あれからしばらく、私は店を休んで一人でイタリアの町を観光した。この世界に来た最初の日にあんなことがあったから、なるべく安全だと言われる町に。
孤独から逃げてちゃダメだって、現実から目を背けてはいけないって。少しずつ、頭に刷り込むことが出来たと思う。実際、どこに行っても何を見ても私が知っているものはなかった。近くにあった公園も、学校もスーパーも。親しくしていた友人も、お母さんもお父さんも。
いつ戻れるんだろう。どうしたら私は帰れるんだろう。考えても考えても答えなんか出るはずない。この現象の調べようも今はまだ、ない。
だけど、この事実から目を背けてしまったら二度と元の世界に戻れなくなる、そんな気がしてならなかった。
とはいえ帰れないことを考えていつまでも泣いてしまう自分も嫌だった。ウジウジ悩んで私は一人なんだと悲観することも。ーーだから、決めた。
だったらもう、すっぱり諦めてこの世界で真っ直ぐ生きていけばいい、と。そのうち帰れる、それだけは何があっても揺るがない事だと信じて。今までは信じることさえ難しかったけど、結局これしか私には出来ない。
不安は消えないし、いつまで続くのかわからないこの理不尽な状況にやっぱり泣きたくなることはあるけれど、何故か彼らを思い出せば勇気がわいた。頑張ろうって、思えた。
でも、でも、さ。
――――カランカラン
「あ……………………」
この人は、その。今までのキャラ達とは一筋縄ではいかないっていうか。
彼の纏う空気が私だけじゃなく、食器やタオルたちをも凍らせる。物言わぬ食器にまで殺気を感じさせられるんですか。人間じゃねぇ……。
「あ、あの……まだ開店、前……」
「るせぇ」
「ひぃっ!!」
もし私が全世界の権限を持っている強大な支配者だったとしても、このような状況になったとき助けに来てくれる軍隊など1つもないだろう。
この人の怖さゆえ、歩くことさえままならない気がする。戦車なんて役に立たない。一瞬で灰だ。
「…………えっと、」
ぎゃあああああ!睨まれた!怖い、怖い、怖いよ!どうして私ばっかりこんな思いしなくちゃいけないの!?やっと気持ちが落ち着いて、やっとお店開けようって準備し始めたところなのに!
誰が、誰があのザンザスがこんな定食屋に来ると予想出来ますかあああ!!
ていうかね、お店来てカウンター席座るんだったらメニュー見て注文ぐらいしろぉっ!開店前でもこの愛理様は追い出さずにウェルカムしてやってんだから!無駄に気ぃ使わすなボスザルめ!!
「あ?」
「うぇっ!?私、な、何にも言ってないですよね!!?」
「…………」
「とっとりあえずこれどうぞー!」
ぐっ……睨まれた!!確かに!緑茶なんてあなたは飲まないだろうけど!
建物の外観だって華やかじゃないし、オシャレ感もない。のれんだぞのれん。そんな店にあなたの好むような酒や肉があるとでも?!ハン、お前もまだまだ甘いな小僧め。派手なのは外見だけってか?ん?
なーんて調子にのってては知らぬ間にあの世いきかもしれない。…………りょ、緑茶に!ザンザスが!く、口を!つけたああああ!
1秒後の私生きていますか。
「…………」
ハロー!生きてます!とりあえず生きてる。良かった。その事実に心底ホッとして、肩ががっくりと下がった。思いの外緊張していたらしい。いや、するに決まってるわ。
心の中でツッコミを入れられるくらいには落ち着いたところで、ふと目の前の人をチラ見した。マジのチラ見。
ほんっとに目、赤いんだなあ。ちょっと怖いっていうか神秘的というか。カラコンじゃない、本物の、この人の色。髪の伸ばし方も変わってるっていうか……なんかヴァリアーって髪の毛に特徴ある人多くね?やっぱこういう感じの人って髪いじりたくなんのかな……。
「……おい」
「はあああい!不味かったですか!それとも熱かったですか?!あ、ゴミが入ってたとか?!いいいい淹れ直すんで命はオタスケえええ!!!」
「まだ何も言ってねえ」
「ですよね!!!」
やべえ恐怖で逆に饒舌になるんだけど。新たな自分を発見出来たな今日。
「カスどもが来たらしいな」
「カスども……」
「……ベルとスクアーロだ」
ああ。あいつらか。確かに来たーーって、何?!あのザンザスが部下の行動を気にしている?なんだ!かわいいとこあるんじゃん!
