赤司くん女体化する。

彼からこれほど脈絡の無いメールが届くのは初めてでは無いだろうか。

『たすけてくれ』

漢字変換さえ無いその6文字が送られてきたのは、中休みも後5分に差し掛かったある日の午後だった。
昼食を取り終え、教室で友達と談笑をしていたら突然送られてきたそのメールに首を傾げる。
何をどう助ければいいのかと赤司くんを探すも教室に姿は見当たらず、不審に思って『どうしたの?』と返信すれば、すぐに『資料室』との単語が返って来た。こんなに早い返信も、こんなに淡白な文章も彼にしては珍し過ぎて、この時点で少なからず緊急事態が想定される。あんまり関わりたくないなぁ。そう思いつつ重い腰を上げ、私は足早に助けを待つ幼馴染の元へ向かった。


現実は、私の想定を遥かに凌駕していた。

「…。」

急いで駆け付けた洛山高校資料室で、私が発見したのは一人の少女だった。
俯く顔に長い髪をだらんと垂らし、体育座りで隅っこ暮らしをしている。
もう一度言おう。うずくまる一人の“少女を”、私は発見したのだ。

「あの、えっと、部屋間違えましたー。」

ギロリ、退散しようと後ずされば鋭い眼光に睨まれた。
赤い髪、オッドアイの瞳、端正な顔立ち、その全てが“彼”を連想させるものの、艶のある長い髪、小柄な体つき、華奢な手足はどう見ても女性のそれだ。
「助けてくれ。」さっき届いたメールが本人によって音読される。

「不思議な薬を飲んだら、女の体になってしまった。」

私は戦慄した。それなんてエ○ゲ。





不思議な薬を飲んで女体化してしまった彼と、それを目撃した一人の少女。貴女の力で、彼女を元に戻してあげよう!
…なんて、ゲームの世界の話なら良かったのに。

「朝から少し体調が悪くて、保健室にあった風邪薬を拝借したんだ。ちょうど保健の先生が席を外していたので、勝手に持ち出して飲んでしまった。それが間違いだった。体に違和感を感じてトイレに籠って、そのまま気を失って…。気付いたらこうなっていた。」

未だ体育座りをしたまま両手を見つめる赤司くん(♀)は、今までに無い程動揺していて、萌え袖から出る指がわなわな震えていた。
女性の姿になった事で一回り縮んだ体は、ダボダボの制服に着られている状態で膝を抱えている。多分立ち上がったらパンツ諸共地面にタワーオブテラーだ。

「だから私を呼んだのね。女物の服を借して欲しいと。」
「理解が早くて助かるよ。」

赤司くんは「穏便に済ませたいからこの事は他言無用で頼む。」と念を押す形で私に面倒事を押し付けた。彼と関わるのは正直気が引けるけれど、仕方が無い。テスト勉強2回分で手を打とう。
私は資料室を後にし、自分のロッカーからジャージを取りに戻ると“女子更衣室に寄ってから”赤司くんの元に戻った。

「はい、これ。」
「これは…何だ。」
「ん?だから着替えでしょ?」
「待て、何故制服なんだ。これは先程までお前が着ていたものだろう。そして何故お前がジャージに着替えている。」
「細かい事は良いじゃん!さ、早く着替えちゃいなよ。そのままじゃ男装した変態だよ。」
「…。」

赤司くんは唖然とした様子で私の手から制服を受け取った。
何故私がこんな事をしたのか。それは皆様既にお分かりの事だろう。スラリと伸びた生足、ひらりと舞うスカート、棚引く赤髪ロング。そんな赤司くん(♀)が見たいからです!
こんな面白い現状をモサいジャージでみすみす逃すなど言語道断。私は口角が上がるのを押さえ真顔で赤司くんと向き合った。

