その恋は花を咲かせる

部屋に活けられた花を見て、昔母が言っていた言葉を思い出した。

「恋は落ちた方が負けなのよ。」

母は少し照れたように、しかしとても幸せそうな顔をしてそう言った。
厳しい父親にきつく叱られ、母のもとに泣きついた時に、どうして母はあんなに厳格な父と結婚をしたのか、気になって尋ねたら返ってきた言葉だ。

人は恋をすると自分の周りに花を咲かせるという。
かく言う母も、父が時に見せる優しい一面に惚れ、周りに花を咲かせたらしい。
俺は母の言う『恋』というものが良く分からずに再びそれを尋ねると、母は優しく幼い俺の頭を撫でた。

「人は恋をするとね。その人しか見えなくなって、パァッと心に花が咲くの。そしてそれが“周りに花が咲く”という形で現れるのよ。」

母は自身が咲かせた花を束ね、愛の言葉と共に父に贈った。そしてそれを切っ掛けに二人は交際したそうだ。
結局、話を聞いた後も俺は母の言うことがよく分からず、うやむやになったまま年月は過ぎた。

「征十郎も、そのうちきっと分かるわ。」

母にはそう言われたけれど、『恋』が落ちたら負けの勝負なら、父親に常勝を強いられている俺には知らないままの方が良い。

中学生になって、初めてクラスの女子に花束を贈られた時も、やはり俺は恋を理解出来ないままでいた。
告白自体は今までに何度も経験したが、花束を貰うのはこれが初めてだったのでその女子は俺に浮ついた気持ちでない、本物の恋をしていたのだろう。なので気を持たせてはいけないと思って受け取らなかった。
それから何度花束を贈られても、やはり俺は同じように受け取らなかった。
相変わらず相手の気持ちは理解しがたかったが、これで良い。俺は恋愛においても常に勝ち続けなければならないのだから。

惚れたら負け、ならば惚れさせたら勝ちなのだろうの恋の勝負は順当にやぐらを登り、高校に上がる頃には常に誰かしらから花を贈られる日々を過ごしていた。時に目の前で花をポポポッと出される事さえあった。
初めて目の前で花を出された時は、流石の俺も感心したとともに、少しだけその様を綺麗だと思った。

この美しい情景こそが『恋』なのだと、母が幸せそうな顔をしていたあの日を思い出して少しだけ恋を理解した気になった。きっと母も恋という純粋な気持ちを花で交し合っていたのだろう。
とはいえ、俺に負けが許されない事に変わりは無いので、理解した所で余り意味は無いのだが。


しかし、事態はそう呑気には進まない。

最初に事が起こったのは、何気なく肩を叩かれた時だったか。

「やぁ赤司くん、部活お疲れ様。また明日!」
「、ああ。」

夕日が沈む帰り道。インターハイの調整の為早めに部活を終えた俺は、生徒がまばらに下校する校門前でクラスメイトの苗字に声を掛けられ、その姿にハッとした。

彼女とは中学の頃からの知り合いで、時々同じクラスになっては他愛の無い談笑を交わす仲だった。
他に生徒会という共通点もあり、俺が部活で忙しい時期には仕事をさり気無く変わってくれたりと、色々気を利かせてくれる良い“友人”である。少なくとも俺は、そのつもりで接していた。

しかし、今見た彼女と、そして一学年上の男子が二人仲良く下校している姿が、何故か心をざわつかせた。
どこかで別の自分が、これ以上気付いてはいけないと忠告をしている気がして、俺はいつも通り『勝利』という言葉で心を押さえつけ平静を保った。


事態が急変したのはその一ヶ月後だっただろうか。

「ねぇ赤司くん。」

昼休みの教室内で、椅子を近付けて俺の席まで来た苗字は、人懐こい笑みを浮かべていつも通り他愛無い話を振って来た。

「イライラしてる時ってさ、糖分を取ると良いって話とカルシウムが良いって話があるじゃない?実際どっちの方が効くのかな。」
「さぁね。グリコーゲンを分解してブドウ糖を作る時アドレナリンが分泌されてイライラを感じるらしいけど。ああでも、カルシウム濃度が減少すると神経や感情のコントロールが乱れるという話も聞くからどちらがより効果があるのかは分からないな。」
「…さぁねと言った割には流石と言わざるを得ない回答だね赤司くん。」

