにしてジャックがその場に座り込んでいた。唇の端には血が滲み、服は汚れ、ところどころが破けていた。
 なにも言わずに室内に戻り、シャワーの方へ駆け込んだ。水が流れる音はない。勢いに任せてカーテンを空ける。
 そこにクロウの姿はなかった。コンクリートの地面は乾いている。
 なんなんだよ、と呟いて、大袈裟なため息がこぼれ落ちた。





 ジャックが言ったことは、大体がこれまでの2人と同じだった。わけもわからず殴られ、軽蔑され、そしてここへ逃げてきたのだと。

「……すまんな。迷惑をかけた」

出してやったお茶を飲み、一通り話し終えるとジャックはだいぶ落ち着いたようだった。彼は他人に頼るのを苦手とする性分であるから、誰かに助けを求めるのではなく、安息の場を得られただけで満足なのだろう。
 大丈夫かと問うと、ジャックは襟を正しながらこちらを見下ろした。

「やられっぱなしは性に合わんのでな」

ジャックらしい返答だった。彼の行動は余計な波乱を生みそうであったが、今さらそれを咎める気力もなかった。
 もう勝手にしてくれと、それが正直な感想だった。
 わけがわからないのだ。鬼柳が倒れ込んできたと思ったら、今度はその立場にクロウがいる。そうすると次はジャックに入れ代わっているのだ。どういうことだろうか。頭が痛い。

「おい、シャワーを借りるぞ」

ああもう好きにしてくれと思った。どうせそうなることはわかっていたのだ。そうして次にお前は消えているのだろう。
 さっきからその繰り返しだ。まるで時が進まない。何度も何度も、同じ時間をやり直すように。
 そこではたと気がつく。部屋に置いた時計を見やる。時刻は23時50分だった。途端、気分が悪くなる。胃酸が逆流するような気持ち悪さがあった。
 だって、おかしいのだ。鬼柳を迎えたのは時刻が23時を少しまわった頃で、彼が話し終えて、シャワーを促した時点で、確か時計の針は頂点を指そうとしていた。もうすぐ日付が変わるなと、ぼんやりとだが確かに思ったのだ。
 その後クロウを迎え、次にジャックが訪れたのだから、時計の針はとっくに頂上を越えていなければおかしい。なのになぜ、針は進まないどころか後退しているのか。ああなぜ。なぜ。自分はいったいどこにいるというのだろう。
 ふと、自分が思ったことを思い出す。まるで時が進まないと。何度も何度もやり直しているようだと。
 やがて針は進み、今日と明日の境目へとたどり着いた。かち、と音が鳴って、短針と長針が重なった。そのとき、ぱたりと、響いていた水の音が止んだ。室内はしん、と静まり返る。
 水場を隠すカーテンを、躊躇いなく開けた。当たり前のようにジャックはいない。シャワーから垂れる水滴などなく、コンクリートは乾いている。
 もう一度部屋に戻り、時計を見た。時刻は、23時を少しまわった頃だった。





 自分を呼ぶ声がしたので、立ち上がって麻布を捲った。誰がそこにいるのかは、なんとなくわかっていた。
 3人と比べると、遊星は綺麗な身なりをしていた。顔に傷はなかったし、衣服の乱れもない。ただ彼の首には、指で強く絞められたかのような痕がついていた。
 おそらく、ひどい顔をしていたと思うのに、遊星は眉ひとつ動かさなかった。

「中に入ってもいいか?」

いつもの感情の薄い表情で言われ、黙って部屋の中へと招き入れた。断る理由はなかったし、何より極度に疲れていたのだ。
 遊星にお茶を出し、彼の前に座る。開口一番、彼は謝罪を口にした。

「もう、気がついているんだろう?」

気がついたけども、わからない。なにが起きているのか。なんのために起きているのか。そう言うと、遊星は凸凹に歪んだカップで指先を暖めながら答えた。

「オレは未来からきたんだ」

今さらなにも驚かないよ、とそれだけ言った。

「鬼柳が死んだんだ。些細な誤解が亀裂を生んで、鬼柳はオレを恨んで死んだ。鬼柳を守ろうとすると、次にクロウと道を違えた。ふたりを必死になって繋ぎ止めれば、ジャックに手酷い裏切りを受けた。3人を守ろうと懸命に手を伸ばして、いつしか今度は、オレが3人から見放されていた」

そして遊星は顔を上げ、両の目を細めて笑った。達観したような、疲れたような笑みだった。ただひとつ確かなことは、それが絵画のように美しかったことだ。

「何度繰り返しても、オレたちはどこかで決別する。けれどオレたちが離れれば、未来は破滅の運命を辿るんだ。そして、あいつらのいない未来など、何よりオレが堪えられない。だから、何度だって繰り返そうと思う。
すまない。君を巻き込むつもりはなかったんだ」

申し訳なさそうに言う遊星を、責めることなど出来なかった。彼はきっと、もう何回も何回もこの時間を繰り返して、ときに大切な友人を殺し、恨まれ、否定されながら、最良の未来を探しているのだろう。
 遊星の選択を覆すことなど出来ないのだ。根拠はないが、そう思った。
 何度繰り返してもいいけども、疲れたらお茶でも飲んでいきなよ。そう言うと遊星は目を見張って、それから柔らかく笑みを浮かべて、ありがとうと言った。
 かちり、と時計の針が音をたてる。

「また君に出会えることを願っている」

時計の針は、午前0時を指していた。


※タイトル:joy様より
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