わたしのすべて

確かにあの時、私は待っていたのです。
彼が戻ってこいと私に言ってくれるのを。私の手を取ってくれるのを、今か、今かと。
その時の私はそればかりでした。その思いだけで生きながらえているようなものでした。


     ***


青峰の息遣いが聞こえる。この空間で音を発しているのは、きっと彼だけだと思った。自分はまるで人形のように、死人のように、そこに居るだけだった。客観的にこの光景を見れば、滑稽な場面なのだろうと思う。
「テツ、お前いい加減何とか言ったらどうなんだ!?」
誰か周りに居ればすぐに飛んできそうなほどの声で、青峰はそう叫んだ。その声色は、怒りで震え、そしてどこか泣きそうであった。
しかし黒子は尚もその光景をただ見つめる。息を顰めることなく、ただただ、青峰の姿を目に焼き付けるだけだ。
そんな黒子に焦がれたのか、青峰は力いっぱい近くのロッカーを殴った。見ればそれは緑間のもので、少しへこんでいた。明日の部活で小言を永遠聞かされるかと思うと少し鬱だ。――ああでも、明日から僕はバスケ部の一員ではないのでしたね。
そう頭の中で冷静に考えていると、なんだか全てのものがばかばかしく思えてきた。自分がバスケ部員であったことも、青峰が怒っていることも、自分がキセキの世代のシックスマンと言われていたことも。青峰と、相棒だったことも。
青峰は何も言わない黒子を見て、怒りで顔を強張らせたが、だがすぐに力なく、怯えているかのように、顔を歪ませた。似会わない。そう思った。青峰大輝と言う男は、どこまでも自分勝手で、いつも強気で、どんな時でも楽しそうに笑う。そんな人だと思っていた。
だのにいまの青峰と言えば、弱弱しく、頼りなさ気にその目で黒子からの助けを待っている。不思議な気分だ。あんなに強かったのに。あんなにかっこよかったのに。あんなに光り、輝いていたというのに。
青峰はとうとう泣きだした。涙は流さず、静かに。そうして唇を戦慄かせ、数度何かを言おうとして、やめた。意気地なし。黒子は頭の中で悪態をついた。
青峰は自分を置いて行かないでほしいと願っている。対して黒子はひきとめてほしいと思っている。だがどちらも何も言わないし、踏み出せない。踏み出さない。
自分たちには何かが極端に欠けていたのだと思う。意気地なしなのは果たしてどちらか。それはもう、答えなんて当に出てしまっている、使い古された問いだ。
「青峰くん」
黒子の声は、自分が思っていたより冷たかった。改めて自分の声を聞くと、こんなにも感情が欠落していたのかと驚かされる。だがその声にも、青峰は救いを求めた。彼は今自分が居る闇から連れ出してほしい一心であった。
「僕は、きっと君を救い出す光には成り得ない。君の影で居るには、君の光は僕には強すぎた」
すみませんと言った自分はどんな顔をしていたのか。青峰は目を見開き、唇を歪ませ、何も言えなくなってしまった。
自分は青峰を捨てた。何が間違いだったのかと問われれば、出会いからもう既に間違いであったと断言できる。出会わなければ、こんな風に二人交わることさえなければ、自分は今もただのバスケ部員であった。それ以下でも、それ以上でも、成りたくはなかった。そんな結果しかないのであれば、それが一番の幸せだったと胸を張って言える。だがもしもう一度自分たちが出会う前に戻り、もう一度今までの時間をやり直すことが出来たとしても、同じ結末だったと、そう思うとどうしようもなく目の前の彼との時間が愛しく、そして憎くも思えた。
最早ここに居たところで、きっとこの状況は変わらないだろう。黒子はベンチに置いていた鞄を手に取り、そのまま帰ろうと踵を返した。
「……テツ」
覇気の感じられない声が黒子の身体を引きとめる。振り向けない状態で声の続きを今か、今かと待った。心臓が壊れるのではないかと言うくらいに鳴り、手にはじわりと汗さえ滲んできた。
「テツ、俺を……、俺を裏切るのかよ」
その言葉に、ああ、と思った。彼はどこまでも自分を信じ、必要としているのだと改めて気付いた。しかしそれではダメなのだ。ここで自分から青峰の元に帰ったとしてもなにも意味はない。
以前、黒子は青峰の中の自分の存在理由を青峰に問うた。そうして青峰は黒子に好きだと、黒子が居るからバスケが楽しいのだと、そう言った。それで充分だったのだ。彼とするバスケは他の何よりも楽しく、自分の青春は彼の為に在るのだと恥ずかしいことだって、当たり前のように思っていた。だが青峰はバスケから遠ざかってしまった。自分の存在理由である青峰とのバスケは、どこかへ消えてしまったのだ。
じゃあ自分は何のために存在しているのか。誰の為にバスケをしているのか。そんなものバスケが好きで、勝ちたい為であり、冷静に考えれば青峰の為にしているのではないと理解できる。だが、自分が一軍に居る理由はなくなってしまった。パスをしないシックスマンなど、初めから無に等しい。
急に自分に縋る青峰が、今まで自分が追いかけ、焦がれ続けた青峰大輝とは別の誰かのように思えてきた。これは、誰だ。自分に縋り付くこの男は、本当に自分の光だったのだろうか。
黒子心臓の高鳴りが収まるのを感じた。そして瞬時に冷静になった頭で、このままここに居てもなにも変わらないことを再確認した。これではダメだ。お互いがダメになってしまう。今すぐに彼から離れなければいけない。その思いで黒子は止まっていた足を前に動かした。
「さようなら、青峰くん」
部室を出てから、あんなこと言わなければよかったと後悔した。


