薔薇の花園に君を連れていく | ナノ


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二階の廊下をずっと歩いた一番奥の部屋。定期的に開閉を確認していたが、今日、その扉が開いた。開かない扉の、3つの内の2つ目。私はその扉を開け、中に入る。中には大き目のシングルベッド、勉強机、トロフィーが飾られた棚等が置かれていた。

「ああ、ここは…。」

ここは赤司くんの部屋だ。私は何となく直感した。“この世界の”ではなく、“現実世界の”彼の部屋である。
私は音を立てない様に恐る恐る中に入った。赤司くんのいないところで、勝手に彼の部屋を漁る事に罪悪感があったからだ。しかし、私に残された時間を考えるとそうも言っていられない。私は手前の勉強机に手を掛けた。

テスト、教科書、筆記用具…そんなものが無造作に置かれている。テストは中学や高校の頃の物まで混じっており、やはり彼の部屋と言っても現実そのままというわけでもないらしい。彼なら机の上はいつも整理していそうだし、バラバラと物を広げるような事はしないだろう。

「うわ、全部100点。」

以前彼が話していた通り、本当にテストでは満点以外取ったことが無いようだ。バケモノか。続いて、トロフィーの輝きが一際目立っている飾り棚に移動する。どれもこれも優勝ばかりだった。バスケットボール以外にも、作文コンテストだとか、最優秀生徒賞だとか、様々な賞が授与されていて、彼は本当に天才なのだなと改めて思う。話を聞いているだけでも只者ではない感が漂っていたけれど、実際こうして目にすると彼の偉大ぶりに萎縮してしまう。私は凄い人とお話していたんだなぁ。

さらに隣の棚に体を移動させる。胸くらいの高さの本棚の上に、写真がいくつか立てられていた。7人集まって、外でバスケをしている写真、洛山と書かれたユニフォームを着た優勝の記念写真、それから、幼少の頃の家族写真に、お母さんと思われる赤髪が綺麗な女性の写真。その女性の優美さは女性の私が思わず見とれてしまう程だった。

そんな感慨に耽っていたその時、

「この扉、開いたのか。」
「あっ…!」

キイ、と音を立てて開かれた扉とその声の主に肩が跳ねた。

「ああ、ここは俺の部屋だったんだね。」
「あ、赤司くん、ごめんね!勝手に漁っちゃって…」
「別にいいよ。好きに探索くれて構わないって、前に言っただろう。それより、何を見ていたんだ?」

赤司くんは私の隣まで歩くと、私の見ていたものを覗き込んでああ、と溜息交じりに笑った。

「母だよ。綺麗な女性だろう。」
「うん、とても。」
「俺は母に似たんだよ。」
「ふふ、それ自分で言っちゃう?」
「本当の事だからね。」
「嫌味だなあ。ねえ、この家族写真はどこで撮ったの?とっても綺麗な薔薇だね。」

その写真は、たくさんの薔薇を背景に、家族三人が幸せそうな顔をして映っているものだった。

「それは、家族三人で出かけた最初で最後の写真だよ。5月頃、薔薇が見頃の時期に、三人で見に行ったんだ。」
「へぇ。素敵。」
「…っ、」

その時、赤司くんが何かを思い出したかのように息を詰まらせた。私が彼を覗き見ると、ガラスのような瞳がくるりと光を反射して瞬く。

「…思い出した。」
「赤司くん?」
「この薔薇園は、父が母にプロポーズをした場所だと、前に母が言っていたのを思い出したんだ。」

ちょうどその頃も5月の薔薇の開花時期だった。晴天と心地良い風に恵まれたその日、薔薇園のガゼボで婚約指輪と一輪の赤い薔薇を渡して、父は母にプロポーズをした。彼はそう話した後口をつぐんで、再び話し始めた。

「母は薔薇を見るといつも懐かしそうに目を細めて、嬉しそうに笑っていた。そうだ、あの日、家族三人で薔薇園に行くと父が言い出した時も、母は一段と嬉しそうにしていた。俺は母のその顔がとても好きで、その顔を見ようと薔薇をプレゼントした事もあった。その時はこれでもかという位喜ばれたよ。」
「素敵だね。愛情が伝わってくる感じ。」
「ああ、そうだ。母は父を愛していた。父も、あの頃はきっと母を愛していたと思う。」

どうして忘れていたんだろう、と彼は目じりを下げて言った。

「俺は目の前の事しか見えていなかったんだな。今ならそれが分かる。」
「誰にだってそういうことはあるよ。人間だもの。」
「人間か…。そうかもしれないね。」

赤司くんは一度だけ、高校一年生の時に負けた事があるらしい。初めて敗北を知って、周りの仲間の温かみを思い出して、そして随分人間らしくなったと語った。その後、親しい友人達と疎遠になり、周りに頼れる人間がいないまま相変わらず勝利を求め続け、ストレスが溜まっていたのだと。そうして視野が狭まった結果、耐えきれずにこの世界を生み出したのかもしれないと、ようやく合点がいったというように一人納得して笑っていた。

赤司くんは笑い事のように言うけれど、私はその壮絶な家庭環境に慄然としてしまう。絶対勝利を掲げる赤司くんのお父さんにも、それをこなせてしまう赤司くんにも。そんな環境で育ったから、殺意という強いストレスにも耐えられてしまったのだろう。いっそ耐えられなければ良かったのに。逃げて、助けを請うてくれれば、私も。

「赤司くん、恋愛の方は順調に進んでいる?」
「そうだね。最近は女性にも様々な価値観を持った人がいて、軽薄な人間ばかりではない…なんて当たり前のことが分かるようになった。馬鹿だろう?そんな事も忘れていたんだ。」

赤司くんは自分を嘲笑すると、私の耳に手のひらを被せるように、優しく髪を一撫でした。

「お前のお陰で、恋愛にまた一歩近づけた。大体、両親に出来る事が俺に出来ないはず無いだろう。」
「ふふ、そっか。それは良かった。」
「ああ、ありがとう。」

すべてを包み込んで、許してしまうようなその表情に胸が締め付けられる。人形のような彼は、もうどこにも見当たらなかった。

私に残された時間はもう残り少ない。赤司くんにあと2日で恋をさせるなんて、無茶ぶりもいいところだ。私が消える間に赤司くんが恋を自覚することは、多分、ない。

赤司くん、早く誰かを好きになってよ。
じゃないと、私、赤司くんを殺さなくちゃいけなくなるよ。


「ありがとう、名前。全部お前のお陰だよ。」

ふわり。誰もいない部屋の一輪の薔薇が、また一段と赤く色付いて、止まった。



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