因みに私は糖分の方が効くと思う、と宣言した苗字は、懐からプチパックのチョコレートを取り出すと美味しそうに口に運んでいた。
全然イライラしているように見えないので、今の話は彼女にとってただの話題作りなのだろう。
ふとあの下校時の事を思い出す。
親しい異性がいるにも関わらず、苗字は何故話題を作ってまで俺に話しかけようとするのか。怪訝に思う一方で、苗字との会話を楽しんでいる自分もいる。
葛藤する気持ちに蓋をして、努めて無難に彼女との会話をやり過ごした。

その放課後。学園祭が迫っていた洛山高校は、体育館装飾の為部活が中止となった。
それならジムに向かおうと早々に支度を済ませ校舎を出る。
すると、校門までの道すがら、どこからともなく俺の名を呼ぶ声が聞こえてきた。
何となしに振り向くと、教室の窓から手を振る苗字の姿が目に留まった。

「おーい、あかしくーん!帰るの早いよー!」

こっちこっちと大袈裟な手振りで呼ばれ何かあるのかと近付けば、彼女の手から何かがポーンと放たれる。反射でそれをキャッチし、手の物と彼女を交互に見やる。
俺に落ちてきたのは、にぼしだった。

「続けていくよー!」

再び落ちてくる何かをキャッチする。先程苗字が食べていたチョコ菓子だった。

「何だこれは。」

気持ち声を張り上げて二階の窓に尋ねる。

「糖分とカルシウム!赤司くん、最近私と話すとき素っ気ないし、眉間に皺が寄っているし。もしかして私嫌われてる?ってちょっと心配になっちゃったから、それはご機嫌取り。」

眉を下げて笑う苗字は、それだけ言うと窓から顔を引っ込めてしまった。
俺はにぼしとチョコをしばらく見つめた後、再び校門へと歩き出した。

自分が嫌われているかもしれないと懸念しながら、機嫌を損ねるでも距離を取るでもなく、こうして笑って相手を気遣える人間を、俺は他に知らない。
自分の都合で苗字につまらない意地を張っていた俺とは比べ物にならないな。俺は手にある二つの包みを大事に鞄にしまい込んだ。
そして俺は不毛な葛藤を止めた。


ジムから帰り、風呂に入って、父と食事をして、寝て起きたら、ベッドの周りは花で溢れ返っていた。

「…何だこれは。」

ベッドの花を払い除け、埋まっていた携帯を取り出して、淡々と色とりどりの花の名前や花言葉を調べる。
出て来た結果に辟易するとともに、自分の気持ちと向き合わざるを得ないと、俺は敗北を悟った。
テーブルに置かれたにぼしとチョコは、花に埋もれて見えなくなっていた。


今日の校内は、翌日に控えた学園祭を前に浮かれ気分一色だった。
色とりどりに飾られた教室、高らかに響く王子と姫の演技、楽しげな笑い声。そんな周囲とは反対に浮かない気持ちの俺は、そっと教室を抜け出し生徒会室に向かった。少し一人になりたい。
一応今は授業中だが、すべての時間が学園祭準備に当てられているので、少し抜けた所で支障は無い。
ガラリと開けた生徒会室には予想通り誰もいなかった。
前日はクラスの準備に追われることが予想される為、早めに仕事を片付けろと指示しておいて良かった。
俺はホッと一息ついて、抑えていた感情を緩めた。

ポン、ぽとり。
ポン、ぽとり。

湧きだした花は留まる事を知らず溢れ続ける。朝、また彼女があの男子と一緒に登校している姿を目撃してしまった。

マリーゴールド、アネモネ、ヒヤシンス、リナリア。
音を立て数々の花達が宙を舞っては地面に落ちる。むせ返るような花の匂いに囲まれて、俺は思考を停止するように机に突っ伏した。

