夏模様 鬱陶しかった梅雨も明け、からりと晴れ上がった空が高いと感じるようになった頃、オレ達高校生は夏休みに突入した。 オレは、休みだからといって毎日遅くまで遊び歩くほど不真面目でも、毎日課題に取り組むほど真面目でもない。することもなくベッドでごろごろと横になりながら、なんとなく、自室の窓に目を向ける。 隣は一貴の家。そしてこの窓の向こうが、一貴の部屋。 「今日も……来ないのかな……」 夏休みに入って最初の一週間、一貴は毎日うちに来ていた。そして毎日、昼間から、親がいないのをいいことに、それこそ腰が立たなくなるくらいに濃厚なセックスをしていた。 それなのに、ここ数日、一貴はまったく顔を見せない。 それどころか、電話もない、メールの一通すら寄越さない。 学校があるときは、ほぼ毎日のように一貴に会っていた。土曜だって、日曜だって、まったく顔を見ない、一度も声を聞かないという日はなかったし、事前の連絡なしにお互いの家を行き来するのもしょっちゅうで、会わない日のほうが少ないくらいだった。 それくらい、オレの日常に入り込んでいる幼なじみの一貴。それが突然姿も見せない、電話もメールもないとなれば、どうしたって不安になるだろう? だったらオレから連絡すればいいのかもしれないけれど、それまでがそれまでだけに、なんだか体の関係を求めているようで、それはひどく躊躇われた。 別に、会おうと思えばすぐにでも会える距離。だけどそれが逆に、オレの行動に抑制をかけていた。 悶々とした心を抱えながら、窓の外と、天井とを、くり返し眺め続ける。そんな中、助け舟とも思える携帯の着信音が静かな部屋に鳴り響いた。 慌てて跳ね起きて携帯を手に取る。だけど、期待を込めて見たディスプレイに示されていた発信元は、一貴ではなかった。 「……もしもし」 『おー、小島? 俺、俺、俺、吉岡』 まるでどこかの詐欺のように「俺」を繰り返したのち名乗ったのは、クラスメイトの吉岡だった。 「……なに?」 一貴じゃないってだけで、応答する声も自然と暗くなる。だけど吉岡は、そんなオレの状況などものともせずに、楽しげな声で用件を切り出した。 『今日さー、夜、内田たちと花火すっから小島も来いよ。人数集まった方が楽しいし、佐藤も誘ってさ』 「……一貴も?」 『そーそー、あいつ、付き合い悪いじゃん。小島が言えば来ると思うからさー。たまには付き合えって言って』 「でも……」 オレが誘ったところで、吉岡が言うように、一貴が動くとは思えない。一貴はいつだって自分の意思で行動する。人には決して流されない。そういう人間だ。 だけど、オレの考えをよそに、吉岡は、もうそれが決定事項であるかのように、どんどん話を進めていく。 『若木中央公園に八時だからな』 「オレはいいけど……、一貴はわかんないよ」 『だーいじょーぶー! 小島が誘えば来るって!』 決め付けた言い方をされると、最初はそう思っていなくてもどんどん流されていく。 「そう……かな……?」 『そうだって! 小島が誘えば佐藤も来るはずだから、必ず佐藤を連れて来いよ!』 「うん……、わかった」 強引に押し切られて、オレは、なぜ吉岡がそんなに一貴にこだわるのか深く考えずに、一貴を誘って行くことを、軽い気持ちで了承してしまった。 口実ができたのをいいことに、すぐさまオレは電話帳から一貴の番号を呼び出し、通話ボタンに親指を当てる。呼び出し音が二回。電話はすぐに繋がった。 「もしもし、オレ……っ!」 『うん。なに?』 喜び勇んで話しかけたオレとは対照的に、電話の向こうの声は、機械を通したからだけじゃない冷たさを含んでいる。 そこには、オレを拒絶する意思が混じっているようで。 オレは、それまで浮かれていた自分の心が一気にしぼんでいくのを感じた。 自然と声も、小さく、暗くなる。 