「名前…。お前、面白がっているな。」

赤司くんがキッと私を睨む。やばい、上目遣い可愛い。

「そんなに敵意剥き出しにしなくたって、ちゃんと協力してあげてるじゃん。ほら、ちゃんとパンツ用の安全ピンまで持ってきてあげたんだよ?」
「…。」

半目で見下されるなんて心外です。
暫くすると、諦めた彼は私を睨んだまま渋々着替えを始めた。彼を男として認識するならここは恥ずかしがる所だろうが、今は女の子だから気にする事は無い。私は遠慮なく体を観察させて頂いた。だいたいの体型については先ほど述べた通りなので省くが、これだけは言わせてくれ。

Cカップだったこのやろう。(当社比)





着替え終わった赤司くんと、これからの事について話し合う。授業のチャイムはとっくに鳴ってしまっているので私と赤司くんは人生初のサボりな訳だが、今の私達にそんな事を考える余裕は無い。

「この容姿になった原因は、十中八九保健室にあった薬だろう。だからその薬の箱を調べれば、一先ずこの状況を打開する目途は立つと思う。」
「なるほど。じゃあ取りに行けば良いじゃん。じゃ私はこれで。」
「…。」
「わ、分かったって。冗談だよ。そんなジト目したって全然可愛くないんだからね。」

不覚にもときめいてしまったのは私です。

「意地の悪い事を言わないでくれ。本当に困っているんだ。」
「分かったよ。要は、私は廊下に誰もいない事を確認して、保健室までの道のりをサポートすればいいのね。」
「ああ、頼む。」
「…可愛いなちくしょう。」

ぺこりと頭を下げる彼に気持ちが高ぶって、私は無意識にむぎゅっと彼…いや彼女を抱き締めた。

「っ…、離せ。痛い。」

彼女は柔らかくて、良い匂いがして、私の腕に収まるサイズが愛らしかった。思わずムラッと来た。

「私、ちょっと保健室行って性転換して来ようかな。んで赤司くんを抱く」
「死ね。」
「辛辣っ」

死ねって、赤司くんの口から初めて聞いたよ私。赤司くんの冷ややかな視線が頭上から降り注ぐ。先程までの困っているオーラとは雰囲気が違った。これ以上はいけない。
「保健室、行こうか。」私がそう言うと、赤司くんは「最初からそうしろ。」といつもの偉そうな調子で溜息を吐いた。やっぱりいつもの赤司くんが一番だね。





私達が今いるのは3階。ここから1階の保健室まで行くには、自分たちのクラスを素通りし、階段を降りていかなければならない。
洛山高校に授業中廊下を歩くような不良生徒はいない。が、先生やその他誰かしらが廊下を通らないとも限らない為、授業中と言えども気は抜けなかった。これは赤司くんの名誉が掛かった戦いなのだ。赤司くんに勝利を!ヤシャスィーン!
ちらりと廊下を覗き見る。

「誰もいないよ、どうぞ。」
「そのまま3m先で監視を続けろ。」
「ラジャ。どうぞ。」
「真面目にやれ。」
「はい。」

段々と遠慮が無くなってきている赤司くんに不満を持ちつつも、言われた通り監視を続ける。
順調に歩みを進め、1階に差し掛かったところで、しかし事態は急変した。

「!赤司くん、職員室から先生がこっちに向かって来てる!」

私は階段の曲がり角から顔だけ出し、すぐに身を引っ込めた。
私の報告を聞いた赤司くんが苦い顔をする。
ここは階段のど真ん中だ。隠れる場所は無い。なら引き下がるか、そう考えた矢先、今度は二階の廊下からザワザワと声が聞こえてきた。どうやら、何処かのクラスが教室移動をするらしい。なんてタイミングの悪い。
喧騒は瞬く間に広がっていく。赤司くんは考えるように辺りを見回したが、やがて覚悟を決めると、私の手を引いて颯爽と歩き出した。

「えっちょっ、赤司くん!?そっちには先生が…」
「そこの女子二人!授業中に何をやっている。」
「すみません。彼女が体育の授業中に気分が悪くなったと言うので、見学の私が保健室まで連れてきました。」

