薔薇の花園に君を連れていく | ナノ


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ゲームから生還して一週間が経った今、私は携帯を握って悶々としていた。謎の緊張が私を襲う!そんな小説の煽り文のような文句を叫んでベッドに転がり込んだ。

赤司くんの連絡先を貰ってからもうずっとこの調子だ。散々迷った挙句やはり連絡を取ろうと決め、電話番号と「登録宜しく!」の一文を入力したところまでは順調だった。しかし何故か送信ボタンが押せない。こんな親指の震え、ナイフを握った時と比べれば大した事ないのに、ボタンが押せないのはきっとここが現実世界だからだ。

ゲームの中にいた時、私は一種の義務感のようなもので動いていた。私が赤司くんをどう思うかに関わらず、とにかく外に出たい一心で彼に接して、彼を助ける為に心を探った。けれど今回はどうだ。どういう種類の感情にせよ、メールを送った瞬間彼に対する好意が伝わってしまう。私が彼をただの友人として割り切っていればそれでも問題無いが、私は割り切れずにいた。

(…私ってもしかして赤司くんの事好きなの?)

誰もいない自室でひとり考える。答えてくれる者はいないが、こうやって異性へのメール一つで悩んでいる時点で既に答えは出ているようなものだ。ええい、考えていても仕方がない。女は度胸だ。送信。

「ああ!送信しちゃった!」

自分で押したくせに若干後悔したりして、私って自分の恋愛になるとこんなに面倒くさい女だったんだ、なんて初めて思った。いやいや、これは赤司くんが特別なだけ。返信は来るかな、とか、そっけなくなかったかな、とか色々考えて枕に顔を押し付ける。しかしそんな私の些細な不安も、次の瞬間には杞憂に終わった。

ジリリリリリ!

初期設定のけたたましいコール音に心臓が飛び跳ねる。赤司くんからの着信だ。うそでしょ?まだ送信して1分も立っていないのに、使用人さんから貰ったメモと全く同じ番号が早く出ろと私を急かす。ドキドキと鳴る心臓も着信も全部ちょっと静かにしてくれないかな。私は胸の鼓動を抑え恐る恐る電話に出た。

「…もしもし?」
『はぁ…良かった、ちゃんと出た。赤司征十郎です。こんばんは。』
「こ、こんばんは。」

赤司くんだ。電話から赤司くんの声が聞こえる。それだけで変な感動を覚えた。夢心地だったあの二週間は全部現実で、赤司くんもちゃんと実在する。それを初めて実感出来たから、きっとこんなに胸が高鳴っているんだろう。

『久しぶりだね。ちょうど一週間ぶりくらいか。』
「うん。そうだね。」

赤司くんは『もう連絡してくれないのかと思った』と拗ねるみたいに私を責めた。私がもたもたしていた一週間、赤司くんはずっと連絡を待っていてくれたのだろうか。そうだとしたら嬉しい反面、もっと早く連絡すればよかったと後悔する。

元気にしてた?なんてお決まりのやり取りでひとたび盛り上がれば、先程の緊張は何処へやら、私達は数年振りに再会した友人のように話し込んだ。やっぱり赤司くんと話すのは楽しくて、ついつい話にのめり込んでしまう。また洋館で話した時みたいに、直接会って話したいな、なんて少し感傷に浸ったりして。

『名前、』
「なあに?」
『…会いたい。』

そんな直球な。

心臓が一段と鳴って次の言葉が思いつかなかった。困らせたかな、なんてクスクス笑う声すら私の思考を奪っていることに、電話の主は気付いていないのだろうか。私だって会いたいって思っていたよ、赤司くん。
彼の一言を皮切りに、じゃあいついつにどこどこの駅で、なんてちゃっかり日時を指定して、また少しだけ他愛ない話で盛り上がってから電話を切った。ああ、私ってばこんなに浮かれちゃって。子供みたい。

来週の日曜日は、スイーツバイキングだ。





私の知っている美味しいお店に彼を連れて行く事になった日曜日。お昼の12時に駅前で待ち合わせの為、私は飛び切りお洒落をして、10分前には駅に着いた。彼を待つつもりで早めに出たのに、律儀というか紳士というか、彼はもう既にそこにいて、そして私は何故か物陰に隠れていた。ストーカーか私は!

赤司くんは洋館にいた時と何一つ変わらず、澄ました妖精みたいに改札横に立っていた。携帯を確認しては前を向き、時々電車の時刻表を確認しては周りに目を配らせる。その仕草は全て私の為のものなんだ、そう考えるととても緊張した。そこらのモデルとは引けを取らない格好良さで、少し浮いている彼。一方待ち合わせ相手は、ただの私である。

やばい、急に不安になってきた。私達の仲の良さは、あの空間の特殊な環境がそうさせていただけであって、本来とてもお話出来るような人では無いのではないか。そしてそう考えてしまうのは、私が彼に友達以上を期待しているからだ。ああもう、使用人さんが変な事を言うから!普通に、私達は友達。そう、ただの友達だ。