「あ、のさ……オレ……、那由多だけど……」 『それはわかってるよ』 「今、吉岡から電話あって……」 『で?』 「今日、みんなで花火やるから、って……」 『それで?』 「それで……」 その先がうまく切り出せない。 繋がった空間が、まるで外の暑さなど違う世界の物のように冷え切っている。 なかなか続きを言わないオレに向けて短い溜め息をひとつ零すと、一貴は、同じ温度で断りを入れてきた。 『……悪いけど、俺は行かないよ』 オレの言いたかったことを先読みして、なおかつ誘いを拒む一貴に、思わず反論してしまう。 「でも……!」 『俺は行かない』 「一貴、いっつも付き合い悪いじゃん。たまには」 『那由多』 低く、硬い声。がやがやとうるさい教室を一瞬で鎮める時と同じ声が、オレの口をも閉ざさせる。 氷のような沈黙の中、一貴が、静かに口を開いた。 『吉岡に何言われたか知らないけど、直接誘われたわけでもないし、俺は行かない』 「でもっ……!」 夏の思い出作りをしたいとか、そこまで特別なことを考えていたわけじゃない。 セックス以外で、普通に、会って、喋って、他愛もないことで笑いあえたらそれでいい。 本音はそんなふうに、ずっと、ありふれた単純なことを求めていた。だからこれ幸いとばかりに、吉岡の誘いに乗った。 だけど、なかなか引き下がらないオレを、一貴は冷ややかに突き放した。 『そんなに行きたいなら、一人で行ってくれば?』 頑なに拒否されたことに加えてのその言い方に、暗く、沈みかけていた心の一点だけがカッと熱くなる。 意地になっている、と言われれば、それまでだけど。 「いいよ! じゃあオレ一人で行ってくる!」 ムキになって、反射的に叫ぶように言い返してオレは、返事も待たずに一貴との通話を一方的に終わらせた。 約束は午後八時。 一応約束した手前、支度をして、一人で家を出る。 正直、気が乗らなかったので、ウダウダしていたら、時間ギリギリになってしまった。 行き先を告げずに、「ちょっと出かけてくる」と言っただけで、親はあっさりと夜の外出を許してくれた。それは、もう高校生だから、とか、そんな理由じゃなくて、おそらく、一貴と一緒だと思っているんだろう。 それがまた、悔しくて、オレの苛立ちに拍車をかける。 日の落ちた住宅街。昼間よりも色の濃いアスファルトにやり場のない怒りをぶつけるように、無駄に力を入れて、ぎゅっぎゅと足を踏みしめながら歩く。 十分くらいでたどり着いた公園には、電話をくれた吉岡を含めて、クラスメイトが四人集まっていた。 「小島ー、こっちこっちー」 「悪い、遅れた」 軽く謝りながら近づく。オレに向かって大きく手招きしていた吉岡が、オレの周りを覗き込むように、首を左右に傾げた。 「あれ? 小島、佐藤は?」 「あー……、一貴は……」 はっきり言えばいいのに。「直接誘われてないから行かない」って言われたって。 なのにどうしてかオレの口は、一貴を庇うような言い訳を吐いていた。 「……今日は、用事があって来れないって……」 オレの言葉に吉岡は、少し後ろにいる他の連中を振り返ると、わざとらしく、がっかりした声を出した。 「佐藤、来れないんだってさー」 それに対して他の三人も、同じようにがっかりしてみせる。それが妙に気に障って、よせばいいのにオレは、つい、訊いてしまった。 「一貴に……、なにかあんの?」 オレの質問には答えず、吉岡は内田たちと顔を見合わせると、ニヤリと含み笑いを浮かべて、オレを誘った。 「まー、まー。とりあえず、花火しょうぜ、花火」 「………」 差し出された手持ち花火の持ち手部分を反射的に握ると、吉岡がすかさずライターで火をつけてくれる。 数瞬後、勢いよく吹き出る橙赤色の炎。 どこか釈然としない思いを抱えながら、オレは、ススキの穂のように地面に向けて長く垂れる火花を見つめていた。 