あの日の事さえ忘れていれば。そうすれば笑っていられた。泣かずにやってこれた。絶望を感じずに、前を向いてこれた。
ロマーリオさんとディーノさんに怪しい人物だと疑われて、それから銃弾が頭のすぐ上をかすめていって。この世界に来て早々に、『死』というものを意識させられた。
銃弾の音がまるで――お前なんかいつでも殺せると、嘲笑っているみたいだった。
「……っ」
小さく震える手を見えないように後ろに隠す。ベルがお米をあおいでいたうちわを置いて、遠慮がちに私の顔を覗き込んでくる。泣いてるか確かめるようなその動作に、私はもっと深く俯いた。
見られるわけにはいかない。彼らは鋭い。
「悪かった……謝って済むことじゃねーってのはわかってんだけど……」
静かになった店内にディーノさんの謝罪の声が響く。ベルもスクアーロも、状況はわかっていなくとも雰囲気を察して静かにしてくれている。ポタッと私の涙が落ちた。視界の隅で、ベルがピクリと動く。
「めんどくせーし出来るだけ個人の揉め事には参加しねー主義だけど……跳ね馬こいつに何した?」
「そ、れは……ってまずはナイフ下ろせって!」
「嫌だ。ムカついたから返答次第じゃお前サボテンの刑な」
「はあっ!?」
「……ベル、さん。大丈夫です。これは……勝手に泣いてるだけですから」
そう、この涙はディーノさんが怖いとか、耳の奥で蘇る銃声が怖いとか、死を意識したあの時の気持ちを思い出したとか、そんなので出たんじゃない。いや多少はそりゃあるけども。
でもほとんどは私の勝手な身の上話が原因なだけ。確かに震えは怖いって気持ちからきてるけどーー少し、どこかで覚悟してたから。違う世界に跳ばされて、何もなく平和に過ごせるなんて。そんな甘い話なんてないって。
私が、泣いてしまったのは。ディーノさんを見ると事実から目を背けられなくなってしまうから。
あの日、あの時。私に向けられた目には殺気がこもっていて、血の気が引いていくような感覚だった。けど、それ以上に。
力強くて暖かい優しさを、見たこともない覚悟を、私は感じた。
その瞬間嫌でも実感したんだ。
――ここは本当に、リボーンの世界なんだ。
――私の
居場所や味方なんてどこにもないんだ。
頼れる両親も、夜遅くまで楽しくメールしていた友達も。――みんないない。
わたしはひとりだ。
「ごめんなさい……今日は、ちょっと……おいしいもの作れないかもしれないから」
「!……チッ」
ベルの舌打ちが聞こえて、それからディーノさんが慌てる声。ベルがディーノさんを連れて外に出てくれたらしい。カランカランと、どこか寂しそうに揺れる鈴の音が店内にこだました。
「ゔお゙ぉい……」
「……何ですか」
中々出ていってくれないスクアーロに、内心デリカシーのない奴だな、モテねーぞと悪態を吐いていれば、スクアーロにしては小さい声で話しかけられた。
今の今まで口を挟むことなく、黙って成り行きを見守っていたスクアーロ。少し、何を言われるのかビビる私に、
「……今度来た時はちゃんと寿司出しやがれぇ」
そう言いながら、グシャ、と私の頭を乱暴に撫でた(叩いた、と言った方が正しいかもしれない)。でも何だかそれが嬉しくて安心してボロボロと涙が溢れてしまった。たぶん、寿司作れるくらい元気になれよみたいな意味なんだと思う。脳内お花畑だから勝手にそう解釈するね、スクアーロ。
声もなくゆっくり私が頷くと、「じゃあなぁ!」と彼らしくドタバタと消えていった。
とりあえず、酢飯にラップをかけて二階へと上がる。自然と涙は引っ込んでいたけど心はどこか遠くにいってしまったみたいに何にも考えられなかった。
窓から夕日が差す。無意識に窓を開けて空を見上げた。この夕日も空も、お母さん達が見てるものとは違うのかな。私が見てきたものと、彼らが見てきたものは全く違うのかな。ここに、同じものを見てきた人は――いないのかな。
「愛理!」
突然下から名前を呼ばれて、ゆっくりと視線を移せば夕日に照らされた金髪が目に入った。
……ディーノ、さん?
「ごめん!ほんっとごめん!俺、すっげぇ酷いことしちまって……許してくれとは言わねぇけど――悪かった」
外なのに。十分過ぎる声で謝って、それから綺麗に頭まで下げるディーノさん。ベルに連れていかれたはずなのに、側にベルの姿はない。状況はよくわからないけど、ディーノさんにここまで謝らせてしまった。きっとあの時のことを私よりも深刻に考えて後悔している。
眉を寄せて唇をキュッと結ぶ様子は申し訳なさでいっぱいだという顔で。止まっていた涙がまたホロリとこぼれだす。
――この世界は甘くないのに。
どうして彼らはこんなにも優しいんだろう。
「それから――ありがとな!俺のこと助けてくれて!情けねーけどお前がいなくちゃ……どうなってたかな」
苦笑しながら視線を少し下に下げる彼は今この瞬間にもやらなきゃいけないことがたくさんあるはずなのに、わざわざ時間を作ってここにいる。ーーそこまでしてもらうほどの価値なんて私にはないのに。
だって私は
「……俺、何度だって謝りに来るから。ウザいかもしんねーけど何でかこのままにはしたくなくてさ」
「――…」
「その、だから……ずっとここにいてくれよ」
「え……」
ぼやけた視界の中で、ディーノさんはぎこちなく笑うと踵を返してだんだんと小さくなっていった。結局、ディーノさんのせいで泣いているわけではないってことを最後まで言いそびれた挙句、気の利く言葉すら口に出来なかった。それでもあの日出来たモヤモヤが少し解消されてその場に座り込む。
『ずっとここにいてくれよ』
耳の奥でディーノさんの優しい言葉が何かを包むように、何度も何度も繰り返された。
――勘違いしてるよ。私はここにいていい存在じゃないし、私にも帰る場所がある。『ずっと』、なんて。
「ダメなのに……」
わかっている。私が別の世界から来たなんて彼らが知るはずも、想像もしないってことぐらいは。だから普通に優しくしてくれるんだって。
でもディーノさんの言葉に心底ホッとしている自分がいた。この世界の住人に『君はここに居ていいんだよ』と、受け入れられた気がして。
ここに自分の存在を刻み込むことがどんなに辛いことかなんて考えもせずに。……ただ、私は嬉しくて泣いた。
お前こんなか弱い乙女だったの?なんてツッコミは今だけなら聞き流してあげますよ。
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