「赤司くん!」

私が走って近付くと、気付いた彼はこっちだよと嬉しそうに私を呼んだ。

「名前、久しぶり。」
「久しぶり、なのかな…?あ、もしかして初めまして?」
「こちらの世界では初めまして、かな。ふふ、変な感じだ。」

二週間ぶりの再会とも言えるし、これが初対面とも言える。不思議な感覚にお互い戸惑って笑った。

「名前はあっちと全然変わらないね。」
「赤司くんだって。現実世界なのに妖精みたい。」
「そうかな。名前の妖精像がおかしいんだよ。」
「えぇ、そう?」
「そうだよ。」

軽く立ち話をした後、どちらともなく歩き出す。私が隣を歩けば、赤司くんは余裕たっぷりの顔で私の手を掬い上げいきなり私の余裕を奪った。私がどんなに慌てて顔を赤くしても、彼は面白がるだけで手を離してはくれない。あれ、なんだこれは。
おかしい。彼はこんなにいたずらっぽく笑う人だっただろうか。儚げで、繊細な美少年だった頃の彼はもしかして幻?赤司くん変わったね、なんて皮肉っぽく言ったって彼の表情は変えられない。

「俺が変わったというのなら、それはお前がそうさせたんだろう?自己責任だよ。」

彼はさも当たり前のようにそんな屁理屈を言ってのけた。自己責任ってなんだ。よく漫画で女が男に言う「責任取ってよねっ!」ってやつか。なるほどね、私は責任を取ってこうして彼と指を絡ませて歩かなければならない訳だ。恥ずかしくて死にそう。

ああ、これが自分を取り戻した本来の赤司征十郎なのだと、私は彼の揺るぎない瞳を見て思った。私はまだまだ彼を知らない。もっと知りたい。そうしてすべてを知った時、私はこの人を運命の人だと思えるのだろうか。





一緒にご飯を食べて、チョコレートファウンテンに感心する赤司くんにキュンとして、キセキの世代と呼ばれる彼の友達の写真を見せてもらって、ちょっとだけショッピングもして。私達は楽しい時間を共有した。

楽しい時間はあっという間に過ぎていった。そしてその帰り道、思いついたように言った彼の一言。

「情報収集って、言葉じゃなくても良いのかな。」

ネオンがちらほら輝く道端で、彼は私に問いかけた。情報収集というのは以前私が語った『好きかどうか判断するには情報収集が必要』という恋愛観の事だろう。しかし肝心の彼の言いたいことが分からなくて首を傾げる。

「例えば、相手の表情とか、感触とか。」
「…。」

ああ、なんだか赤司くんが言いたい事が分かった気がした。要は『相手の表情や感触を知る事でも好きかどうかの判別はできるか』と聞きたいらしい。これは否定しておかないと大変なことになりそうだと私は直感した。しかし嘘を吐く気にもなれないのでここは無難に返しておく。

「どう、だろうね。私はやったこと無いから分からないや。」
「そうか。」

赤司くんが立ち止まって私の手を引いた。必然的に私も足を止めて彼を見上げる形となり、これから起こる事が何と無く分かって冷や汗が出る。夜のネオンに赤い瞳が混じって、洋館にはない美しさに魅了されそうだった。

「赤司くん、あの、」
「ん?」

赤司くんが優しげに笑ったのが合図だった。赤司くんの繋がれていない方の指がくしゃりと頭を撫で、生温い温度が徐々に頬へ降りてくる。

「あ、あかし…くん、」

心臓が痛い。親指で左目の下をなぞられて、涙を拭われているような仕草に思わず片目を閉じた。別に泣いてなどいないのに、彼は何がしたいんだろう。特に意味は無いのかもしれないけれど、その行動にいちいち動揺してしまう私のような人間もいることを自覚して欲しい。
「名前、」と優しく呼ぶ声が私を揺さぶる。色っぽい赤司くんの溜息が耳に悪い。私は先程から息が出来ていないので、自然と瞳が潤んで赤司くんがぼやけて見え、そんな景色に酔いそうだった。
するりと下唇を一撫でされ、私は耐えられなくて目を閉じた。口の端までなぞって、指の動きが止まる。クスリと笑う赤司くんの声が官能的で体が震える。

「目、閉じるんだ。」

口角に親指を当てがったまま「いいの?」なんて、そんなに楽しそうに質問しないで欲しい。口を開けば指が中に入ってしまいそうで、唇はキツく結んだまま目を開いて視線に言いたいことを乗せた。私の「離して」という思いが届いたのだろうか。赤司くんは何か考えていて、迷っているようにも見えた。

「まだキスは早いかな。」

…そんな事を考えていたのか!
すっごく文句を言いたいのを抑えて早く離してと目で訴え続けて、ようやく諦めたらしい彼は指を口元から退け情報収集を止めた。私はやっと息が出来た。

「はぁっ!…はぁ、はぁ、」
「ふっ、息止めてたんだ。可愛い。」
「可愛くない!それより、今ので何か分かりましたか赤司さん。」
「まぁね。」
「どんなこと?」

彼はその質問には答えず、代わりに握っていた私の手を自分の頬に押し当てた。「名前もやったら?」なんて、挑発もいいところだ。本来の赤司くんはどうやら性格が悪いらしい。あの空間にいた頃と大違いの態度に辟易しつつも、彼の緩められた瞳があの時と同じく穏やかに私を見つめている事に、私はもう気付いていた。

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