何か、オレには知られたくないことがあって、はぐらかされたのだと思った。だからあえて深く追求しなかった。それなのに、オレの思いとは裏腹に、数十分後、隠された真実は吉岡本人の口からあっけなく暴露された。 「小島ー、お前もっと飲めよー」 「オレ、まだ飲み終わってないから」 「なんだよ、トロくさいなー」 ロケット花火、ねずみ花火、スパーク花火、変色花火……。百本はあったんじゃないかと思われる花火を消費する合間に、吉岡は次々とチューハイの缶を空けていた。 それこそ、どっちがメインだったのかわからないくらい大量に。 オレも、断りきれなくて一缶受け取ったけれど、舐めるようにちびちび飲んでいたから、中身はちっとも減っていない。だけど、吉岡はもちろん、内田も、他の連中も、花火の残りが数えるほどになった頃には、べろべろに酔っ払っていた。 「それにしても、佐藤が来られないなんて、がっかりだよなー」 派手な花火をあらかた終えて、最後、線香花火に手をつける。 こよりの先を炎に近づけながら、吉岡が思い出したように話し始めた。 「なー」 それに深く同意する、内田と酒井。オレは、どう反応するのがベストなのかわからないから曖昧に笑っていた。 吉岡は、酔うと饒舌になるタイプなのかもしれない。聞いてもいないのに、今度は一人勝手にべらべらと喋り始めた。 「アイツ、いっつも済ました顔して、気に入らねーんだよなー。せっかく酒でも飲ませて酔っ払わせて、いつものクールな顔をバカ面に変えてやろうかと思ったのに」 「……!」 そんなこと、考えていたのか? 「格好つけてんのか何なのか知んねーけどさー、なんか、アイツの顔見てると、すげー腹立つんだよなー」 吉岡の言葉に、周りのみんなも口々に同意する。 ものすごく。 ものすごく、嫌な気分だった。 酒の勢いなのか、吉岡は更に、オレに凄んでみせる。 「小島ー、これ、佐藤に言うんじゃねーぞー」 「………うん、わかってる……」 吉岡にしっかりと頷き返す。 頼まれなくたって、こんなこと、一貴に言うつもりはない。 オレはそれまで、吉岡とは普通に友達だと思っていた。同じ中学出身で、入学した高校で偶然同じクラスになって、それをきっかけによく喋るようになった。親友ってほどじゃないけど、これまでにも何度か、ほかの友達を交えて遊んだこともある。 陰口のような一貴への発言もさることながら、オレ自身がそれなりに気を許していた分、利用されたようで、ものすごく気分が悪かった。 そんなオレの胸の内など知らない吉岡は、持っていた缶を左右に軽く振ると、酔っ払い特有の無駄に大きな声を出した。 「酒がねーな。内田ぁー、酒、買い出しに行って来いよー」 「えー? 俺がー?」 「お前以外に誰がいんだよ」 「自分で行けよ自分でー」 そのまま軽い言い争いを始めた二人。どちらも譲らず、結局、一緒に行くことしたらしい。二人揃って公園の出口へと向かったその背中が完全に見えなくなったところで、オレは、酒井に切り出した。 「悪いけどオレ、帰るから。吉岡に言っといて」 「いいけど、何で?」 「門限あるから」 嘘だけど。 だけど、こんなに嫌な気分のまま、これ以上付き合うつもりはなかった。 ありがたいことに酒井はオレの言葉を素直に信じて、あっさり了承してくれた。 「わかった。じゃあまた学校でな」 「うん、また」 酒井と若月に挨拶をして、足早に公園を出る。吉岡たちはおそらく、坂の下のコンビニへ行ったと踏んで、反対に、坂を上った。 家まで少し遠回りになるけれど、鉢合わせだけは避けたいから、仕方ない。 小さい頃、探検と称して散々遊び回った迷路のような住宅街。このあたりには、区立の大きな公園のほかにも、小さな緑地や児童遊園がたくさんある。草花を摘み、虫を追いかけ、高い空に少しでも近づきたくて、競うようにブランコをこいだあの頃。 いつも、一緒にいたのは。 