薔薇の花園に君を連れていく | ナノ


▼ 6

ここに来てちょうど6日が経過した。今日は一週間の最後の日。砂時計を確認すれば、上部の砂は来た当初より半分くらい少なくなっている。じっと見つめている限りでは分からないけれど、それでも確実に減っているんだと実感した。

午前中に応接間で赤司くんを発見して質問票を消化した後、彼とは一旦別れて昼食を取った。そしてこれから、赤司くんの気持ちや私の仮説について聞きに行くつもりだ。特に約束はしていなかったので、赤司くんを探して洋館内を彷徨って、二階の寝室より少し奥に進んだところで彼を見つけた。自室の扉を開け中に入ろうとしている彼は、まだ私に気付いていない。いつもならすぐに気付いて振り返るのに、もしかしてお疲れなのだろうか。私は早歩きで彼に近付いて、後ろからポンっと肩を叩いた。

「あかしく…うわあっ!」

次の瞬間、ぐるりと視界が反転して背中に衝撃が走った。私はしばらく何をされたか分からなかったが、彼が随分上からしまったという顔をしているのを見て、自分は投げ飛ばされたのだと理解した。

「すまない、つい」

そういって腕を引いて立ち上がらせてくれた彼は本当にすまなさそうな顔をしていて。私は“つい”で人を投げ飛ばすか普通、と考えながらも広い心で許してあげた。だって、ねぇ。

「…刺されるかと思ったんだ。」

そう言われてはこちらも何も言えなくなってしまうではないか。彼は痛そうに背中を丸める私に気を遣って、自分の部屋に招いてくれた。これは勿怪の幸いだ。彼のプライベート空間に入れたことで、精神面だけでなく物理的な距離も縮まる。好奇心と共に見渡した彼の部屋は、大体私の部屋と同じつくりをしていた。ただ一つ、テーブルに置かれたガラスケースを除いては。私は感嘆の声を漏らした。

「わあ、綺麗…。」

美女と野獣の物語に出てくるような美しい一輪の薔薇が、ガラスケースの中で光っている。ただ物語と違うのは、それが赤ではなく白い薔薇だということ。薔薇は砂時計と同じように机のランプに反射して薄く光っているようだった。彼が好きだと言っていた雪のように白く美しいが、よく見ると中心部が少しだけピンクに色付いている。

「俺には砂時計が無い代わりに、その薔薇が置いてあるんだ。」
「この薔薇には何か意味があるの?」

私は彼のベッドに腰を下ろさせてもらいながらそう尋ねた。

「俺にもよく分からない。」

そう言って彼は私の隣に腰を下ろした。

「ただ、最初の頃は普通の白薔薇だったのに、最近になって薄く色付き始めた。」
「それはいつ頃?」
「さてね。よく覚えていない。」

しばらく二人して不思議そうに薔薇を見つめる。ふと背中は痛むかと聞かれ、大丈夫だと返せば彼は安心したように笑った。本当に心配してくれているのが分かって少し嬉しい。

「それで?名前は俺に何か用があるんじゃないのか。」
「ああ、そうだった、そうだった。」

私は少し踏み込んだ話なんだけど、と前置きをして、この前考えた仮説を確かめる為口を開いた





『この空間は彼に恋をさせる為に生まれた。』

そんな突拍子もない話をいきなり聞かされて、彼は絶対笑うだろうと思った。しかし予想に反して彼は真剣に話を聞いてくれ、そしてすべての話を聞き終えた後、脈絡なくぽつり、ぽつりと呟くように全然関係ない話をし始めた。

「この前、俺がエントランスホールでされていた告白を見ていただろう。」
「…バレてた?」
「名前はあの告白をどう思った?」
「どう…。」

どう、とは彼女の気持ちを考えればいいのだろうか。好きだ、と、消えても構わないと告げた彼女の真っ直ぐな瞳を思い出す。例え自分が消える事になっても、相手を思い、殺さない。その気持ちはとても尊いものだと思う。切なくて、美しくて。私には大それた恋愛の経験が無いからその程度の感想しか抱けないけれど、死んでも構わないと思えるくらい相手を好きになるって、きっと私には想像できないほど崇高で純粋な想いだ。
君も見ていただろう、と彼が続けた。

「図書館で俺を殺したのが、彼女だよ。」

―…え?

赤司くんは顔色を変えずに呟いた。心臓が大きく鳴る。私は二の句が継げなかった。

「こんな状況でも、俺を殺せないって女性は少なからずいるんだ。君や彼女のようにね。俺の事を好きだと言ってくれた女性も何人もいた。けれど、最後には皆俺を殺して現実世界に帰っていった。」

俺は、それでいいと思っているんだよ。彼は遠くを見つめたまま言った。まるで自分に言い聞かせるみたいに。良いと思っているなら、そんな顔をしないで欲しい。まるでこのまま消えてしまいそうで、すぐ横にある彼の袖を掴みたい衝動に駆られたけれど、それは恋人がする行動のように思えて手を止めた。

「名前の言うとおり、ここは俺に恋をさせる為の場所なのかもしれない。けれど、俺は人を好きにはなれないと思う。それはなにも今に始まった話では無くて、もうずっとそうなんだ。」