そう答えたのは赤司くんだ。彼…いや彼女は、堂々と、さも当たり前のように先生に嘘の説明をした。ジャージ姿の私と制服姿の自分の状況を巧みに利用して、咄嗟に機転を利かせる度胸は流石としか言えず、そこに「こんな奴居たっけ」とか「こいつ赤司に似てね?」と思わせる隙は一切無い。完璧に、“彼”は“彼女”を演じていた。
先生は何の疑問も持たずに「そうか、それなら早く連れて行ってやれ。」と告げると階段を上って行ってしまった。
赤司くんが真っ直ぐに保健室へ入ろうとする最中、階段を上る先生が赤司くんを横目に「美しい…」と呟いていたのを、私は見なかった事にしようと思う。


幸い、保健室には誰もいなかった。
流石の赤司くんも保健の先生との対面は覚悟していたようなので、これは勿怪の幸いと言えるだろう。
赤司くんは保健室の施錠をするとさっさと机の上に置いてある薬を手に取った。

「これだ。」

赤司くんの手にするそれは、カロリーメイトの箱みたいな外見をしていた。箱の中身から取扱説明書を取り出して、軽く目を通すと小さく舌打ちをする彼に、気になって私も声を掛ける。

「なんて書いてあったの?」
「薬の効果は約12時間だそうだ。ご丁寧に外箱は風邪薬のものと取り換えられている。」
「だから間違えて飲んじゃったんだね。」
「ああ。誰かの悪戯だとは思うが、悪質だな。」
「しかも無駄に手が込んでるね。」

赤司くんは薬を制服のポケットに突っ込んだ。
「え、なにそれ持って帰るの?」と私が訪ねれば、彼は「他の被害者を出さない為だ。」なんて責任感のある事を言ってのける。「生徒会長として、こんなものを野放しにはしておけない。」だそうです。流石ですね。
試しに「一粒ちょうだい?」とおねだりしたら、やはり「ふざけるな。」と一蹴されてしまった。
それにしても、薬の持続時間が12時間となると、昼休みが始まってすぐ服薬したとして、夜の12時頃までは効果がある事になる。
授業はこのまま保健室でやり過ごすでも早退するでも良いが、その後はどうするのだろう。家に帰って、彼の父親に正直に話すのだろうか。あの厳格なお父さんの前にこの格好で出て行く赤司くんは全然想像がつかない。

「これからどうするの?」
「正直、この格好をこれ以上の人間に見られたく無いと言うのが本音だな。」
「因みに一番見られたく無い人は?」
「父だね。」
「だろうね。」

彼は何かトラブルを抱えた時、絶対お父さんに頼ろうとしない。以前にも「父親に弱味は見せられない。」と言っていた。
「元に戻るまでは、漫画喫茶とかで時間を潰したらいいんじゃない?」そう提案するも、「余り遅くまで外出すると父に何を言われるか分からない。」と却下される。優等生も大変だ。それに、考えてみたらああいうお店って学生は大抵10時で追い出されてしまうんだよね。ならどうしたら良いんだろう。
赤司くんのこの話ぶりからして、出来れば優等生のまま、人に見つからない場所で体が戻るまで時間を潰したい考えなのだろう。例えば、「今日は友達の家に泊まる」などと親を誤魔化して、誰かに泊めてもらうとか。嫌な予感がする。

「うちはお母さんが居るから無理だからね。」
「名前のお母様に見られる程度の犠牲はやむを得ない。我慢しよう。」
「やっぱりそういう話の流れだった!」
「名前の家に泊まると言えば父の許しも出るだろう。名前の両親とは以前から親交があるしね。そして、俺としてもこの姿を見られるのが最小限で済む。」
「却下。私のメリットが無い。」
「この俺に借りを作れる事以上のメリットなんてそう無いと思うが。」
「嫌だよ絶対。そうだ、バスケ部のマネージャーさんに頼めば?ほら、あの可愛い子。私よりその子との方が仲良いじゃん。」