街並みが夕焼けに染まって、防災無線が子供の帰宅を促すまで、いつだってオレと一緒にいてくれたのは――? 「……!」 闇の中、目に留まったのは、そんな思い出のたくさん詰まった、小さな公園。 気づいたら、オレの足はひとりでに駆け出していた。 来るときにはダラダラと時間をかけた道のりを、急いで走って帰る。 一貴に。 今、無性に、一貴に会いたくなった。 自分の家を素通りして、一貴の家の前に立つ。 夜遅い時間、事前の約束なしの突然の訪問はさすがに迷惑かと思い、躊躇いながら脇に回って、二階にある一貴の部屋を仰ぎ見る。 窓から漏れる蛍光灯白い光。横切る黒い影。 「カズ……!」 思わず口をついて出た、小さなオレの呟きが、届いたとはとても思えない。 けれどもその影は再び窓際へと戻り、二つの目でしっかりとオレを捉えた。 「那由」 声は聞こえなかった。だけど確かにオレを呼んでいた。唇が、そう動いていた。 からからと軽い音を立ててサッシ戸が開く。暗い夜道に立つオレを見下ろした一貴の顔は、逆光でよく見えない。でも一貴の声は、今度ははっきりとオレの耳に届いた。 「那由多」 「っ、今から行っても……いい?」 「……………いいよ」 了承の返事までにはすごく間があった。だけどオレがそれに不安を抱くより先に、一貴から次の言葉が降ってきた。 「今、下行くから」 必要なことは伝えたとばかりに窓を閉め、直後に消える影。急いで玄関先へと引き返す。鍵を開け、サンダルを履いて出てきた一貴が、オレを招き入れてくれた。 「……お邪魔します」 形ばかりの挨拶をして、勝手知ったる一貴の家、靴を脱いで廊下へと上がり、そのまま一貴の後ろについて階段を昇った。 二階へ上がってすぐのところにある一貴の部屋。いつものように中へは入ったものの、なんとなく気が引けて扉の近くで突っ立ったままでいると、さっきまで背中を見せていた一貴が、振り返ってオレの手を引いた。 「う、わ……!」 勢いよく引っ張られ、そのまま一貴もろともベッドへと倒れこむ。 意図せず一貴の上へ乗り上げるような格好になってしまって、オレは瞬時に頬を赤らめた。 「っ、ご、ごめん」 慌てて退けようとするけれど、オレの二の腕を掴んでいる一貴の手が離れない。 「あの……、一貴……」 「なに?」 なるべく一貴に負担に掛けないよう膝をついて体重を支えながら、恐る恐る一貴を呼ぶ。一貴の顔にオレの影が落ちて、慣れ親しんだ相手にさえ冷たい印象を与える容貌をさらに硬質なものに変えていた。 「……手、離して」 「どうして?」 「だって、重い、だろ?」 「そう? なら」 ぐいっと一貴の手に力が入る。あっと思うまもなく、オレの体は一貴に組み敷かれた。 顔の上に、一貴の影が落ちる。感情を奥底に隠したままの黒い瞳が、まっすぐにオレを見下ろしている。 「これならいい?」 「………」 問われたことに、素直に頷き返すことはできなかった。さっきよりは幾分ましに思えるものの、これはこれで落ち着かない。 背中を完全にシーツにつけたあお向けの体勢。両手首を押さえつけられ、身動きが取れないまま背中をもぞもぞさせていると、一貴の顔が少しずつ近づいてきた。比例するように早くなる心臓の鼓動。 「カズ、……ンッ……」 呼びかけは、答えのないまま触れ合わされた唇に飲み込まれた。 久しぶりのキスは、オレが思い描いていたような甘く優しいものじゃなかった。少し乱暴で、最初から全速力で飛ばすような、いつになく激しいキス。 すぐに唇を割って入り込んできた一貴の舌先に、オレの口腔内は、隅々まで容赦なく犯される。 「んゥ、んっ、……んふ、……ふ、あ、ア……」 ぬめっとした独特の粘膜が、簡単にオレの舌を捕まえる。久々に味わうざらりとした感触に、ぞくぞくと背中が痺れる。 