「望っ、望っ!」
 二月十三日。
 会社から帰ってきた兄貴が、これでもか、というほど男前な笑顔で俺を呼んだ。
 はっきり言って、嫌な予感しかしない。
「……なに?」
 しぶしぶ返事をすると、兄貴はニコニコ顔のまま、俺の目の前に一枚の紙を差し出した。
「……なに、これ?」
「バレンタイン弁当」
 兄貴は笑顔を崩すことなく、嬉々として答える。
「いや、そうじゃなくて……」
 どうやら雑誌をカラーコピーしたらしいその紙には大きく「バレンタイン弁当」の文字。その言葉にふさわしく、断面にハートが現れる太巻きや、ハート型の玉子焼き、花ウインナーの作り方なんかが載っていて、可愛らしさには溢れているけれど、その分、男が食べるにしては、ちょっと恥ずかしすぎるような気がする。
 ――まさか、これを俺に作れと?
「あのさ、兄貴……」
「楽しみだな〜、望が作ってくれる、バレンタイン特製弁当! しかも明日は仕事から帰ってきたら、望特製のチョコレートケーキが俺を待ってるんだよな! ああ〜、明日が楽しみだ!」
「………」
 これはなんの嫌がらせですか?





 二月十四日。
 朝、バレンタイン弁当を当然のように無視したら、いつもはそんなことしないくせに兄貴がカバンに入れる前に弁当箱の蓋を開けて中身をチェックした。
「望! ハートがどこにもないじゃないか!」
「花ウインナーは入れただろ」
「俺が欲しいのは花じゃない! 愛だよ、愛!」
「弟に愛を求めるな!」
 花ウインナーだって、俺にしてはかなり頑張ったつもりだったんだけど、それだけで兄貴が納得するはずもなく。
 散々喚かれ、嘆かれ、あげく「チョコレートケーキを必ず作る」ことを(ほぼ一方的に)約束させられてしまった。
 菓子作りなんかしたことないっていうのに、どーすんだよ……。





 放課後、一度家に帰ってから、キッチンにある、母さんが遺した料理本を漁って「初心者でも簡単」「絶対に失敗しない」を合言葉にチョコレートケーキのレシピを選び出し、買い出しに出かける。
 材料を揃えてキッチンに立つと、隣に翼が並んだ。
「……?」
「手伝うよ」
 腕まくりをしてそう言うから、それじゃ遠慮なく、と板チョコを手渡す。
「とりあえずそれ、割って」
「うん」
 さほど広くないキッチンで、二人肩寄せ合って、ぱきぱきとチョコを割る。
「なあ翼」
「なに?」
「チョコ、いくつもらった」
「……気になる?」
 訊かれて、思わず手が止まる。
 俺とはあまり似ていない、男らしく端正な顔立ち。程よく背も高く、余計なことをべらべら喋らないし、なんといっても優しい。
 モテ要素、ありまくりだろう。
 だけどそういうことを考えたとき、俺の胸はちょっとだけ痛くなる。兄として、弟に負けるのはちょっと悔しい。多分、そんな感じで。
「……兄として、ちょっと、な……」
 だからそう答えたら、あろうことか翼は、質問に質問で返してきた。
「のん兄こそ、いくつもらったの?」
「俺は……俺のことはいいんだよ! 秘密!」
「じゃあ俺も秘密。……終わったよ」
「あ、じゃあ次は……」
 本を見ながら同時進行で沸かしていたお湯を大きめのボウルに移す。
「しかしお菓子作りって面倒だよなー。女の子って大変」
「のん兄、女の子じゃないのに大変な思いしてるじゃん」
「まあ、な……」
 お湯が入らないように慎重に、チョコを湯煎で溶かしていく。
「あの兄貴相手じゃ、仕方ないし」
 諦め半分の気持ちでそう言えば、翼の手が、ヘラを握る俺の手に重なった。
 思わず翼を見上げる。
「つば……」
「それでもちゃんと作ってあげるところが、のん兄らしいよね」
 かち合う瞳。
「……そう、か……?」
「うん。俺はのん兄のそういうところ、好きだよ。――これ、続き俺がやるよ」
 そう言って翼はごく自然な仕草で俺の手からボウルを奪い、それと同時に視線を俺からボウルへと移した。
 なめらかに動く手。ゆっくりと溶けていくチョコレート。
 つか、今。
 さりげなく「好き」とか言わなかったか?
 意識した途端に速くなる胸の鼓動。
 違うって、これはそういうんじゃないから!
 必死で自分に言い聞かせていると、不意に翼がこちらを見た――なぜか、笑顔で。
「のん兄の手作りバレンタインケーキを一番初めに味見できるの、俺だよね?」

 ドキドキを追加すんじゃねぇーーー!!

END


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