それは恋の真似事

次第に荒くなる自分の呼吸に、自嘲気味に笑む。はああ、と熱を孕んだ息を吐きだし、自分のものを握る手に力を込める。ぐちりと粘着質な音を立て、月明かりの下てらてらと厭らしく光っている。
滑稽だなと思う。こんな、自分の欲求に忠実な行為も、浅ましく荒げる呼吸も。何もかもが。
「……っく、はあ、ん」
自分を攻める手を早める。少しずつ潤む視界で、自分の腕が、あの日のアリババのように白く光っている。ぐっと下唇を噛みしめ、目を閉じる。あの日に繋がるようなものが一つでもあると、すぐにあの日の、熱っぽいアリババを思い出してしまう。
目を閉じ行為にだけ集中する。早く、早くと急く手とは裏腹に、思考は忘れようと努めていたアリババで一杯になっている。あの真っすぐ、そして少し潤んだ目も、自分の腕や肩に触れたあの指先も、柔らかく言葉を紡ぎだすあの唇も、しっとりと汗をかいたあの肌も、思い出せば思い出すほど、気付けば先ほどよりも昂る自身に歯を食いしばる。こんなことをしたいわけではない。忘れなければ。自分は、何をしているのだ。しかし止められない。悔しいことにいつもより行為が気持ちいいのだ。
「はあ、あ、ぐっ」
漏れる吐息とも嬌声ともつかない声を、閉じ込めるように唇を引き締める。もしいまアリババがこの部屋に来るようなことがあれば、一体自分は、アリババはどのような反応をするのだろうかなど、無駄なことを考えているあたり、白龍の思考はもう既に溶けきっていた。
そしてこの異常な状況で力なく笑ったアリババの顔が思い出される。その顔は、居酒屋で見たものでも、中庭で見たものでもなかった。脳内のアリババは一糸まとわぬ姿で、惜しげもなく自分のしなやかな肢体を白龍に見せつけていた。あの暗闇で発光する身体が、妙に色っぽく、そして扇情的だ。不意にアリババが自分を呼ぶ声を思い出し、脳内のアリババとリンクされる。ビクリと大げさに身体が揺れた。それと同時に自分のものが爆ぜたのがわかった。
わかっている。このアリババは白龍が創造した架空のもので、実際にそんなアリババを、白龍は見た事も聞いたこともない。
そっと視界を開けると、そこには自分の醜く欲に忠実な性器しかなく、白龍はどうしようもない疲労感と、言いようのない罪悪感に苛まれた。こんなことをしたいわけではないのに、自分はなにをしているのだ。
近くにあったティッシュで適当に手と自分のものを清め、衣服を正すと、ぼすりと寝台に身体を預ける。あの日から、何をしている時でもアリババのことが頭から離れなかった。別に特別仲がいいと言うわけでも、特別な感情など抱いていたわけでもない。しかしなぜだか、あの日、アリババに絡まれてからと言うもの、何かあるごとに思いだす。あの顔も、声も、仕草も。脳内で、鮮明に。
もう、寝てしまおう。考えるのも、なんだか、酷く疲れる――
寝返りをうち、顔を埋めると、白龍はそのまま意識を手放したのだった。




目が覚めると、辺りは白く、まだ夜は明けきっていないようだった。「寒い」白龍は声を漏らし、開きっぱなしになっていた窓を睨んだ。寒い原因はわかっているが、動くのが億劫だった。しかしこのまま寒さを無視して寝続けていると、きっと風邪をひいてしまう。自分は別にいいが、それで周りに無駄な仕事が増えてしまうなら、話は別だ。閉めなくては、と白龍は寝起きのせいであまり力の入らない腕で無理やり上半身を起こし、起き上がった。
窓の外は世界のはじまりのように、静かにそこに在った。シンドリアの夜は賑やかすぎるほどだが、早朝の、この時間帯のシンドリアはどこか物語の世界のようにさえ思う。はう、と息を吐き出せば、少し白くなったそれが漂い消えていく。しばらくそうやって外の世界を眺めていると下から声が聞こえてきた。
「おーい! 白龍!」
