ただ沈んでいく午前4時

多分この先もずっとずっと君は俺の先を行くのだろう。恥ずかしい話彼に比べ極端に足が短い俺は、彼と並ぶことはおろか、追い越すことだってできないのだ。なんて悲しいことだろう。切ないなあと口に出しても泡だけが口から溢れて、音なんて出やしなかった。なんて出来の悪い体だろうか。欠陥だらけの俺の体は、重力に従い沈んで行く。ゆっくり、ゆっくり、溶けるように。侵されるように。

くあ、と小さなあくびがもれ出た。生ぬるい風が頬を撫でて、眠たいと思った。普段ならもう眠っている時間だが、今日は外に出ていた。いつものように、おっちゃんの依頼について行き帰りが遅くなったわけではない。しかもおっちゃんや蘭には博士の家に泊まると言って家を出たのだ。実際、今日泊まる約束も、ましてや一度も博士に会ってはいない。今日は依頼でも博士でもなかった。目の前で黒に溶け込む彼に目をやる。グレーのTシャツにハーフパンツと、なんとも楽な格好をしたそいつは、まるで小さな子供のようにきゃっきゃと騒いでいた。
「お前も来いよ!」
「……いい。海苦手だし」
「あれ、そうだっけ」
「そうだよ」
取って付けたような言い訳をする。確かにベタベタするから苦手ではあるが、海は割りと好きな方だ。暑いのは大嫌いだけど。黒羽を見れば、俺と見た目変えるか? ってくらいはしゃいでいて、見ていて楽しい。なんだかそれに、少し安心してしまうのだ。

「俺さー、もう、やめるよ」
海に足を入れながら、何事もないように黒羽はそう言ったから、俺はごくりと息を飲み込んだ。やめると言う意味を、彼はきちんと理解しているのだろうか。喉の奥がじくじく痛んで、むしょうに泣き出したくなった。息が上手くできない。辛うじて、かすれた声で「うん」と返事を返した。黒羽は然程気にしていないように、笑顔を絶やさない。それがなんだか悲しい。
「俺はさ、お前に追いかけられるの、嫌いじゃなかった」
黒羽の声はどこまでも柔らかかった。
「俺は親父を追いかけてた。ただがむしゃらに。だけどお前が、名探偵が居てくれたから、…嬉しかったんだ。誰かに求められるのって、はじめてだったから」
歯を見せ笑い、黒羽はゆっくりとこちらに歩み寄ってきた。
こいつはきっと海がよく似合うと思った。思ったから海に行きたいと頼んだ。最後だからと言えば、黒羽は少し寂しそうだった。そうして、お得意のハンググライダーではなく、電車で海まで来た。しかし電車は終電で来たせいで、帰りは始発まで待たなければいけなくなった。もっときちんとした計画をたててくればよかったのに。だけど、それでもいいと思えた。

今日は最後だった。なにもかも、すべて。黒羽は怪盗キッドをやめて、俺は江戸川コナンを、殺す。薬はもう出来上がっていた。だけどそれを飲むことに俺は少し渋った。時間がほしいと灰原に言えばわかったと相変わらずの呆れ口調で言われた。江戸川コナンは知りすぎてしまった、なにもかも。それが、良いことだろうと悪いことだろうと、周りはそれを消したがった。工藤新一に戻る一週間前に、俺が関わった人すべての人の、江戸川コナンという人物の記憶が消された。そして俺も、工藤新一に戻ると消される予定だ。最後に残ったのは、灰原と黒羽だけ。灰原に関しては、記憶を消されないらしいが、黒羽は俺との関わりがない。否、俺との関わりはすべて怪盗キッドとだった。だから周りも諦めたらしい。黒羽は知ってか知らずかそんな俺を呼び、そしていまだ。
「…お前は、忘れちまうんだよな」
悲し気に揺れた唯一の言葉。俺はできるだけいつもの調子でそうだなと言い、下唇を噛み締めた。
俺が渋っていた理由はこいつだった。怪盗キッドの終わりと共に、キッドキラーも消そうと思ったのだ。黒羽もそれをわかっていたかのように、敢えてそれを俺に報告してくれた。どこまでも優しいやつだよな、と頭で呟いた。なんとなく、黒羽の顔は見れなかった。
「工藤新一に戻れば、俺との接点はなくなっちまう。正直憎いよ、工藤新一が」
「…黒羽」
「うん?」
「お前のショーは、楽しかった。俺は、お前が思ってる以上にお前が好きだ」
「ありがとう、俺もだ」
悲しい告白だと笑われるかもしれない。明日には無効で、一方は忘れ去ってしまうのだ。言葉も、気持ちも。厄介だな、俺たち。笑えやしない。
「俺はきっと、良いやつじゃないから工藤を憎むよ、うんとな。そんで一頻り憎んだら、そしたら会いに行くよ。名探偵に会いに、何年先か、わかんねえけど」
「それを待てって? 俺は待つのが苦手だ。いつも待たせてきた。待たせて寂しい思いをずっと。だから、罪悪感でいつか死んじまうぞ」
「名探偵を殺すんだから十分だよ。いや、足りないくらいだな」
そう笑って、黒羽と触れるだけのキスをした。なんだかそれが合図のように、闇が襲いかかる。黒羽はまた、俺の遥か前。体が戻っても、きっとこいつには追い付けない。工藤新一なら尚更、追い付けるはずがない。
いまが一番なのだ。それはわかっている。だけど、俺は欲張りだから、戻りたい。お前と少しでも同じ景色が見たいのだ。それが間違いだとわかっているからこそ、泣きたくなるし、悔しくもなる。
「……コナン」
最期に名前を呼ばれた。俺にはもう思い残すことはなにもないのだ。




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