だよね!いくら日頃邪険に扱っているとはいえ、大事な大事な部下だも……
「テメェ何考えてやがる」
「なっ、何も!!私の頭は割と正常な方なので!!ちょっとかわいいなとか微塵もーーーーあっ」
「…………」
とても嫌な沈黙が数秒流れた。冷や汗半端ない。ギロリと紅い瞳が光った気がした。気がしただけだと思いたい。
とりあえずこの空気から、視線から逃れるようにザンザスに出すご飯を光の速さで用意した。
何か食わしときゃ何とかなるはずだ。てかなってもらわなきゃ困るぞ。
「どうぞ、」
緑茶だけじゃ命が危ないと思って準備していたカツ丼をザンザスに出した。朝から重たいかと思ったけどまぁこの人なら食えるだろう。
怪奇な目で私をチラリと見るが、案外素直に食べ始めた。なんていうか、そう。白蘭にも感じた穏やかで柔らかい雰囲気がザンザスからも感じられた。……この人ももしかしたら少しは丸くなったのかもしれない。
ヴァリアー内暴力はまだまだ直ってないみたいだけど。
「仲間は大切にしてくださいね」
「…………あ?」
この人についていくだけの価値はそりゃたくさんあると思う。強くて賢くて威厳があって……闇の世界で生きてる人には完璧な姿で目に映るんだろう。
そんなことが当たり前なこの人だからこそ、大切にするってことが上手に出来ないんだ。無償で側にいてくれることがどんなに幸せか知らないんだ。
私も一人になって初めて知った。みんながいることで安心出来ること、笑えること、ーーーー生きていけること。
人が側にいてくれるだけで、それだけで生きる意味になる。
ザンザスにはそんな生きる意味になってくれる人が近くに、たくさん。あなたを生きる意味として見てくれている人もたくさん、いるんだ。
そんな人達を無くさないためにも。
「……大事にしてください。スクアーロさんに増える生傷が見てて不憫なので……」
「ハッ、何も知らねぇテメーみたいなガキが口を挟むな」
「っ!」
「嫌ならあいつらが出てけばいいだけだ」
「そ、れはそうです、けど……」
今まで閉まってくれていたのであろう大量の殺気が店内にドッと広がる。立っている足が密かに震え出すほどのものが目の前のヒトから。
「俺のことに口出すんじゃねえ」
ザンザスは席を立ち、少しこちらに振り向きながらそう言って店を出て行った。あの人がいなくなったことで部屋に張り詰めていた緊張がプツリと切れ、足の力が抜けて行く。
最後の…………あれ絶対怒ってた。いつも怒ってる顔してるけど、明らかに機嫌が悪かった。
私が助かった理由はたぶん……空になった丼のおかげ、な気がする。
「…………っ!!」
てか無意識とはいえ私ザンザスに何変なこと言ってんの?!?!待って!!!さっきの発言何?!私に何が乗り移った?!おいしっかりしろ!!
今更焦り出して思わず鏡を見れば顔面蒼白のババアがそこに映った。何で?!私まだ16歳なのに!!ほんとは女子高生でウハウハの時期なのに!!
でもまぁ生きてるしいいや。死んでることに気づいてないだけかもしれないけど痛くないからいいや。痛さ基準かよとかツッコミいらないから。
まぁもうあの方は二度と来ないでしょう。それだけで私の死亡率は格段に下がった。うむ、何て素敵マジック。
ほんと、もし次来たって歓迎なんてしてやらないんだから!!
ああ、ていうか
「……また食い逃げだよ……」
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