下を見れば、そこには太陽さえまだ眠っていると言うのに、キラキラと眩しく輝く光を持ったアリババが居た。はっと息を吸い込み、目を数度瞬かせるが、しかしそれは自分の夢と言うわけではなく、彼は本物のアリババのようで、こちらに手を振っている。白龍は窓から身体を乗り出し、そちらに行くから待っててくれ、と早口にそう言い、窓を閉めることなく、素早く寝巻から着替えアリババの元へと急いだのだった。

息をきらしながら、アリババの元に辿り着いた白龍は、数度深呼吸をした後、アリババに目を向けた。アリババは白龍が落ち着くのを待ってから「おはよう」と一言。その声は寝起きのせいか少し擦れていた。
「お、おはようございます」
アリババの顔を見れば瞬時に昨日の事を思い出し、居心地悪くて視線を彷徨わせた。わざとらしかったか……、と自分の行動に後悔していると、気にした素振りを見せず、アリババは「まだ寒いなあ」などと言っている。白龍はほっと息を漏らし、「そうですね」と落ち着いた声色で返事した。
所詮、あれは自分の妄想だ。本人は知る由もないのだから、堂々としていればいいのだ――
白龍は自分にそう言い聞かせると、改めてアリババに目を向けた。
「それにしても、こんな早朝にどうかしたんですか?」
自分は寒さで目を覚めたのだが、アリババはどうやら違うようで、外にまで出ていた。何故だろうかと言う疑問が意識に反して口から漏れていた。その疑問をアリババは少し曖昧に笑って見せ、「白龍は?」と質問で返されてしまった。まさか質問返しをされるとは思っていなかった白龍はぎくりとした。昨日貴方で自慰をし、そのまま寝てしまったせいで寒くて起きてしまいました。など、素直に答えられる訳もなく、白龍の頭は朝早くからぐるぐると回転していた。
「ま、窓、開けっ放しにしていたせいで、寒くて起きてしまい……その……」
歯切れ悪くそう答える。別に嘘はついていないのだが、やましい気持ちがある分、どうしても舌が上手く回らない。自分がこんなにも嘘が下手だったことに驚きつつも、誤魔化すように後頭をかく。
「顔、赤いけど熱とか大丈夫か?」
ひやりとした手のひらが、いきなり額に触れ、白龍はびくりと身体を震わせた。思わずアリババの目を見れば、アリババは心配するように、こちらの様子を窺うように、白龍を見つめている。いつのまにか顔が赤くなっていたことや、身体が面白いくらいに動いたことに恥ずかしさを覚えつつも、白龍は目線をゆっくりと離した。
「少し、身体がだるいので、もう、部屋に戻ります。すいません」
「大丈夫か? 悪い、呼びだしちゃって」
本当に申し訳なさそうなアリババを見て良心が痛む。本当は身体なんてだるくない。ここから逃げたいだけだ。
最近こんな気持ちばかりが白龍の思考の半分以上を占める。
アリババのことばかり考えている癖に、いざ本人と居ると、その場から逃げだしたくて仕方がないのだ。その理由など知らないし、知りたくないと、本能が言っている気がする。――自分は多分この感情の名前を知っている。だけど気付いたらそこで、終わりだと言うことも、分かっている。
白龍は額から離れたアリババの手を目で追い、自嘲気味に笑うと、小さく目を閉じた。
「時々寝られなくなるんだ」
真っ暗な視界で、アリババの声だけが聞こえた。その声に導かれるように、ゆるりと目を開けると、視界にはアリババの手と、お互いの足元だけが見えた。
アリババの声は穏やかで、しかしどこか寂しさも滲む。子守唄のようだと思った。アリババの声はどこまでも耳によく馴染み、温かい。
「母さんが死んで、カシムも、マリアムも居なくなって、王宮で一人寝ていたあの頃を時々思い出して、無性に寂しくなっちまうんだ」
「駄目だよなあ、こんなんじゃ」と苦笑を顔に張り付けそう言うものだから、白龍は思わずアリババの手を取った。冷たい。何時ぞやの時とは大違いだ。