私のその発言に、赤司くんは言葉を詰まらせた。ほら図星だ。
確かに私達は幼馴染だし、小学校が一緒という腐れ縁でもある。昔は家族ぐるみで仲も良かった(赤司くんのお母さんが他界した事で、私の母が彼をとても気に掛けてた)。でもそれだけだ。
私は赤司くんを何とも思っていないし、赤司くんと仲良くしたって他の女子からやっかまれるだけで良い事無いもん。だからあまり仲良くしたくない。

「ああ、もしもし名前のお母様ですか。実は少々相談したい事がありまして…」
「って、ちょっと何やってんの赤司くん!」

ちょっと目を離した隙に、あろう事か赤司くんは私の母親に電話を掛けていた。てかなんで私のお母さんの電話番号知ってるの!
確かに母は事ある毎に「征十郎くんは元気かしら」「征十郎くんが心配」とか言っていたけれど、まさか連絡先まで交換する仲だったなんて。

「ありがとうございます。はい、名前と一緒に帰ります。はい、それでは。」

赤司くんは携帯電話を仕舞うと、私に向かってしたり顔を浮かべた。

「一日泊めてくれるって。」

そう言われても、私は納得していないんだけれど。ねえ赤司くん。私の発言は無視ですか。
優等生の名に傷がつかない様に、「赤司くんは体調が悪いそうです。」と私に先生への説明を全て押し付けた赤司くんは、その後、授業と部活の一切を休んで、まんまと私の家にやって来た。

「お久しぶりです、お母様。」
「いらっしゃい!まあ久しぶりね征十郎…くん?あ、あれ。女の子?ど、どうしたのその格好は!何か嫌な事でもあった?ストレスが溜まっているならもっと早く相談してくれれば良かったのに…!」

お母さんは赤司くんの格好に大目玉をくらってあたふたしていた。当たり前だ。
しかし、彼に事情を説明された後は「そうなの。じゃあこの事は征十郎くんのお父さんには秘密ね。」と素敵にウインクをして、御馳走を振る舞う為に颯爽と夕飯の買い出しに行ってしまった。なんて理解のある母親だこと。数年ぶりだというのに、赤司くん大好きオーラは相変わらず健在のようだ。

「これで外堀は埋まったかな。」
「赤司くんやり方が狡猾過ぎ。」
「生憎、勝利の為に手段は選ばない主義でね。」

格好良いんだか可愛いんだか分からない顔でそう言い放った彼は、ダイニングテーブルに座り自分の家のように寛いでいる。

「名前のお父様は京都には来なかったんだろう?」
「何故知っている。」
「以前名前のお母様に聞いた。」
「赤司くんとうちのお母さんってどういう関係なの?」
「お母様曰くメル友、というやつらしい。」

娘を差し置いて何をやっているんだうちの母は。
頬杖をついて、ぼうっとした顔で髪の毛をくるくるさせている赤司くんはお人形さんみたいな顔をしている。私も暇だったので適当に携帯でも弄って時間を潰す。すると、同じく暇を持て余した彼が唐突に口を開いた。

「風呂を借りても良いだろうか。」
「ちょっと待て。」

私はほぼ反射でツッコんだ。

「お風呂って何。どうするの?そのまま入るの?」
「名前の言っている意味が良く分からないが、そのまま入る以外に何かあるのか?」
「っ…。」

さも当然の如く言っているが、これは大変由々しき事態だ。少なくとも、一女子としてこれだけは確認しておかなければいけない。

「赤司くんってさ、今心は女の子なの?男の子なの?」
「男に決まっているだろう。」
「逮捕―!」

自分の体とはいえお風呂に入ったら丸裸な訳で。女の子の大事な部分が無防備な訳で。そんな女子のあられもない姿を男に見せる訳にはいかない。例えそれが赤司くんの体でも。いや、自分の体なら良いのか?どうなの?教えてエロい人!

