薔薇の花園に君を連れていく | ナノ


▼ 2

殺しにきた、って、一体どういうことだろう。


「こんにちは。」
「え?こ、こんにちは。」

男性は人当たりの良い笑顔を向けて私に話しかけてきた。今まで何人かの女性と遭遇したが、向こうから話しかけてきたのはこれが初めてだ。
妖精。それが彼の第一印象だった。普通に見たら妖精とは似ても似つかない普通の男の子なのだが、私は行き場のない現状に疲れていたのかもしれない。綺麗な面持ちの彼にそんな事を思った。

「いきなりこんな所に連れて来られて困惑しているだろう。状況を説明するので、取りあえず俺に着いてきてくれるか。」
「え、あ、はい。」

随分間抜けな返事だこと。自分で自分に呆れてしまう。というか、さっきこの人刺されていなかったか。何故普通に私と会話しているの。それに、先程の女性は一体どこへ。それらの疑問を、これからこの人が説明してくれるという事だろうか。私は先を歩く彼の後を追った。


連れてこられたのは、二階の一室にある応接間。座って、と言われるがまま手前のソファーに腰を下ろし、彼はテーブルを挟んだ奥のソファーに腰掛ける。ベッドと同じで、このワインレッドのソファーもとてもふかふかだった。向かい合う彼は落ち着いた、大人の男性のような雰囲気を醸し出してる。見た目は私と同い年くらいなのに、こうも大人びて見えるのはどこか儚く見える笑顔のせいか。

「じゃあまず、この場所の説明から始めようか。」

目の前の彼は、これから重要な話をすると忠告するかの如く、ゆっくりと、重々しく口を開いた。

「ここは、現実世界ではない。」

…はぁ。

正常な脳ではとても受け入れ難い彼の言葉を聞いて、私から出た言葉はそんな気の抜けた一言だった。ここは現実世界ではない。もう一度言葉を噛み締める。やっぱりよく分からない。目の前の彼は、もしかして私を魔法少女に変身させる妖精なんじゃないかと一瞬本気で思った。ってそんな馬鹿な。確かに絶世の美少年ではあるけれど、どこかの星の王子様ではあっても妖精は無いだろう。彼は呆然とする私に構うことなく話を続けた。

「君はもう見ただろう。門の外の白い世界も、そして俺を殺して消えた女性も。ここは現実世界ではない。そして、現実世界に戻る方法は一つ。

俺を、殺すことだ。」



しばしの静寂が辺りを包む。私は働かない頭で一生懸命次の言葉を考えた。

「あなたは、何者なの?」
「俺はこの空間の創造主だよ。」
「なんでこんな空間を作ったの?」
「それは、わからない。俺も気付いたらここにいたんだ。」
「気付いたら…。どうしてここが貴方の世界だと分かるの?」
「それは、この空間が俺を中心に動いているから。君のようにここに連れて来られる女性達は、俺にナイフを突き立てる事によって現実世界に帰れる。それは紛れも無く俺が作ったルールだ。俺にもよく分からないが、多分、ここは俺の歪みが生み出した世界なんじゃないかと俺は思っている。」

そう説明した後、彼は巻き込んですまない、と小さく頭を下げた。彼が生み出した世界。ここが。何故そこに私が連れて来られたかは分からないが、巻き込まれたという事実だけは取りあえず分かった。

「帰るには貴方を殺さなければならないの?」
「ああ。正確に言えば、ナイフで俺の心臓を刺すんだ。ちょうどさっきの女性がそうしたように。」

彼は、先程自分を刺した、薔薇の装飾がなされたアンティークナイフをテーブルの上に置いた。

「ゲームだと思えばいい。部屋に砂時計があっただろう。あれは二週間ですべての砂が落ちるようになっている。その間に俺を殺せれば君の勝ち、ゲームクリアだ。」
「もし負けたら?」
「負ければ君は帰れない。砂が落ち切ればここに留まることも許されず、何もない異空間に飛ばされる。…そうだな。門の外の白い空間に放り出され、永遠に彷徨い続けるとでも言えば分かりやすいか。」
「な、なんで?意味が分からない。どうしてそんな。」
「俺だって不本意だよ。望んで作り上げた世界でもないし、したくてこんな話をしている訳でもない。けれどこの空間が出来て、それが俺の作った世界である以上、負けたのに何も無いなんて都合の良い話にはならない。」
「そんな…。」