疲れた。勝利を考えて行動する事にも、自分の気持ちを抑える事にも。
もうこの勝負は棄権してしまおうかと考えて、しかし負けたくないと思う自分もいる。
その時、ガチャッと扉の開く音がした。

「赤司くん?」

今一番会いたくない人物の声が扉を隔てて聞こえてくる。俺は瞬間飛び起き、しかし積もり積もった花を見て再び思考を放棄した。
どうして苗字がここに、なんて、生徒会に仕事が無いのだから俺を探しに来た以外考えられない。
地面に積もる花を押しのけて、扉が開かれた。

「うわっ、すごい花!何これ、足の踏み場も無いよ!」
「…何も聞かないでくれると有難い。」
「あー…、もしかして私空気読めてなかった?ごめんね、すぐ退散するから」
「いや、良いよ。用件は何だ。」
「用件というか…赤司くんいないからここに居るかなって思って。」

静かに扉を閉めて、花を踏まないようにこちらへ向かう彼女の為に、俺は立ち上がって向かいの椅子を引いてやる。苗字は有難うとお辞儀をして席に着いた。俺も元の席に戻る。
その間にも止めどなく花は咲き続け、それを苦笑いで眺める彼女に俺は質問を投げかけた。

「ひとつ聞いても良いかな。」
「ん?」
「今日一緒に登校していた彼は、」
「あーあれね、良く聞かれる。うちのお兄ちゃんなんだよ。」

シスコンで困ってるんだー、と、彼女は俺が話終える前に笑いながら答えていた。その口ぶりから、この質問が俺だけでなく数々の人によってされている事が窺える。恋多き女子高生ならば、そういう話をしない訳も無いか。
ポン、ポンと、自身から飛び出す花の種類が変わっている事に気が付いた。それを見ていると、なんだか今までの自分が情けなくなってくる。
ガーベラの花が目の前にぽとりと落ちたところで、俺は何となしに聞いてみた。

「苗字は花を咲かせるほどの恋をした事があるかい?」
「えぇ?んー、まだ無いかな。いつかしたいよね。こんなにたくさんの花を咲かせられるくらいの恋。」

赤司くんに思われている人は幸せ者だね。彼女は足の踏み場もない程の花を両手で掬うとふわっと宙に投げた。人の花で遊ぶなよ。
それから、今しがた咲いたばかりの赤いチューリップを手に取ると、髪に差して「似合う?」と聞いてきた。
その愛らしい仕草に呆れて力なく笑う。俯せていた顔を少し上げ、諦め半分に「似合うよ。」と微笑めば、苗字は少し頬を赤らめてはにかんだ。ああ、もう可愛いな。

「はぁ、やっぱり降参のし時かもしれないね。」
「?何の話?」
「苗字は幸せ者だねって話。」

苗字はよく意味が分からないといった顔で首を傾げた。
部屋いっぱいの花を見て、昔母が言っていた言葉を思い出す。

『恋は落ちた方が負けなのよ。』

溜息に笑みを交えて、俺は恋を吐き出した。


「俺は、君だけに勝てない。」





**授業中の校内で、噎せ返るような花の匂いに囲まれて「君だけに勝てない」

診断メーカー、「僕から君へ、あいの言葉」様よりお借りしました。

ついでに花言葉↓
――湧きだした花は留まる事を知らず溢れ続ける。朝、また彼女があの男子と一緒に登校している姿を目撃してしまった。
マリーゴールド、アネモネ、ヒヤシンス、リナリア。
音を立て数々の花達が宙を舞っては地面に落ちる。

・マリーゴールド:嫉妬、悲しみ
・アネモネ:はかない恋、見はなされる
・ヒヤシンス:悲哀(白)、嫉妬
・リナリア:この恋に気付いて

――ポン、ポンと、自身から飛び出す花の種類が変わっている事に気が付いた。それを見ていると、なんだか今までの自分が情けなくなってくる。
ガーベラの花が目の前にぽとりと落ちたところで、俺は何となしに聞いてみた。

・ガーベラ:希望、常に前進

――今しがた咲いたばかりの赤いチューリップを手に取ると、髪に差して「似合う?」と聞いてきた。
・チューリップ(赤):愛の告白


2015/9/24 桜桃
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