きつく吸われて、逃げようと奥へ引っ込めれば、それを許さないとばかりに追いかけ、捉えられ、尚更に深く絡めとられる。 唇の裏側、頬の内側、歯列や舌先、舌の表面、裏面……。もう、一貴の舌が触れていない場所なんてないんじゃないかと思えるほど、ありとあらゆるところを舐め上げられ、唾液をかき混ぜられる。 「んんっ、ふ、ん、ン……」 甘ったるい喘ぎがひっきりなしに口から漏れ、苦しさに、息が上がる。 荒い息遣いに混じって部屋に響く淫靡な水音に、じわじわと頬が熱を持ち、体全体の体温も、ぐっと引き上げられる。 濃厚な口づけで、飲み込めなかった唾液が口端から零れ落ちる。同時に、腰にまで伝わる微弱な快感。だけど、覚えのあるそれがオレの体を変えてしまう前に、一貴はオレから離れて、言った。 「飲んだ?」 主語のない問い。だけどそれが何を指しているのかは、すぐにわかった。 「……、あ、うん……、少し……だけ……」 もらったのは一缶だけだし、それすら、飲みかけで残してきてしまった。 自分自身酔っている感覚はまったくなかったけれど、あれだけ濃厚なキスをすれば、アルコールの匂いとか、味とかが伝わってしまったのも、仕方のないことだろう。 一応未成年だし、そんな風に指摘されると、それまで感じていなかった罪悪感が急に湧き出でて、なんとなく一貴から目を逸らす。一貴は、そんなオレの様子などお構いなしに、オレが着ているTシャツを脱がしにかかった。 「ちょ、ちょっと待って」 このままだと、完全にセックスの流れ。それに気づいて、オレは慌てて一貴の胸を押しやった。 そりゃ、期待していなかったといえば嘘になる。けれど、さっき指摘されたアルコールのことと、出かけると言ったまま家にも帰っていないこともあって、今、ここで、素直に応じる気にはなれなかった。 だけど一貴は、相変わらずの冷たい瞳でオレを見下ろし、同じ温度で冷たく言い放った。 「待たない」 「ヤダ、待ってよオレ……!」 こんなに落ち着かない気持ちのまま、一貴に抱かれたくない。 なのに一貴は、問答無用でTシャツを首までたくし上げると、現れた突起を二本の指できゅっと摘まんだ。 「ンッ!」 散々一貴に慣らされた体は、たったそれだけのことで敏感に反応してしまう。 小さな胸の尖りを、一貴の指先がくりくりと玩ぶ。そこは、男のオレが普段まったく意識しないような場所なのに、今はツンと立ち上がって、必死にその存在を主張している。敏感になった先端をしつこく弄られて、ちりちりと痛みにも似た快感が走った。 「ンッ、ヤ……」 さっきやり過ごしたはずの情動が、また、胸の奥からせり上がってくる。 あんなに待ち焦がれていた、一貴の手。片手は胸に置いたまま、逆の手が首や、腰や、脇腹を撫でる。 意図的に欲を煽る手の動き。小さい波が幾度も幾度もオレを攻めて、徐々に息が上がる。 閉じた両足に力を入れると、それまでの乾いた手の感触が、濡れた舌の感触に変わった。 ついに、一貴の手がボトムを脱がしにかかる。 オレの心も、体も、もう破裂寸前だった。 「カズ……ッ……!」 もうやめてほしい。でも、一方ではもっとしてほしいと思う自分もいて。 一貴を呼んだことに、深い意味はなかった。ただもう必死で、この、定まらない心と体をどうにかしてほしくて。 そんな切羽詰った思いが声にも表れていたんだろうか。一貴はいったん顔を上げると、いつもと変わらない冷酷な表情のまま、まっすぐにオレを見下ろした。 「那由多が悪い」 「………え?」 「那由多が悪いんだよ」 「……、……っ……!」 視線と同じようにまっすぐにぶつけられた言葉に、目の奥がジンと痺れる。 オレが悪い? オレ、何かした? 昼間の、電話での会話を思い出す。確かに、あまり感心しない態度だったと反省するけれど、今ここで改めてそんな風に責められるほどのことだろうか。 悲しくて、苦しくて、目尻から一筋の涙が流れ落ちる。 