その日の狩屋は機嫌が悪かった。目をつり上げて、何度も舌打ちをして、誰が見ても不機嫌だと一瞬で理解できるほどに。その理由はいくつかあった。返却されたテストの点がいつもより低かったこと。部活動でつまらないミスばかり繰り返してしまったこと。しかし一番の理由は狩屋自身もはっきり分かっていない。−−周囲の人間からすれば、それは簡単なことなのだが−−狩屋は訳の分からぬ苛立ちにイライラし、更に機嫌が悪くなる。 狩屋の今日の不機嫌の理由は、実はマネージャーの茜にあった。狩屋は最近、茜と会話する度に原因不明のドキドキを感じている。茜に話し掛けられると素っ気ない返事しか返せず、顔なんてとても見られない。…それが恋であるのは火を見るより明らかだった。しかし狩屋は誰にもそれを誰にも打ち明けていないため、恋だと指摘されることもなかった。最も、サッカー部の皆は狩屋の恋に気づいていたのだが…。そんなことは知らない狩屋は、ただ苛立ちを不思議に、少し迷惑に感じていた。 狩屋は苛立っている。睨むようなきつい視線の先には、茜。茜は部員たちとたわいもない会話をしていた。それだけのことなのに、狩屋の心にはどす黒い雲が広がっていく。そして狩屋は何も考えずに、茜に近寄った。すると狩屋に気づいた茜がこちらを見る。 「あ、狩屋くん、今日どうしたの?」 「どうしたのって、何でですか?」 「なんだか調子が悪そう」 「…別に、いつもと同じですよ」 「本当?」 「……はい」 自分から話しかけに行ったのに、なぜか居心地の悪さを感じて狩屋は俯いた。また鼓動が速くなるのが分かる。どうしてこんな気分になるのか、狩屋は不思議で仕方なかった。それでも、この胸の高鳴りの理由を知りたいような気もする。狩屋はますます自分が分からなくなって、立ち去ろうとした。茜と話していた部員たちはそのもどかしさにむず痒くなり、またかと少し呆れる。茜はそんな狩屋を見てまた口を開いた。 「何かあったら言ってね、心配だから」 その言葉に狩屋はどきりとした。−−まさか、あの茜さんが自分にそんなことを言うだなんて、と嬉しさのようで驚きのような感情が狩屋の中に生まれる。狩屋はそれを誤魔化すように慌てて振り返った。その顔を見た部員たちがアッと声を上げそうになる。狩屋の顔は真っ赤だったのだ! しかし狩屋には自分の顔がどうなっているかなど分かるはずもなく、ただなんとなく熱いと思っていただけだった。茜もまた、その顔の赤みは大して気にしなかった。それより赤い顔のせいで狩屋が怒っているように見え、少し困惑していた。 狩屋は何回か口を開いては閉じ、何を言おうか迷っているようだった。真っ赤な顔で魚のように口をパクパクさせる狩屋が面白くて、部員たちは吹き出しそうになった。だがそんなことをすれば狩屋の機嫌をもっと損ねてしまうし、なにより狩屋と茜の間に漂う空気の中でそうすることができなかった。それはどこか甘酸っぱい、檸檬の香りがしてきそうな空気であった。 やがて狩屋は小さく何かを呟き、「え?」と茜が聞き取れずにいるともう一度息を大きく吸い込んだ。 「…ありがとうございます!」 早口でぶっきらぼうに言い捨てると、狩屋は茜の返事を聞くこともなく駆けだして行った。狩屋の心臓はまだバクバクと音を立てている。心配だから。そう言ってくれた茜の顔が狩屋の頭から離れない。その理由が分からなくて、なぜだなぜだと早すぎる鼓動を聞きながら狩屋は思った。茜は去っていく狩屋の背中を見ながら、怒らせてしまったのだろうかと全く見当はずれのことを考えていたのであった。茜の周りの部員たちは呆れながら、でも微笑ましい二人を眺め、気持ちに気付くのはまだまだ先だろうなと同じことを思っていた。 初恋センチメンタリズム title by 歯車 |