     ***


むかしむかし、とても強く、何ものにも侵されない光がありました。そしてその近くにはいつも、影が居ました。二人は離れることなく、共に居ました。それが当たり前でした。
しかし光は強すぎたのです。強すぎたせいで、いつのまにか影は小さくなっていきました。段々小さくなっていく影に、光は泣きだしてしまいました。それを見て、影は笑うだけでした。そうしてとうとう光の近くから影はいなくなってしまいました。
「影が居なくちゃ、光っている意味なんてない」
そう言った光は、光を鈍らせ、消してしまいました。めでたし、めでたし。


     ***


久しぶりに会った青峰の目は、最後に部室で見た時とは大きく変わってしまっていた。しかしそんなことより、彼がまだバスケをしていたことに安堵した自分が居た。
自分はキセキのみんなに本当のバスケを知ってほしい。今の彼らのバスケが嫌いだと、そう火神に言った。だがそんなこと建前だ。本当は青峰の光をもう一度見たいだけだ。また彼のあの強い光の下、彼と笑っていたかった。彼の影になりたかった。自分が追い続けた光を、焦がれ続けた彼を、もう一度。
自分はただ、彼の隣に在りたかっただけかもしれない。そう考えると、妙に納得して、自分の浅はかさに涙が出てきそうだった。
だが再会した青峰は自分を裏切り者だと目で訴えてきた。もう、自分の知る彼ではないのだと、その時になって漸く理解し、同時に胸のどこかで何かが叫び続けている。けれどもそれが自分には少しも伝わることなく、胸で沈殿していく。息をするたび、心臓が動くたび、青峰を見るたび、それがしこりになって黒子の動きを鈍らせる。
確かに黒子は自分から青峰の元を離れた。それは曲げようもない事実だ。しかし黒子は待っていたのだ。あの頃の青峰を。自分を相棒だと言って悪戯に笑う彼を。自分のパスを絶対的なものだと信じてやまなかった彼を。自分を尊敬すると言った彼を。自分を、好きだと顔を赤くする彼を。待っていた。待っていたかった。
それなのに、彼は自分を裏切ったと言う。自分の存在を否定する。自分の決断は本当に正しかったのだろうか。あの時青峰の前から消えて、それで本当に、彼は元に戻るのだろうか。もし自分がこの試合で勝ったとしても、青峰は自分を迎えにはきてくれないと、そう確信めいた何かが湧き上がる。待っていた。彼の光にもう一度照らされたい。しかしそれは本当に許されることなのだろうか。
だが肝心の試合は負け、自分の非力さに改めて気付かされた。
最後に自分の隣を通り過ぎて行った青峰は、以前よりも大きくなっているようで、この人が自分の相棒だったのだろうかと思った。だがプレイスタイルも、感じた体温も、声も、全て彼のものであり、それら全てが彼が青峰大輝だと証明していた。
「圧倒的な力の前では、力を会わせるだけじゃ……勝てねーんじゃねーか?」
去り際に、火神が言ったその言葉が重く黒子の身体に沈み込んだ。自分ではやはり役不足なのだろうか。本当に彼を待っていて、いいのだろうか。だが諦めることだけはできなかった。青峰がそれを望んでいなかったから。彼に光っていてほしかったから。しかしそれがイコール負けと言う訳では決してない。悔しさと、やりきれない思いで壁を叩いた。その拳は青峰のように強くはなかった。
あの日の青峰を思い出すと、どうにも胸がざわつく。もしもあの時自分が青峰の手を取っていたなら、彼と同じ高校に入学して、彼と一緒に全国を目指していたかもしれない。そこまで考えて、バカバカしさで、少し泣けた。


     ***


むかしむかし、とても綺麗な影が居ました。その影が綺麗に存在するためには、強い光が必要でした。ですから、綺麗な影の近くにはいつも光が居ました。影は強い光に焦がれました。彼の光は強く、温かく、心地よかったからです。そして光もまた、影に焦がれていました。二人は交わることなく、隣にいつも在りました。しかし影は他の感情を持ってしまいました。光に惹かれ、焦がれすぎていたのです。影は思いました。光に必要とされていたい。光と一緒になりたいと。だがその思いは、突然光を濃くした彼の前では意味をなしませんでした。光が強すぎたせいで、影は色を失いました。影は悲しみました。影を消してしまうなら、こんな光なんていらないと、泣きだしました。影はそんな光を見て悲しくなりました。光は温かく、心地よく、影はいつも輝いていてほしいと願っていました。そこで影は決意しました。彼の前から一度姿を消そう。そうして光る彼に、も一度見つけてもらい、迎えに来てもらおうと。
影が消えてしまうと、程なくして光も消えてしまいました。影は待ち続けましたが、光はまた光ることを避けました。そうして光は影を迎えに来ることはありませんでした。めでたし、めでたし。

わたしのすべての暗闇を、わたしのすべての常闇に。 わたしのすべての幸福を海に、わたしのすべての不幸 を底に。わたしのすべてをあなたに、わたしのすべて があなたに。




人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -