秘密の海

月明かりすら眩しいと思った。
アリババは目の前の男から距離を取るべく後ずさるものの、背後の壁のせいで思うように距離を取ることはできなかった。
月明かりの元、男は笑みを深めた。何度見ても、この手の男どもの卑しい笑いはどうも苦手だ。
アリババの母親、アニスは娼婦であった。そうして幼かったアリババはそんな母の背中を見て育ってきた。アリババは母が好きであったし、母親がたとえ娼婦であろうと、恥ずべきことではないと考えていた。アニスは強く、そして優しい人であった。周りがなんと言おうと、アリババにとっては自慢の母親だ。
しかしアニスが死に、アリババ、カシム、マリアムだけになると、アニスの客が母親によく似たアリババで性欲処理をしようとした。彼らはまだアリババが性に対して知識が少なかった事をいいことに、好き勝手にアリババの身体を弄んだ。
当時のアリババもその行為の意味をきちんとしていなかったせいで拒むことは愚か、それが当たり前なのだと思っていた。
しかし客の全てがそのようなことをしていたわけではなく、アニスを贔屓にしていた客たちは、アリババに仕事を与えてくれた。それはどんなに小さな事であろうと、アリババは喜んでその仕事をした。アニスの客たちも、そんなアリババを見て、いつも誉めてくれ、アリババはくすぐったい気持になったのだった。
王宮に居るころはそう言ったことはなかったが、王宮を出て、金のない時などには客を取ったりした。――取った、と言うよりも、好き勝手にされ、最後に金を渡されるという一方的なものだった。勿論その頃はもう性に対してきちんとした知識を持っていたアリババは、その行為が死ぬほどいやだった。抵抗もしようと思ったが、しかし否定すれば母親のことすら否定しているようでアリババには出来なかった。
シンドリアに身を寄せるようになってから、誰かに抱かれるなどと言うこともなく、穏やかな日々が続いていた。
だがそんなものも今日で終わりかとアリババは苦笑を漏らした。今目の前に居る男は、昔アリババが抵抗しないのをいいことに、好き勝手に弄んできた奴らと同じ目をしている。
シンドリアに来てから力もつき、以前よりも強くなった。スラムに居た頃や、旅をしていたころに比べると体つきも変わった、アリババは十分に目の前に居る男に勝てる自信はある。だがやはり母親の顔がちらつくのだ。穏やかに、しかし時には厳しく自分を育ててくれた優しい母。彼女は自分を育てるためにたくさんの男に抱かれてきたのだ。これは生きるためだ、母は間違っていないし、勿論自分だって間違ってなんかいない。
アリババはふっと息を吐きだした。
ここで拒否することもできず、アリババはこの行為が終わるまでじっと耐えているしかなかった。だが、だからと言って何もしないのも癪で、先程からじりじりと迫ってくる男から距離を取り、男が飽きるか、誰かが通りかかるかを今か今かと待っていた。
「さっきから、なに焦らしてるんだよ」
男が不意にアリババの腰に腕を回してきたので、思わず肩が揺れた。その反応に味をしめた男は、一気にアリババとの距離を詰めた。こう言う時に限っていつもは夜でも賑わいを見せるシンドリアは静まり返っている。
「前々から思っていたんだよ、綺麗な顔だなあって。それに、君、そう言う気の男によくモテるだろ」
耳元でそう呟かれ、体中に悪寒が走った。気持ちが悪い。いつの間にか股間をまさぐり、荒い息を頻りにする男を見て、その時はじめて強くそう思った。
「……っ」
股間をまさぐる手は的確にアリババの弱いところを攻める。久しぶりの感覚に、ぞわぞわと体中に鳥肌が立つ。
「起ってきたな」
はあはあと荒い息混じりにそう囁かれ、感じている自分の身体に嫌悪感を覚える。この節操なし! 自分を叱咤しながらギリっと奥歯を噛み締め、目を強く瞑る。しかしその様子を気持ちいいからだと解釈した男は、アリババを攻める手を強めた。
「……っあ、ぐ、う」
歯を食いしばっても漏れる声だけがその場に響く。嫌だ。迷宮攻略をして折角、こんな思いからも解放されたと思っていたのに。変われたと思っていたのに、結局あの頃と同じではないか。
目を少し開けると、男の厭らしい笑みが見え、じわりと目に涙が浮かんだ。
こんな男にいいようにされて、情けない。ああもう、誰でもいいから、誰か助けてくれ――!