納得できない部分は数多くある。が、ひとまず彼の世界のルールに乗っ取って、制限時間までに彼を殺さなければ私は現実世界に帰れないという説明を反芻し飲み込んだ。ああ、なんか急に不安になってきた。彼を殺さなければ、自分が白い世界を永遠に彷徨う事になるって、怖すぎる。そんな私の心情を読んだ彼は、私を安心させるように優しく微笑んだ。

「大丈夫。ゲームと言っても、俺は別に逃げたりしない。どちらかと言えば俺は巻き込んでしまった側だし、君が無事に帰れるよう取り計らうよ。」

つまり、彼は私に大人しく殺されるという事か。そういえばさっき女性に刺された時も、彼は動じることなく、当たり前みたいに受け入れていた。痛みを感じている様子も無かったし、血も出ていなかった。けれど。

「貴方はもうずっとここにいるの?」
「ここに来てちょうど三か月になる。」
「貴方は、もしかして何かの妖精?」
「ふ、面白い事を言うね。君は俺が妖精に見えるのか。」

笑われた。恥ずかしい。だって空間を作るとか言うから、実は人間じゃないんじゃないかと思っただけだ。

「やっぱり、一応人間なんですよね。」
「人間だよ。君と同じ。」
「…今まで何人に殺されて来たんですか。」
「さっきので13人目。」
「!」

そんなに、沢山。ナイフで心臓を刺され続け、殺される。三か月もの間、ただこの場所に閉じ込められて。私は想像しただけで胸が締め付けられそうになった。そんな私とは裏腹に、彼はなんでも無い事のように笑っている。痛みは、やはり感じないらしい。ただ血の代わりに、いつも刺された部分から赤い薔薇が数枚落ちてゆくのだと、彼は言っていた。

「さあ、お喋りはこのくらいで良いだろう。君も早く現実世界に戻るといい。」

彼はさぁどうぞ、と言わんばかりに右手をナイフの前に差し出して、私にそれを取るよう促した。

「…。」

私は受け取らない。はっきりとした決意を持って、彼の瞳を強く見据える。

「私は貴方を刺せない。だからナイフは受け取れない。」
「…。」

彼は酷く冷たい目で私を見た。先程とのギャップに少しだけ怖気づく。彼はこんな冷めた顔もするんだな、と他人事のように思った。多分、面倒くさい奴だと思われているのだろう。初対面の人間にここまで丁寧に説明して、さっさと現実に帰してくれようとしている彼の好意を、私は踏みにじっている。けれど、そういう問題ではないのだ。私には彼を刺せない理由がある。私は意を決して口を開いた。

「私、あの…。さっきの現場を見たせいで、怖くて手が…。」

ぷるぷると震える情けない手のひらを、私はすっと彼の前に差し出した。

「…。」

唖然とそれを見つめている彼。やがてぷっ、と噴き出した。

「ふふ…っ。」

肩を震わせて、凄い笑われ様である。やだ、なんかとっても恥ずかしい。私は未だ震え続ける手を後ろに隠し、話題を変えるように啖呵を切った。

「わ、私!タイムリミットが来るまでに何とかしてここから抜け出せる方法を探します。消えるのは嫌だから、最終的には貴方を殺すことになるかもしれないけれど。そこは、綺麗事を言うつもりは無いよ。でも、別の方法があるならなるべく貴方を殺したくない。」

恐怖で彼を殺せないのももちろん理由の一つ。けれど、彼を刺せない理由はそれだけでは無かった。

だって、私は見てしまったんだ。
彼が女性に胸を刺されて無表情を貫く中、一瞬とても辛そうな顔をしたのを。

もしこれが今すぐ殺さなければ消えるというのであれば、私は申し訳ないがすぐにでも彼を刺しただろう。私だって自分の命は惜しいし、命を賭してでも救いたいと思うには彼との関係は希薄すぎる。流石の私も仏のような崇高な心を持ち合わせている訳ではない。
けれど、二週間という猶予があるのなら。彼を刺さずに出られる方法があるのなら、それを探すのが一番良い。それに、少々思い当たる節もある。

「あのさ、この洋館の事をもっと詳しく教えて欲しいんだけど、駄目かな。」

私は、彼に一つの提案を持ち掛けた。

[ back ]