何が駄目なのか、白龍は分からなかった。王子として駄目なのだろうか、年のくせにこんなのでは駄目だと言う意味なのだろうか。分からないが、しかしそんな顔はしてほしくはなかった。
「駄目じゃないです。アリババ殿は、駄目じゃないです」
気のきいたことを生憎白龍は言える余裕はなかったが、それでも伝えたかった。アリババは強い人だと知っている。ザガン攻略中に、どれほど自分が救われたことか。もし本当にアリババが駄目だと言うのなら、自分は何だと言うのだ。悔しいが、自分がアリババに劣っている自覚はあった。それは力であったり、人間性であったり、形は違うが、白龍はアリババには勝てないのだ。
「もし、またこんな日があれば、良ければ俺の部屋に来てください。シンドリアの朝は、まだ寒いですから」
ようやっとアリババの目をしっかりと見て言った白龍に、アリババはぽかんと目を見開き、そしてふにゃりと、力なく笑った。
「ありがとう、今日白龍に会えてよかった」
アリババのその笑みと言葉に、全身が熱を持ち、何故だか泣きそうになった。必死に頭を左右に振れば、アリババは白龍の手をぎゅうっと握りしめた。その手は力強く、やはり男なのだと再確認させられた。
「今日、実は白龍起きねえかなあって思って窓見てたんだ。すげえ奇跡じゃねえ? これ」
その言葉に、白龍の心臓はもしや耳にあるのではと言うほどにバクバクと煩く鳴り響いた。こんなに近くで、あまつさえ手まで握り合っているのだ。手から自分の鼓動がアリババに伝わってしまうのではとありもしない不安で、白龍は握り合ったその手を見つめた。聞こえませんようにと頭で唱えていると、アリババは何も言わなくなった白龍を不思議に思い覗きこんできたので、白龍は一瞬呼吸が止まった。じわじわと涙で潤んだ目が、アリババの顔を滲ませる。顔が妙に熱い。握った手も、熱い。
「白龍、送って行こうか?」
眉を垂らせそう言ったアリババは、愛らしい犬のようだ。白龍はばっと勢いよく手を離した。
「結構です!!」
思っていた以上に出た声に、アリババが怯んだ瞬間、白龍は脱兎の如くその場を去った。
心臓が痛い。こんなの、知らない。こんなの、気付きたくなかった!
緑射塔に着くと、柱に寄りかかり、そのままずるずると力なくしゃがみこんだ。いつアリババが戻ってくるかわからないが、しかしもう動く力が、白龍には残されていなかった。
膝を立て、両膝に額を押し付ける。どこもかしこも熱い。彼は本当に太陽のようだ。近づいたら近づいた分だけ身体が燃えるように熱くなる。彼の言動ひとつ、行動一つが、白龍の身体に熱を灯す。こんなの、まるで自分がアリババのこと、
「好きだ」
言葉にしてみると、驚くくらいにすとんと胸におちる。そしてそれと同じくらい、後悔する自分もいた。口に出さなければ、自覚しなければ、まだ、逃げることはできたのに、もう、こうなったら逃げられないじゃないか。
額を膝に擦りつける。そうすると、冷たかったアリババの感触が熱を帯びる。力なく笑った顔も、冷たい手の温度も、太陽のように発光する髪の毛も、目も、温かな声も、全てが白龍にとっての特別になっていた。
「好き、好きだ。好きです。あなたが。どうしようもないんです。……好きなんです」
視界が揺らめいて、ぽたりと一粒滴が落ちる。それは布に吸い取られ、色を濃くする。
白龍は小さい頃から姉に様々なことを学んだ。料理も、礼儀も、武術も、たくさんのことを、学んできた。それは白龍を成長させ、無駄になることは一度もなかった。しかしこれは知らない。この感情の扱い方を、白龍は知らなかった。




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