トントンと小気味良い包丁の音。ぐつぐつとお湯が沸騰する音と、あたりに漂う出汁のいい香り。
 元旦の朝。
 俺は、忙しなく動くのん兄の気配を背中に感じながら、ダイニングテーブルに突っ伏していた。
 気を抜くと、夢の中に逆戻りしそう。
 本当は「まだ寝てていいよ」と言われたんだけど、休日の朝は、のん兄をひとり占めできる貴重な時間だから。
 土日でも、平日と変わらない時刻に起きて家事をこなすのん兄。ヒカ兄も颯も、よほどの用事がなければ昼近くまで寝てるっていうのに、真面目というか、律儀というか。
 まあ、そこがのん兄のいいところなんだけど。
 昨日は久々に帰ってきた父親に付き合わされてヒカ兄もかなり飲んでたし、颯は颯でクラスメイトと二年参りに出かけてたから、しばらくは誰も起きてこないだろう。
 眠気を紛らすためにどうでもいいことをつらつらと考えていたら、いつの間にかさまざまな音は止んでいて、のん兄が控えめに俺を呼んだ。
「翼」
「ん〜……」
「お雑煮、食べる?」
「んー……」
 のそり、と上半身を起こす。空いたスペースにのん兄がお椀を置いて、脇から箸を差し出してきた。
 受け取って、お椀に目を落とす。中には程よく焼き色のついた餅が一個。上に三つ葉が乗っている。
 ああ、うまそう。
 一口汁を啜る。やっぱりうまい。あ、鶏肉入ってる。鶏肉うまいよなー。筍も入ってる。なんか意味あんのかな? お、にんじん発見。にんじんも好きだなー。
 なんて考えながら咀嚼してたら、だんだん頭が冴えてきた。
「おせちも、食べる?」
「うん」
「なに食べたい?」
 テーブルの真ん中に置いてある重箱の蓋を開け、取り皿片手に尋ねてくるのん兄。なんだか至れり尽くせりだな。
「伊達巻」
「翼は伊達巻好きだなー。あとは?」
「よろこんぶ。あと長生きしたい。あ、栗きんとんも忘れないで」
「お金持ちになりますように……だな。了解」
 ふっと笑みをこぼしながら重箱の上を動くのん兄の白い手が、思い出の中の母親の手と重なる。





『昆布やだー』
『どうして?』
『だってぬめぬめしてるし、それに色が気持ち悪い』
 いつかの大晦日。腕によりをかけて作ったおせちを重箱に詰める母親。俺とのん兄は、二人並んで、流れるように動く母親の手をじっと見ていた。
『あら、おせちの昆布には、ちゃんと意味があるのよ』
『え? どんな?』
『よろこんぶ。喜びの多い一年になりますように』
『じゃあ昆布食べるー! ねえお母さん、あとは? あとは?』
『あとはね……』 





 柔らかく目を細めながら、おせちの意味をひとつひとつ教えてくれた母親。
 ヒカ兄じゃないけど、確かにのん兄は母親に似てきたと思う。
 でも、のん兄のポジションは母親じゃ、ない。俺が求めているのは、そこじゃない。
 リクエスト分がきれいに盛り付けられた皿に箸を伸ばす。
「……どう?」
「うん、うまい」
「よかった」
 心の底から嬉しそうに微笑むのん兄。
 今はまだ、このままでいい。
 今この瞬間、この笑顔は、早起きした俺だけの特権だから。

END


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