キスの日


 明け方、肌寒さに純平は目を覚ました。
 枕元に置いてある目覚まし時計を確認したら、ベルが鳴るまでたっぷり一時間はある。
 初夏の気候は変わりやすい。昨日までの陽気とは一転、今朝は冷えこみが厳しい。そう思いながら首元まで布団を引き上げる。すると、隣で寝ていた勇翔が、すり、と胸元へ身を摺り寄せてきた。
 おそらく勇翔も寒かったのだろう。体を小さく丸めるようにして、純平にぴったりと寄り添っている。
 かわいいなぁ。
 思ったが、口には出さず、心の中に留めておく。
 両親が離婚したのは、純平が十五歳、勇翔が六歳の時だった。
 元々、あまり家庭的とは言えない母親だった。何よりも、仕事を第一に考えるような人だった。勇翔に手がかからなくなってくると、母親はますます仕事にのめりこむようになった。帰宅が深夜に及び、父親が台所に立つ回数が増えた。
 子供なんて、予定外の行動をとる生き物だというのに、予定を崩されることを何より嫌う母親に、怒られ、八つ当たりをされ、嫌な思いをしたことも一度や二度じゃなかった。
 だから思わず言ってしまった。なにも考えずに「お父さん、もう離婚すれば」と。
 まさか、勇翔の親権が、母親のほうにいってしまうとは思わなかった。明らかなネグレクトが認められない以上、幼い勇翔には母親の手が必要だと、司法は判断したのだ。
 それきり、純平の記憶の中の勇翔は、六歳のまま止まっている。
 面会権が認められている父親にたびたび写真を見せてもらってはいたが、勇翔が成長しているという実感はなかった。
 それが今はこうして、体温を感じられる距離にいる。
 きちんと年相応に成長して、容姿も高校生らしくなっているのに、こうして目を閉じている顔は幼い頃そのままで。
 やっぱり、かわいいなぁ。
 純平は勇翔の頭を引き寄せると、その髪にそっと唇を落とした。
「ん……」
 腕の中で勇翔が身動ぎする。宥めるように髪を撫でると、勇翔が目を閉じたままで「もう朝?」と聞いてきた。
「いや、まだ寝てていいよ」
「んー……」
 まだ眠いのだろう。唸る勇翔の眉間には、僅かに皺が寄っている。
 純平は勇翔の前髪をかきあげると、閉じられたままの瞼にも唇を落とした。
「ん……、なに……?」
「なんでもない。寝てていいよ」
 答えながら髪を撫で、またキスを落とす。
 勇翔が眠い目を無理矢理こじ開け、純平を睨み上げた。
「そんなん、されて、寝れるわけないじゃん……」
「そうか。ごめん」
 お詫びの意味を込めて、今度は額に口づけを落とす。勇翔が不機嫌に眉根を寄せる。
「アンタ、全然悪いと思ってないだろ」
 すっかり覚醒したらしい勇翔からいつもの口調が返ってきても、純平はやっぱり「かわいいなぁ」としか思えない。
 そんな自分をこっそり笑っていると、勇翔がもっと強い瞳で純平を睨み上げてきた。
 でも、まなざしで一生懸命訴えている感情は、怒りじゃない気がする。
 純平は勝手にそう判断して勇翔を引き寄せると、今度は唇に口づけた。勇翔は嫌がることなく、純平の背に腕を回した。

END

5月23日…キスの日


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