「別に裸くらいどうって事無いだろう。それが好きな人の体なら話は別だが。」
「なにそれ…赤司くんって好きな人いるの?」
「風呂はこっちか。」

お、はぐらかされた。私の追及から逃れるように、お風呂場を探し当てた赤司くんは家主に許可なくお風呂掃除を始め、勝手にお湯を張り始めた。もういいや。好きにさせておこう。

そしてお母さんが帰ってきた後、正式にお風呂の許可をもらった赤司くんは現在優雅に入浴中である。お母さんもお母さんで赤司くんの為に台所でたくさんの料理を作っている。お母さんってば赤司くんに甘過ぎ。私はお母さんの後ろ姿に文句を垂れた。

「名前、征十郎くんをあまり無下に扱わないの。お客さんなんだから。貴女はお客さんにお風呂掃除までさせて。」
「む。お母さんってば、実の娘以上に赤司くんを甘やかしてない?」
「当たり前でしょ。征十郎くんは一人で頑張り過ぎちゃう子なんだから。お父さんに甘えられない分、誰かが支えてあげないと。だから名前も征十郎くんには優しくしてあげなさい。」
「えー。でも赤司くんモテモテだし、一人で何でも出来るよ。支えなんて必要ないと思う。」
「皆から大丈夫だと思われてるから、逆に誰にも頼れないんでしょうが。名前はもう少し征十郎くんに頼られている自覚をしなさい。」
「…なんかお母さん、私のお母さんってより赤司くんのお母さんみたい。」
「名前が征十郎くんに冷たくしているとそうなっちゃうかもね。」
「あっそ。」

私はお母さんとの会話が面倒臭くなって、そこで話を打ち切った。私がいなくたって、赤司くんは学校で上手くやっているよ。私より仲の良い子もいっぱいいるし、人望も厚い。お母さんはその事を知らないんだ。

「それより、そこに征十郎くんの着替え出しておいたから、お風呂場まで届けてあげなさい。」
「着替え?どれどれ…。」

ソファーに畳んであった洋服をひらりと持ち上げる。レースのあしらわれた品のあるネグリジェがすとんと眼前に広がった。

「お母さん、…センス良いね。」
「征十郎くんがあまりにも可愛かったから、急遽奮発しちゃった。」

私とお母さんは二人してニヤリと笑みを浮かべた。お母さんの、こういう空気が読めるところは大好きだ。





脱衣所には、綺麗に畳まれた私の制服が洗濯機の上に置かれていた。それを回収して、代わりにネグリジェを置いておく。ついでに、お揃いのレースが可愛いブラジャーとパンツも置いて、赤司くん(♂)のシャツと下着は洗濯機に回しておいた。これで良し。
ふと、ブレザーを持ち上げた際に、ポケットに入っている存在にに気付く。

…そういえば。

ごそごそと中身を確認すれば、先程保健室で回収した薬の箱が出てきた。さっき赤司くんが読んでいた取扱説明書に目を通したのは、ほんの好奇心からだった。

『なりたい自分になれる薬。』

説明書の一番上には、大きい字でそう書かれていた。

「えっ…?」

性転換の薬じゃ無かったのか。てっきり、そうだとばかり思い込んでいた。
でもそれだと、赤司くんは女の子になりたくてなったという事になってしまわないか。

赤司くんは、女の子になりたかった?

ドキドキ、と心臓が鳴る。ゴクリと生唾を飲む音がやけに鮮明に聞こえた気がした。

赤司くんが女の子になりたかったなんて、そんな馬鹿な。そう思いつつ、でも赤司くんなら悩み事があっても完璧に隠し通してしまうだろうなとも思う。
もしかして、だから彼はモテるのに彼女を作らないのだろうか。彼女とか恋愛とか、そういうのにあまり興味が無さそうだし、さっきも好きな人の事を聞いたら誤魔化された。あれはつまり、そういう事?
考えてみたら合点の行く事ばかりで、とんでもない事実を知ってしまった罪悪感に苛まれながら、私はふらふらした足取りで脱衣所を後にした。


