甘えモード


 その日、勇翔の口から一度も「帰る」という言葉が出なかったので、純平はそのつもりで勇翔の分の夕飯を用意し、食休みのあとで先に風呂を勧め、置きっぱなしになっている服の中から着替えを用意し、先に寝室で待っているように言って自分も風呂を使った。
 手早く入浴を済ませて寝室に向かうと、勇翔はベッドの上に乗り、携帯を弄っていた。が、純平に気づくとすぐに携帯の電源を落として枕元に放る。そういうところがいちいち可愛くて、純平は自分もベッドに上がると、勇翔の細い体を抱きしめた。
 いつもならここで、勇翔の口から悪態のひとつやふたつ、飛んでくる。だが今日はおとなしく純平にされるがまま。それどころか純平の肩口に額を摺り寄せてきた。
(今日は、甘えモードか?)
 髪を撫で、小さなキスを散りばめながら、純平は思う。今日は勇翔が泊まるつもりなのだとわかったから、すっかりその気でいたが、勇翔はどうやらそういう気分じゃないらしい。
 目を閉じてうっとりと純平に体を預けてはいるが、官能からは程遠い雰囲気だ。
「勇翔」
「んー?」
「今日は、甘えたい気分、なのかな?」
 声に残念そうな響きを滲ませないように気を遣ったつもりだったが、言葉の途中で、そう問いかけることで自分が本当は何を望んでいたのかが露になるのだと純平は気づいた。
「いや、いいんだ、いいんだよ、甘えてくれて」
 慌てて言い繕ったが、勇翔はどうやら純平の本音に気づいてしまったらしい。純平から体を離すと、ふい、と顔を背けてしまった。
 勇翔が意固地になると、一緒に寝ないと言い出す可能性がある。せめてそれだけは避けないと。せっかく勇翔と一緒にいられる休日。勇翔がそうしたいと思ってくれていたように、純平だって、勇翔とくっついていたい。そのためだったら、ほんの少し顔を出していた自分の情欲を抑えるくらいなんてことない。
 だが勇翔は、顔を背けたまま、予想外の言葉を口にした。
「アンタがしたいんなら……別に、俺は、それでも、いいけど……」
 尻すぼみの言葉は、きっと、勇翔の精一杯。それが嬉しくて純平は、勇翔をぎゅうっと抱きしめた。
「ありがとう。でも、勇翔が辛いだろうから、今日は手でするだけにしよう」
 元々、勇翔にはその気がなかったらしい。どうしても体に負担がかかる勇翔のことを気遣い、純平は自分なりに考えた妥協案を示す。だけど純平が予想したよりも、勇翔の反応は思わしくない。
「そんなん……」
「ん?」
「そんなん、嫌だ」
「でも、体、辛いだろう?」
「だって俺、アンタにあちこち触られたら絶対、欲しくなる……!」
 本人にその自覚がなくても、勇翔の台詞は完全に純平を煽っている。
(参ったな……)
 いつの間にかこの、年の離れた弟に夢中になっている。そんな自分を嘲笑いながら、純平は勇翔の赤く染まった頬を挟んで自分のほうを向かせ、その唇に深く口づけた。

END


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