次に彼がした話は、彼のお父さんとお母さんの昔話だった。幼い頃に母を亡くした彼は、厳しい父に育てられた。父からの愛情を感じた事は無く、母からの愛情だけで育ってきた彼。それでも彼は、両親は愛し合っているのだと、優しく笑う母を見て思っていた。
しかし、母が死んだ時、父はまるで最初から母を愛していなかったような態度だった。葬式から帰った日も、その次の日も、父は仕事に打ち込んでいた。母の死を引きずる様子などない。彼は母が好きだったから、愛情を持って結婚したはずの父が顔色を変えない事に疑問を抱き、次第に愛情というものを信じられなくなった。
そんな土台があったからか、大学に入って恋愛に積極的な人達に囲まれて、彼は軽率な気持ちで自分に声を掛けてくる女性達を嫌悪した。ころころと恋人を取り換えては浮気を繰り返すような同性にも、同じく嫌悪感を抱いた。そうやって気付いた時には、彼は恋愛が出来なくなっていた。

「俺がここから出られないと言ったのは、出る方法を知らないからじゃない。知っているからこそ、出られないと思うんだ。」
「赤司くん…。」
「さぁ、話はこれくらいにしよう。」

他人の恋愛観なんてつまらない話だろう。彼はそう言ったけれど、私は彼という人間が知れて面白かったし、もっと聞きたいと思った。この世界にはやっぱりちゃんと意味があったんだと分かって安心もした。

ここは彼に恋をさせる為に生まれた世界。ならば彼がここから抜け出す方法は、『幽閉された女性の誰かに恋をすること』なのだろう。彼はそのことを分かっていたから、自分は恋が出来ないからと、最初からここを出る事を諦めていた。

…助けてあげたい。
ここから出たい気持ちを押し殺して、他人の為だけに殺され続ける彼を救ってあげたい。お人好しだと言われるだろうか。お節介?ありがた迷惑?上等じゃないか。私は私の為に、私のしたい事をする。彼を助ける理由なんて、それだけで十分だ。

「私、赤司くんに協力するよ。」
「協力…か。この話の後で、良くそんな軽口が叩けるものだね。」

赤司くんは、急に冷めた表情を滲ませた。きっと興味本位で彼に踏み入ろうとした私に失望したのだろう。表情がそう言っている。或いは、私なら軽い気持ちで助けたいなんて言わずに、そっとしておいてくれると期待されていたのかもしれない。彼の態度だけで、過去にも私のような女性がいた事や、その女性がその後どうしたのかが伝わってくる。
幻滅、落胆、失望。やがてその感情さえも捨てたかのように、彼は緩やかな笑みを浮かべて人形になった。以前見た、精巧でどこか不気味な印象が私を捉える。

「君に、何が出来るのかな。」
「些細な事しか出来ないけれど、それでも出来る事はあると思う。例えば、」
「俺を慰めてでもくれるのかい?」

彼は艶やかに口角を上げ、私の頬をするりとなぞった。唐突な感触に肩が跳ねる。彼は私の反応など気にもせずに、ゆっくりと、冷たい指を頬から首筋に這わせた。私はその行動の意図が分からず、強く彼の手を握ると、昂然とした態度でガラスの瞳に自分を映した。

「皆と仲良くなろう。ここにいる女性達みんなと。一緒に遊んだり、楽しい事をいっぱいしよう!」
「…え。」
「まずは仲良くなるんだよ。女の子皆が赤司くんの周りの人みたいに不純じゃないし、良い子だって沢山いるよ。だから、仲良くなって好きな子の一人や二人見つけようよ!」
「協力って、そういうことか…。」

彼は澄んだ瞳をぱちくりさせた後、肩の力を抜いた。緊張が解けた彼の手を離して話を続ける。

「今まで女の子たちが寄ってくることはあっても、自分から仲良くしようと思った事はないでしょ。」
「そういえば、そうだね。」
「きっと恋愛出来ない理由ってそれもあるんだと思う。追われる恋は冷めるってよく言うし。だからちゃんと対等な気持ちで接すれば、赤司くんにもチャンスはあるよ。私は、後一週間しか時間が無いから、とにかく出来るだけ機会をセッティングしようと思う。どこまで出来るか分からないし、もし成功しないままタイムリミットがくれば、私は…多分赤司くんを、」
「殺す、かい?」
「うん。…ごめんね。」

私はそう言って俯いた。殺すという行為がどれだけ赤司くんを傷つけるか分かっていても、私は自分の命と引き換えには出来ないと思った。そのことに嘘はつきたくないので正直に伝えてしまったが、きっとそれだけでも彼を傷つける事になったかもしれない。不安に思いつつも顔を上げて見た彼の顔は、傷ついたというよりむしろ穏やかに見えた。

「…ありがとう。」
「えっ!あ、うん?気にしないで。」

クスクスと笑って、絶対に分かってないだろうと優しく私を撫でる彼の指が温かかった。その綺麗な表情と優しい手つきに心臓が高鳴って、どうしようもなくなる。私は誤魔化すようにメモ帳を取りに行ってくると言って部屋を出た。逃げたわけでは決してなくて、これから赤司くんに恋をさせる為に、ここにいる女性達とどう接近するかの作戦を立てようと思ったのだ。そう、そのとおりだ。

勢いよく飛び出した扉はゆったりとした動作で閉まっていく。何となくそれを視界に入れつつ歩き出せば、ふいに目に入った薔薇の花が、微かに、うすく色付いた気がして、そのままパタリと扉が閉まった。



→【質問票】―2週目― からお好きな項目を3つを選択してください。

[ back ]