赤司くんがお風呂から戻ってきた時も、一緒に夕飯を食べている間も、私は赤司くんと目を合わせる事が出来ずに過ごした。そうして逃げるようにお風呂に入り、のぼせるまで浸かってからリビングに戻ると、そこに赤司くんの姿は無くて。
「征十郎くんは名前の部屋に案内しておいたからね。」とお母さんに告げられた。
「征十郎くんには優しくね。」そう念を押されて、いつまでも避けている訳には行かないと私も覚悟を決める。赤司くんも私の態度には薄々気付いているだろうし、追及される前に私から話した方が誠実ってものだろう。
赤司くんが女の子になりたかったなんて。
私は重い気を引きずるように赤司くんの元へ向かった。





「っ、お前馬鹿だろう。」

フリフリレースに身を包んだ赤司くんは、上品に正座をしながら私に罵声を浴びせるのだった。

「ふふ、馬鹿だ…本当に…」
「…。」

罵声が送られた後は肩を震わせて笑われる始末。可愛いから今日だけ許すが、今日だけだからな。盛大な勘違いに恥ずかしくなった私は、お人形さんにするみたいに赤司くんを強く抱き締める。

「離せ苦しい。さっきもお母様に抱き締められたばかりで、家族揃ってやる事は同じか。」
「赤司くん可愛い。」
「俺は女子を抱く事はあっても女子に抱かれる趣味は無いよ。」
「本当?」
「本当だ。」
「じゃあなんで女の子になりたいと思ったの?」
「っ、それは誤解だ。俺は一度もそんな事は思っていない。ただ、」
「ただ?」
「女心を、知りたいとは思った。」

赤司くんの話によると、どうやら『女心を知りたい』と思う気持ちが歪んだ形で作用して、『女心を知りたい→女になればいい』という具合に誤変換が行われたのでは、という事だった。なんとまあ、はた迷惑な薬である。

「それにしたって、女心を知りたいとはまたどうして。」
「それを説明する義務が俺にあるだろうか。」
「私に散々迷惑かけておいてその言い草は無いだろう赤司くんよ。」
「…それもそうだね。迷惑を掛けてすまなかった。そうだ、お詫びにテスト勉強に付き合うよ。何なら今からでもどうだろう。教科書を持って来よう。」

そう言って立ち上がる彼の手を取って私が引き寄せると、再び抱き締められた彼は私の腕の中で「悪かった謝るから離してくれ。」ともぞもぞと藻掻いた。ああ可愛いちゅーしてやろうかコノヤロウ。
高ぶる気持ちを抑えて正座で彼と向き合う。

「教室で、とある女子がしている会話を耳にしてしまったんだ。」
「何て言ってたの?」
「俺とだけは仲良くなりたく無い、と言われた。」

それは、ある日の放課後の事。教室に忘れ物をした赤司くんがたまたま廊下から聞いてしまった女子達の会話だった。

『大発表!私、昨日とうとう彼氏が出来ましたー!』
『マジで?みっちゃんおめでとう!』
『ありがとう!あんたらも早く彼氏つくりなよー。応援するよ!』
『マジで?実は私さ、好きな人居るんだけど。』
『うそ!?誰?初耳なんだけど!』
『隣のクラスの吉田くん。』
『マジかよ!吉田くんって、サチコの事好きって噂じゃん!』
『うん。それで気になっちゃって…気付いたら』
『キャー素敵!両想いじゃん!告白しちゃいなよサチコ!』
『いや、まだ心の準備が…!それより、あんたは何か無いの?恋バナ的な。』
『え、私?私はまだいいかなー。』
『何でよ!そうだ、あんた赤司くんと仲良いらしいじゃん?彼とはどうなのよ。』
『いや別に仲良くないよ。普通。てか赤司くんだけは絶対に嫌だし。』
『ええ、彼かっこいいじゃん!なんで?』
『だって嫌でしょ赤司くんなんて、普通に考えて。』
『そうかな?いや、まあそうかもなー。気持ちは分からんでもない。』
『まあ確かに。赤司くんだもんねー。』
『でしょ?だから、私は当分そういうのは無いと思うよ。』