「なにしてんの」
その声には聞き覚えがあった。バルバットで何度か聞いた声だとアリババが思い出した時には、男の肩越しに声の主が立っていた。
「じゅ、だる……?」
声の主であるジュダルは月に照らされ、いつもよりも不思議な雰囲気を醸し出していた。男は後ろに立っているジュダルに怪訝な顔をし、「何見てんだガキ」とジュダルに言ったが、ジュダルはその男の声など聞こえていないかのように、アリババたちとの距離を詰めた。
「あ、お前あのガキと一緒にいた奴だ」
「名前は確か〜……」とアリババの名前を思い出そうと考え出した。その間男は何か喚いていたが、ジュダルも、アリババすら男の声は聞こえてはいなかった。
「あ! あるばば!」
「……いや、アリババです」
漸く絞り出された答えは少し違い、アリババは少し呆れ気味に答えると「ふうん」と、何とも興味なさ気に返事された。
一気にこの場の雰囲気が変わったことに、アリババは先程の嫌悪感が薄れてきつつあった。アリババは安堵の息を漏らすと、ジュダルはこちらを見てにやりと笑った。
「なに、続きやんないの?」
その言葉にアリババの思考は止まった。男は再びにやりと笑ってから、アリババの首筋に吸いついてきた。
「ひ、っい」
いきなりのことに、無意識に声が漏れ、恥ずかしさで下唇を噛みしめる。恥ずかしい。こんなところを、普段の自分を知っている人に見られたくはない。それが数度しか会っていない相手であっても、やはり、嫌だ。
「っジュダル!」
声を荒げ呼べば、ジュダルは楽しげに笑みを深め、くつくつと笑いだした。
「なに、助けてほしいのかよ」
「……っ」
助けてくれるものなら、助けてほしい。しかし、この場はよくても、このことを誰かに言われるのではないかと思うと怖くなった。それにようよく考えなくても、ジュダルは煌帝国の人間だ。今はもう王政が排除されたが、しかしバルバッド第三王子であり、マギに選ばれた王候補であり、シンドリアの食客であるアリババが、男にいいように弄ばれたなど知られれば、周りにもマイナスになる。兄たちや今は亡き先王、バルバッドの民やシンドバッド、シンドリアの優しい人たち、マギであるアラジンや、自分を慕ってくれているモルジアナにも、どんな顔をして会えばいいのかわからない。彼らが、自分のせいで好奇な目で晒されてしまわないか、それを考えれば不安が募る。
だけど、体中を這い回る手や、鎖骨を舐める舌を思うと、早くこの状況から抜け出したくて、アリババは男の肩を押した。
「は、やく、助けろ! バカ!」
その声に、ジュダルは再び笑みを見せた。


夜の風は温かく、先程までの状況が全て嘘だったかのように、町の中央部は賑わいを見せていた。ジュダルのターバンに乗りながら、その光景をただじっと見つめていると、ジュダルの視線に気付き、アリババは居た堪れなくなった。
ジュダルはよくシンドバットの元に遊びにいくらしいと聞く。いつ先程ののことをシンドバットに言ってしまうのだろうかと考えると、一気に恐怖が襲ってきた。早く口止めをしなければ、後戻りできなくなってしまう。
アリババは意を決してちらりとジュダルを見た。が、ジュダルが先程から穴があくほどアリババを見ているせいで、盗み見るはずがばっちりと目が合ってしまった。
「……、言わないで、くれないか」
目線をずらしながらアリババはジュダルにようやっと言った。言わないでほしい。出来ることなら、シンドバットには一番聞かれたくない。
アリババは小さいころからシンドバットを尊敬していた。シンドバットの冒険書を愛読し、本人に会ってからは、何度か迷宮攻略の話を聞かせてもらっていた。シンドバットの話はどれも面白く、アリババはいつも自分もその場にいるかのように聞いていた。
シンドバットには聞かれたくない。聞かれればいままでの関係全て壊れてしまいそうで、アリババは怖いのだ。
「嫌だ、って言ったら?」
ジュダルの答えには薄々気づいていた。少ししか会ったことも、話したこともないが、ジュダルという人物は捻くれた性格をしている。人の嫌がるところを見ることが好きなタイプの彼のことだ、絶対にシンドバットに言うつもりだろう。
助けてもらうんじゃなかった。アリババが後悔していると、ジュダルはそんなアリババを見て少し考え込んでから小さく笑った。
「いいぜ、言わないでやるよ」
「ほ、ほんとか!?」
「その代わりに」
ジュダルの返事は予想していたものとは違っていたが、しかしその後に続いた言葉に、アリババは嫌な予感がした。こう言う時のものは、嫌でも当たる、昔からそうだった。
アリババはジュダルに向き合った。
「その代わり、さっきの続き、俺にさせろよ」
ジュダルの笑った顔は、先程の男とかぶり、アリババは目眩を覚えたが、数度頭を空振りその残像を消し去る。目を瞑ると柔らかい笑みで迷宮攻略の時の話を聞かせてくれるシンドバットの顔が浮かび、泣きだしたくなった。あの笑顔が見られなくなるのが、一番怖かった。
「いいぜ、やろうか」