唇を寄せてそれを舐め取った一貴が、無邪気でいられたあのころと同じ呼び方でオレを呼んだ。 「那由」 その声があまりにも優しくて。 「んっ……、一、貴……?」 戸惑いながら横目で一貴を見やる。唇は、目尻から頬を横切り、肌に触れたまま動いて、違えることなくオレの唇へとたどり着いた。 触れるだけの穏やかな口づけ。そのまま、触れ合わされたままの唇が、静かに動いた。 「――那由が、俺以外、見なければいいのに」 ―――え? 「カズ……? ッ、んっ、ンぅ」 問い返す間を与えないように、強く押し当てられた唇の隙間から、舌が割り入ってくる。 だけど今度のキスは、さっきと違ってひどく熱くて甘ったるくて、オレの心と体の強張りを簡単に緩めた。 キスを解かないまま、一貴の手がオレの膝にかかる。 オレは、素直に足を開いた。 だってしたいのは、オレも同じだったから。 人工的なぬめりを指先に纏わせ、一貴がそこを広げる手順はいつもと一緒のはずなのに、オレの体はいつも以上に反応していた。 触れる肌も、合間に交わすキスも、オレの体をまさぐる手も指も気持ちいいけれど、もっと、一貴以外誰も触れたことのない体の奥で、その熱を感じたい。 中で蠢く二本の指。そんなんじゃ全然物足りない。 早く……、早く――。 「カズ……、も……、指、ヤダ……」 一貴の腕を取り、懇願するように見つめれば、一貴はシャープな顔立ちを崩さないまま、眉間にわずかな縦皺を刻んだ。 「ちゃんと解さないと、那由がつらいよ」 「いい、も……い……から……」 もどかしい刺激に、オレの体は完全に追い詰められていた。 そう、きっかけさえあれば、今はゆるゆると蜜を零しているものが簡単に弾けてしまいそうなほどに。 一貴の手を握ったのは、そんな追い詰められた状況ゆえの無意識。 オレの手をやんわりと握り返した一貴は、仕方ないといった感じで軽い溜め息をひとつ吐き、逆の手で支えた自分のを、オレのそこに宛がった。 「じゃあ、入れるよ?」 「ん……」 ただ触れている、それだけで、そこは自分の意思とは関係なく期待に震えて収縮を繰り返す。 一貴が、膝と腰に力を入れる。ぐいっと張り出した部分が、入り口をこじ開けて押し入ってきた。 「っ、ハ……ァ……」 衝撃を、息を吐いてやり過ごす。一貴のこめかみを伝う汗の雫。熱いのは、オレだけじゃない。 そのままの勢いで一気に根元まで埋め込まれて、ビクンと腰が跳ね上がる。 「アァッ……!」 軽い絶頂感。だけど、オレの先端からドロリと零れた体液は透明なまま。 鋭さを持たない快感は、その分後を引いて、足腰がひくひくと小刻みに痙攣する。 ぴくり、ぴくり、と震え続ける内股を、一貴の手がゆっくり撫でた。 膝から、足の付け根へ向かってゆっくりと。 「那由」 「ンッ……」 その手が、張りつめたままのオレのを捉える。 五指で握りこむと、やがてゆっくりと動き始めた。 「……やっぱり、那由が悪い」 さっきと同じ台詞を吐きながら、一貴自身も同じように律動を刻む。 だけど不思議と、さっきのように悲しい気持ちにはならなかった。 『もう五時だよ』 『やだよー、だってまだ明るいもん』 膝から下に力を入れ、ぐいっと空を蹴る。 反動で、さっきよりも少しだけ高い位置へ上がるブランコ。一貴は、少し離れた位置からオレを見ていた。 青々と茂る草や木の葉。乾いた土のにおい。むせ返るような夏の大気を割って耳に届く蝉時雨。 『那由』 『………』 それでも決してオレ一人を置いて帰ろうとはしない。 それが、一貴なりの優しさだったのだと、今なら、わかる。 『那由』 『ちぇー、つまんないー。一貴ぁ、明日も一緒に遊んでくれる?』 『いいよ』 『やったー! 明日も一緒! 約束!』 『約束』 不意に蘇る、遠い夏模様。 記憶の中、いつも一緒にいたのは――? 久しぶりのセックスで、オレはあっさりと天辺まで昇りつめた。 