お花見


「勇翔」
 呼ばれて、勇翔は読んでいた本から顔を上げ、目線を純平に向けた。
「天気もいいし、散歩にでも行こう」
 純平からの誘いだというのに、勇翔はすぐに返事ができなかった。
 読みかけのミステリーはちょうど今、おもしろいところ。事件の謎が徐々に解き明かされつつあり、心地よい緊迫感に満たされている。ここで読書を中断するのは嫌だと思った分、ほんの少しの間が空いた。
 それをどう捉えたのか、純平が更に言葉を重ねた。
「ただ並んで歩くのも、悪くないよ。それにやっぱり、人間太陽の光を浴びないとね」
 目を細めてそう誘う純平に、勇翔は本にしおりを挟むと、しぶしぶ、といった風で了承した。
「まあ……、行ってもいいけど……」
「よし、じゃあ上着着て」
 勇翔に声を掛けたあとで純平が手に取ったのは――なぜか、車のキーだった。





「散歩って言うから、その辺を歩くんだと思ったんだけど……」
 道すがら、助手席でそうぼやく勇翔に、純平は曖昧な言葉で行き先を濁し、目的地を伝えないまま、車を走らせる。
 二十分ほど経っただろうか。ようやくたどり着いた先で車を降りた勇翔は、視界に飛び込んできた景色に言葉をなくした。
 目の前には満開の桜。澄んだ青空に良く映える薄桃色の花をつけた桜の木々が、一直線にどこまでも続いている。
 純平は自分にこれを見せたかったのだ。目的に気づいた勇翔の隣に立ち、純平が得意げな顔を見せた。
「な、すごいだろ?」
「……うん」
 めずらしく素直に頷く勇翔を、純平が微笑ましげに見つめる。
「つか、これ、どこまで続いてんの?」
 桜並木の脇は遊歩道になっていて、結構な数の人が歩いている。だが、人々が進む先を目で追ってみても、終わりが見えない。
「えーと、片道一キロ半くらい、だったかな? 散歩にはいい距離だろ?」
「え、そんなに? 全部? 桜?」
 驚きに片言のように問いかける勇翔に、純平が少し笑いながら返事をする。
「うん、全部桜」
「え、マジで?」
「うん」
「え、マジで?」
「だからそうだって。ほら、行くよ」
 笑いながら手を差し出される。もちろん、勇翔が素直にその手を取れるわけはないのだが。
 純平もわかっていてすぐに手を引っ込めると、勇翔と並んで歩き始めた。
 景色を楽しむように、ゆっくりと。桜の下を、二人は進んでいく。
 すると、前から一組の親子が歩いてきた。服装から見て子供は男の子と思われる。舌足らずな高い声で母親に「機関車、機関車」と話しかけている。
 おもちゃでも欲しいのだろうか。そう思いながら勇翔はつい、その親子を目で追ってしまっていた。すると母親が「はい、連結ー」と言ってその子供の手を取り、しっかりと繋いだのだ。
 同じ光景を、純平も見ていた。隣を歩く勇翔を見やり、すぐさま手を伸ばす。
「勇翔、連結ー」
 言うが早いが勇翔の手を取り、しっかりと握る。
「……んだよ、それ」
 すぐに勇翔からは文句が飛んできたが、勇翔がその手を振り払うことはなかった。

END


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