「っあぐ、ふあ、んん」
ジュダルのまだ完全に起ちあがっていないものを口に含み、アリババは必死にジュダルが達するように刺激を与え続けた。
あの後、魔法のターバンで王宮まで戻り、アリババに与えられた部屋でふたりは行為をはじめていた。
ふたりと言ってもアリババがジュダルを奉仕し続けているだけで、ジュダルは一度も動いていない。
何故ばれたくないと言うのに王宮でするのかと聞いたが、ジュダルは特に返事もせずに、行為を促してきただけだった。
そうと決まれば、と、アリババの動きは性急だった。早く、早くと急かされているように、必死にしゃぶりつく。ジュダルが達すれば、満足して帰っていくだろう。そう願い、ただひたすらにジュダルのものを奉仕する。
ジュダルはそんなアリババを見ても、どうしても楽しくなれなかった。もっと嫌がる姿が見たいのに、これじゃあ何も楽しくはない。
これも全てシンドバットへのあてつけだった。シンドバットがアリババを気にかけているのは一目でわかったし、アリババもまたシンドバッドを尊敬しているとわかった。ふたりの関係はまるで絵に描いたように美しく、ジュダルにとって。それがどうにも気に食わなくて仕方がなかった。
シンドバットは何にでも真剣で、誰にでも優しい。それの延長だろうと思っていたが、今回は少し違うようだった。アリババに対して、彼は誰よりも優しかったし、子供のようだった。それがジュダルの見間違いなのかなんなのか、それはわからないが、ジュダルはそんなシンドバットが気に食わないのだ。
美しいものや綺麗に並べられたものを、ぐちゃぐちゃに汚してやりたい、犯してしまいたい。身体の内側からふつふつと湧いて出るそのどす黒い感情をジュダルはいつも持て余していた。
めちゃくちゃにしてしまうと、それを見た人は悲しみ、顔を歪める。その顔を見るのが堪らなく好きであったが同時にもっと焦がれるのだ。もっと! もっと! と体中で転げまわるこの感情は一体何なのだろうか。それが分からなくてまた壊していく。悪循環。堂々巡りだ。
無意識に舌打ちをすると、アリババの身体はビクリと震えた。こちらを見るアリババの目は潤んでいて、泣かせたい、もっと傷めつけたい、と強く思った。
「自分で、穴解して、自分でしてるとこ見せてよ」
顎を掬うようにして上を向かせれば、案の定、アリババの顔は歪められ、目を泳がせた。その反応が楽しくて、アリババにこんな顔をさせているのだという優越感に、心の底からなにか黒いものが湧き上がるのを感じた。いつものそれに似ていたが、あれに比べるとそれが妙に心地よくて、ジュダルは知らぬ間に笑っていた。
「言ってもいいんだけど」
動きを止めていたアリババに対しそう一言を付け加えると、その言葉にアリババは絶望と、やるせなさに歯を食いしばり耐えた。
母親の代わりに性欲処理として使われていた時は、一方的に行為を進められていたが、いまは違う。アリババは上体を起こし、ジュダルに促されるまま、横たわったジュダルの上に跨り、後ろの穴を解すため、自分のものに手をかけた。
まだ反応を示していない自分のものの裏筋、尿道口などを擦り、早く射精するよう努めた。その様子をじっと見られ、恥ずかしさに頭をかきむしりたくなったがそれに耐え、アリババは自慰を続けた。
「ん、は、はあ、あ」
「気持ち良さそうだな」
「っせえ……んっ」
しばらくして達すると、それを後孔に塗りひろげ、ゆっくりとならしていく。この感覚には何度経験しても慣れない。それに自分で自分の肛門を広げるなど、何とも滑稽だ。アリババは異物感に耐えながら指を一本入れた。
「ぐっは、あう、はあ、あっ」
時間が経つにつれアリババの荒い息遣いと、漏れ出る声が大きくなる。ジュダルは必死に後ろを解すアリババを見ていると、先程の黒いものがまた湧き上がるのがわかった。もっと、もっと見たい。ジュダルはその一心で自分の腹の上に置いてあったアリババの腕を引き寄せ、アリババの口を塞いだ。
間近で見るアリババの目は、ジュダルだけを映していた。潤み、その瞳には、こいつの世界には自分だけが住んでいるように思えて愉快だった。アリババの未来の明かりを、自分が、自分だけが握っているのだと思うと、その目に齧りつきたくなった。
舌を絡め、最後にじりじりと舌先甘噛みする。痛みに歪むアリババの顔を間近で見、ジュダルはいっそう噛む力を強めた。
「お前のその、痛みに歪んだ顔、嫌いじゃないぜ」
ジュダルの言葉に、アリババは暗い闇に落とされたような、そんな感覚がしたのだった。
最後に舐めたアリババの眼球は、今まで口にしたどんな蜜や、糖なんかよりも甘美で、ジュダルたまらずアリババの瞼を食んだ。




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