薔薇の花園に君を連れていく | ナノ


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薄暗い部屋で、私は静かに目を覚ました。

頭にはヘルメットのような装置を付けられ、椅子に腰かけている。

「お疲れ様です。苗字様。」

開発担当の一人であるスーツの女性が無表情に私を見下ろしていた。そうだ、私はさっきまでこの人に案内されてここに座った。すべてを思い出して、私は飛び起きた。

「…っ!!」

そう、あの日、私は大学の帰り道にここに来た。
新作女性向けゲームβテスト。その甘い誘惑につられて、大手赤司財閥が制作するゲームのテストプレイをしにこの会場に足を運んだのだ。大手財閥が新規に展開するゲーム作品という事と、医療機器の技術を使って作られた新たなハードを開発したという噂を聞いたら、少女漫画や女性向けゲームに目の無い私が参加しないはずもなく。女性限定数十名という募集条件の中、見事にそれに当選して、自分の足でここまで来て、そして自分の意志でここに座った。

BWO(ブレインウェーブオペレーション)と呼ばれるハードは、いわゆる脳波を利用して電脳世界にダイブ出来るシステムだった。そしてまさに今、私はBWO装置を頭に被り、ゲームの世界へダイブしていた。全部思い出した、というよりは、ダイブする際にその記憶を電脳世界に持ち込ませない様に操作がされていたのだろう。今までのは全部、ゲーム…だったのか?

「ご気分は大丈夫ですか?」
「え、ええ。はい…あの、」

あの赤司くんが、作り物の存在。そんなはずは。今も残る刃物を食い込ませるあの感覚は、リアルに掌に残っている。頬を触れば濡れた感触が伝わってきて、これがとても物語だったとは思えない。

「ゲームクリア、おめでとうございます。別室にて詳しい説明をさせていただきます。こちらへどうぞ。」
「は、はい。」

女性に言われるがまま、私は別室の会議室へ移動した。





会議室に到着すると、私はとんでもない事実を告げられる事になった。

「最初に申し上げます。このゲームは発売を目的として作られたのではありません。」
「えっ!?」
「よって、βテストというのも嘘…という事になります。申し訳ありません。」
「え、ちょっと待ってください。おっしゃる意味がよく分かりません。じゃあどうして私はここへ?」
「謝罪は後でいくらでも致します。まずは、私の話を聞いてくださいますか?」
「は、はい。」

彼女の瞳は真剣だった。私としても『嘘でした』で終わらされては困るので、大人しく話を聞く。

「今回プレイヤーとして出てきた女性達は、皆苗字様と同じくテストプレイを希望されたお客様です。私達の目的は、お客様にゲームをして頂く事ではなく、征十郎様に恋をしていただく事にありました。」
「えっ?じゃあ、赤司く…征十郎さんというのは実在しているのですか?」
「はい。赤司征十郎は、このゲームの開発責任者である赤司征臣様の御子息で御座います。」
「そう、なんですか。でも彼はあの世界に閉じ込められて苦しんでいましたよ?どうして自分の息子にそんな事を…。」
「それは、ゲーム内で苗字様が聞いた通りで御座います。征十郎様は大学に入られてから、バスケットボールを離れ拠り所を失っておりました。大学の友人とは折りが合わず、今まで仲良くしていらした御友人とも、御自身の忙しさも相まって疎遠になっていた。そして段々と征十郎様から笑顔が消えていきました。話は少し変わりますが、実は征臣様にも、一時期心を閉ざされた時期がありました。」
「そうなんですか?」
「そう聞いております。そしてその時に知り合ったのが、詩織様…征十郎様の母君に当たる方です。」
「あの赤髪の綺麗な女性ですか?」
「ええ。あの写真もすべて本物です。征臣様は政略結婚をなされませんでした。辛い時に詩織様に支えられた事をきっかけに、自ら選んで詩織様とのご結婚を決断されたのです。そして、征十郎様にも辛い時期に寄り添って支えあえるようなパートナーを作っていただきたいと、このようなゲーム開発に乗り切りました。」
「そ、それだけでこんな機械を!?」
「征臣様は、征十郎様が異性を愛せないのは自身にも責任があるとおっしゃっていました。詩織様が亡くなられて、悲しみ方を知らない征臣様は仕事に打ち込み、そして征十郎様にも勝利を強いました。これは私の出過ぎた憶測ですが、多分征臣様は自分がそう育てられてきたため、それ以外の教育法が分からなかったのだと思います。
一時期、中学3年から高校1年くらいに掛けて征十郎様が不安定になった時期がありましたが、お仲間に恵まれて持ち直すことが出来ておられました。その際、征臣様はご自身の教育法が間違っていることを悟り、勝利を義務付ける事を止めたのです。しかし、それでも征十郎様自身がそれを止める事を許さなかった。幼い頃の教育を今さら覆すというのも、そう簡単にはいかないのだと、征臣様はひどく後悔しておられました。」
「それで、このゲームを作る事で、征十郎さんを助けようとしたってことですか?」
「はい。」
「じゃあなんで彼を殺すなんてルールを作ったんですか!」

私は机を叩いて立ち上がった。ひどく興奮していた。あのルールのせいで彼は今より余計に辛い思いをして、苦しんでいた。あんなゲームに閉じ込めずそのまま放っておいた方が100倍マシだと心の中で毒吐いて目の前の女性を見据えた。