「やぁっ、カズ、イく、イくっ……!」 たまらずに、一貴の手の中へと欲を吐き出す。ほぼ同時に、一貴がオレの最奥で弾けた。 どくんどくんと数回に分けて散らされた、熱の名残と強烈な快感の波がすーっと引いていく。 オレは、一貴の首と腰に回していた手と足を、シーツに投げ出した。 今なら、訊けそうな気がする。 「……んで」 荒い呼吸のまま、切れ切れに問いかける。一貴は上体張り付かせたままオレの唇に耳を寄せ、聞き返してきた。 「なに?」 「なんで……、避けてたの?」 オレのことを。 嫌われたのかと思って、不安だった。寂しかった。 さすがにそこまで声には出さなかったけれど、一貴はオレの顔から心理を読み取ったらしい。 ずいぶん長いこと黙り込んでいたけれど、最終的に、不機嫌そうな、それでいてどこか決まり悪そうな表情で、ぼそり、と呟いた。 「……言いたくないな」 「なんで?」 「どうしても」 「……意地悪」 「意地悪でいいよ」 納得がいかなくて一貴を睨み続けていると、珍しく一貴が折れた。 「那由が、つらいかと思ったんだよ」 「……え?」 「夏休みだからって、ちょっとやりすぎたかな、って。俺も俺なりに反省してたんだけど」 「……だからって、電話とかメールとか、全然しないとか」 「だって、今さらって感じ、するだろ? 隣の家なんだし、会おうと思えばすぐにでも会えるんだし。そう思ったらなんか、電話もメールも今さらな気がして」 「……確かに」 まったく同じことを考えていたオレは、その一点に関しては深く頷いた。 だけど一貴の話には、まだ続きがあった。 「なのに、那由が誘うから」 「ちが……! 誘ってな……あ……ア……」 会話の途中で、一貴の手が妖しく動き出す。 余韻冷めやらないオレの体は、その手に簡単に反応した。 だけど口では、心にもない抵抗をする。 「ヤダよ……、オレ……っ」 「今日は、『ヤダ』は聞けない」 「でも家……っ、帰んないと……」 萎えたままだったオレのを、形を確かめるように指先で撫でたり、二つの袋を揉みしだいたりしていた一貴の手が、一瞬、止まる。 「――なんて言って、出てきたの?」 だけど次の瞬間には、窄まりに指が入り込んでいた。 オレは、無駄だとわかっていながら、なるべくそこから意識をそらすように努めて、次の言葉を紡ぐ。 「ッ、なに……も……」 「だったらどうせ、オレといると思ってるだろ。諦めな」 まだまだ熱く蕩けているそこは、あっさりと指の侵入を許した。大きく出し入れされて、聞くに堪えない卑猥な水音が響く。 人差し指の腹が、おそらく意図的に前立腺を強く擦った。 「ハ……、アァ……ッ!」 「那由は」 指が増やされ、抜き差しする速度が速くなる。 「アッ、アアッ、やっ、あぁっ」 「那由は、余計なこと考えないで、俺だけ見てればいいんだよ」 なにそれ。 なんだよその自己中心的発言。 心の中では悪態をつくのに、なぜだか頬は緩んでしまう。 あっという間に三本。悔しいけれど、もう、オレの心も体も、一貴が独占している。 「だったらカズ、も、……っ、オレだけ、見てて……」 「言うね」 眇められた目の奥に、オレが映る。黒い瞳。そこに映る色。そしてオレの姿。 ――それが、一貴の答え。 その目を見ただけで、切なさも、苦しさも、どこかへ吹き飛んだ。 「あっ、はぁっ、あっ、あっ」 「那由」 「んっ……、カズ……」 いつでも、どこでも、オレの中には一貴がいて。一貴の中にもオレがいて。 他の誰かと、どこかでなにかをするよりも、姿を見るだけでも、声を聞くだけでもいい、一貴と触れ合うほんの一瞬の方がオレにとっては大切なんだ。 狙いを定めて傾いでくる一貴の体。もっと近づきたい。そんな思いを込めて一貴の首に腕を回して引き寄せ、オレは、甘くて優しい口づけを受け止めた。 END |