「…という事らしい。」
「…へえ。」

それなんて私。

聞かれていた。放課後、誰もいない教室で繰り広げていた女子トークを本人様に聞かれていた。私は冷や汗をダラダラと垂らしながら目を泳がせた。
噂話を本人に聞かれる事ほど気まずいものは無い。怒っているだろうか。目が合わせられない。
つまりは、赤司くんがこういう事態になった発端は、巡り巡って私にあるという事なのだ。何というディスティニー。

「弁解の余地はあるかい?」
「ありません。ごめんなさい。」
「そうか。なら、俺はどうしたらいい?」
「え?」
「どうしたら俺の事が嫌じゃ無くなるのか、知りたい。」
「さ、さあ。」

赤司くんの思わせぶりな笑みに、私は顔を引き攣らせた。
ドサリ、視界が反転する。「自分の事なのに分からないんだ。」そう言って私を押し倒した赤司くんは、とても綺麗な顔で私を見下ろしていた。

「女性同士のキスは、キスにカウントされるのかな?」
「知りません知りたくありません離してください。」

ふ、と赤司くんが笑い、「嫌だよ。」そう低い声で囁かれて顔に熱が集まる。やばい、動けない。
色違いの瞳が徐々に降りてきて、ピタリと止まった。心臓が煩い。グッと彼の肩を掴んで押し戻そうとしたら、それに抵抗するかのように唇に柔らかい感触が当たって、すぐに離れたかと思ったら、もう一度、今度は深く口付けられた。

「…、っ」

驚きで力が入らない腕で、必死に肩を押し返す。息が苦しくて、涙が滲む。酸素を求めて口を開けば、その隙間から舌が割入って来て、思わず呻き声が漏れた。
生暖かい感触が舌に絡まって、口内をなぞるように舐められる。扇情的な刺激に肩が跳ねた。赤司くんの「ん、」という妙に色っぽい吐息が妙に頭に響いておかしくなりそうだ。呑まれそうになる気持ちを必死に繋いで、私は彼の肩を何度も叩いた。

ちゅ…と小さい音が耳に届いて、ようやく唇が離された。私は息を大きく吸って、荒くなる息を腕で抑えた。
大層満足げな顔をした彼が、ゆっくりと私の上から離れていく。

『女性同士のキスは、キスにカウントされるのかな?』

…このキスがノーカンなら、大抵のキスはノーカンだ。ふざけるな。
腕を引かれ抱き起された後もしばらく息が整わなかったのは、彼に抱き締められて頭を撫でられていたせいだろう。
だから嫌だったのに。…赤司くんを好きになるなんて。

「赤司くんを好きなった女の子は大変だよ。そこら中ライバルだらけだし、釣り合わないって悩む事になるし、赤司くんにはこうやって振り回されるし。」
「そう?でも俺は名前がいいな。」

だから諦めて。ポンポンとあやされるように背中を叩かれ、そう甘く囁かれれば、もう私には負けを認めるしか道は無い。
クス、と笑った彼の吐息が耳元を掠ってくすぐったかった。





12時を過ぎた私の部屋で、元に戻った赤司くんが男の子の洋服を着て男の子の姿で私を抱き締めた。違和感しか感じない。女の子に戻って。
はっきり言おう。恥ずかしいのだ。男の姿の彼は私には刺激が強過ぎる。
どうして好きと言う気持ちを意識した途端に、こんなにも乙女モード全開になってしまうのだろう。こんな余裕の無い自分は嫌だ。

「私、女の子の赤司くんとなら付き合ってあげてもいい。」
「それは…俺にまた女装をしろと言っているのか。」
「女装というか、あれは女体化だよね。」
「もうあんな目に合うのは御免だよ。」
「なら私が男になる!性転換する!」
「あっ、その薬いつの間に、」

その後、赤司くんの手を掻い潜り薬を飲んだ私が無事性転換を遂げるのか、はたまた何故かネコミミを生やして猫化してしまうのか、もしくは何故か赤司くんにネコミミが生えるのかは、神のみぞ知る話である。



続かない。
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