「あれは、征十郎様の作った世界なのです。私達には操作できません。」
「…えっ?」

私は気の抜けた返事をして、力が抜けたように座り込んだ。

「私達が作り上げたプログラムは二つ。一つは征十郎様に恋をしていただくための外側の構築、簡単に言えば洋館の外壁の構築です。そしてもう一つが、女性を送り込んで、二週間の間に征十郎様を攻略できなければゲームオーバー、逆に征十郎様に恋愛感情を芽生えさせることが出来ればゲームクリアというルールです。」
「ちょ、ちょっと待ってください。ゲームの中で私は征十郎さんに『自分を殺せばゲームクリア、出来なければゲームオーバーで白い空間を彷徨う事になる』って言われたんですけど。」
「それは征十郎様の中で決めたルールです。確かに洋館の中のルールは実際に恋をする征十郎様に一任しておりますが、ルールが被った場合は大枠の方が適応されますので、女性達が現実世界に帰れない事はありません。」
「そ…そんな…。」

じゃあ私は、彼を殺さなくても現実世界に帰って来れるのに、意味も無く彼を殺してしまったという事か。そんな…酷過ぎる。
激しい後悔が胸を貫く。やっぱりあの時布団に包まって出ていかなければ良かった。そんなこと、今さら後悔しても遅いのだけれど。

「そんな顔をなさらないで下さい。言ったでしょう。“ゲームクリア”だと。」
「え、あ…ああ!」

言われて気付いた。大枠のルールは確か『二週間の間に征十郎様を攻略できなければゲームオーバー、逆に征十郎様に恋愛感情を芽生えさせることが出来ればゲームクリア』だった。つまり私は赤司征十郎に恋をされたという、こと…?

「征十郎様を救っていただき、ありがとうございます。」
「私が、赤司くんを…」
「はい。ですが正確に言えば、征十郎様が恋をする予感を感じた時点でゲームはクリアとなっております。ですので、お二人の今後をどうするかは、征十郎様と、そして苗字様次第となります。会うも会わないも、お二人次第です。」

今まで無表情だった女性が、眉を下げて懇願するように私を見た。

「私達は貴女を騙し、このような装置に二週間に渡り拘束いたしました。お望みであれば開発責任者自ら謝罪に伺うと申しております。謝礼金も、お望みの額を工面させていただきます。」
「そんな、私は別に、」
「しかし、征十郎様とは、どうかこのままお付き合いを続けていただけないでしょうか。男女の交際とは言いません。友人としてでも、時々会って、お話をしていただくだけでも構いません。」

女性は頭を下げた。この人は、本当に赤司くんの事を思ってこのゲームを企画したのだという事がひしひしと伝わってくる。とてもただのゲーム開発者とは思えない。

「あなたは、征十郎さんのご家族の方ですか?」
「、いえ…私は、赤司家の使用人で御座います。」
「そうだったんですね。ゲームはクリアした、という事は征十郎さんも現実世界に帰ってきているのですか?」
「はい。苗字様がお戻りになった後少しして、戻ってこられたことを確認しております。」
「今こちらに?」
「いえ、征十郎様には自室でお休みになっている間にこっそりとBWOを装着しましたので、今も自室におられるかと。」
「け、結構強引な手を使われるんですね…。」
「征臣様は不器用なお方ですから。」

クスクス、と今までとは打って変わった人間らしい表情をする彼女に、赤司家の歪んだ、けれど確かに存在する暖かい愛情を感じた。赤司くんはこの事について説明を受けているのだろうか。彼がお父さんに愛されている事、使用人さんに愛されている事。ちゃんと全部伝わっているといいな。


私は、どうやらとんでもない家庭の事情に巻き込まれてしまったようだった。けれど、何故か全然悪い気がしない。温かい気持ちが全身を包む。

「苗字様、この度は、本当に、本当にありがとうございました。」
「いえ、私こそ。素敵なゲームに参加させていただいてありがとうございました。刺激的で、温かみがあって、こんなゲームもう一生プレイできません。ちょっと怖かったけど…でも、とっても楽しかった。」
「…ありがとうございます。ああ、やはり征十郎様の選んだお方ですね。どこか詩織様に似て、不思議な魅力がある。」
「え、えへへ。あんな綺麗な方には似ていないですけど、一応喜んでおきますね。」

その後、私は赤司くんの連絡先を聞いて、その会社を後にした。連絡するもしないも私に任せると使用人さんは言ってくれて、私は夕方の帰り道を清々しい気持ちで歩いた。
二週間という時間は、この会社に来た時のままほとんど経過していなかった。あの世界での二週間は、こちらの世界には影響しない様に作られているらしい。正直二週間も経っていたら親は心配するし、学校とかアルバイトとかも色々大変だったので、その話を聞いた時は心底ほっとした。


夕日がとても眩しい。太陽の赤って、こんなに綺麗だったっけ。いつもの帰り道なのにどこか違った景色のように見えて、私は顔を綻ばせた。家が恋しい。早く帰ってお母さんにこの話を聞かせたい。ああ、現実って素晴らしい。

不意に、もしここに赤司くんがいたら、夕日を見ながらどんな会話をするんだろう、なんて考える。
家の玄関まであと少し。私は彼の連絡先をギュッと握りしめて、小走りで玄関の扉を開けた。

「お母さん、ただいまっ!」


家の庭に咲いた赤い赤い薔薇が、夕日に照らされて美しく輝いていた。




[おわり]

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