対寒椿 大晦日の前日、十二月三十日は小島那由多の誕生日だった。 学校が休みなのをいいことに九時過ぎに起床し、リビングへと降りたところで、やはり休みで家にいた両親から「おめでとう」の言葉をもらった。その後は友達から、何通かの「おめでとう」メール。 だけど、それだけ。 那由多の誕生日は、実にあっさりしたものだった。 幼い頃は、新しい年を迎える準備で何かと忙しい両親に、もっと盛大に誕生日を祝ってほしいとせがんだこともあった。けれども、それなりに成長した今となってはもう、そんな気は起きない。 そして大晦日である今日も、例年と同じように母親は朝から掃除に精を出し、昼少し前に、荷物持ちと称して父親を連れ出し、正月分の買い出しに出かけていった。 家に残る那由多の手には、千円札が二枚。 隣の家も、おそらく似たような状況だと踏んだのだろう。 『一貴ちゃんでも誘って、適当にお昼食べなさい』 要するに、役に立たない子供は邪魔なのだ。 那由多は厚手のジャケットを羽織り、ニット帽をかぶると外へ出た。ふと隣の家を見ると偶然、一貴が玄関から出てくるところだった。 冷たい印象を受ける、感情を含まない切れ長な眼差しが、すぐさま那由多を捉える。 「あ……、どっか、出かける?」 戸惑いながら那由多が尋ねる。約束なんてしていなかったけれども、親に言われていたこともあり、すっかり一緒に出かけるつもりになっていた。だから、コートの上にしっかりとマフラーを巻いているその姿を見たら、なぜだか胸の奥がチリ、と、痛んだ。 「そっちこそ」 「オレは……、ちょっと……」 質問で返され、一貴と出かけるつもりだった、などと今更言い出せなくなり、那由多は口ごもった。すると、それまで無表情だった一貴の顔がふっと緩んだ。 「当ててやろうか?」 「え?」 「俺を誘って、適当に昼飯食べろとか、言われたんじゃない?」 「え? なんで?」 「俺もそうだから」 言うなり一貴は、ポケットに突っ込んでいた手を出し、掲げて見せた。 そこには、千円札が二枚。 「『那由多ちゃんを誘って、適当にお昼食べなさい』。……ついでに、『しばらく帰ってこなくていいわ』……だって」 「はは……」 那由多の口から思わず乾いた笑いが漏れる。 やはり母親の睨んだとおり、隣の家も、似たような状況だったのだ。 「どこ行きたい?」 一貴は、那由多が隣に並ぶまで、じっと待っていてくれる。 小さな頃から変わらない、そういう部分を見るたび、那由多は胸の奥がほっこりと温かくなる。 「駅前のカレー屋。カレー食べたい」 「大晦日にカレー、ね。ま、それもアリかな」 「うん……」 「那由」 「……うん」 ゆっくり足を進め、那由多が一貴の隣に並ぶ。 他の誰にも譲りたくない、大切なこの場所。 年が明けても、十年経っても、二十年経っても、ずっと、この場所にいられますように――。 那由多はそう、願わずにはいられなかった。 小島家と、その隣の佐藤家とは、同い年の子供がいることもあって、家族ぐるみで付き合いがあり、父親同士、母親同士もとても仲がいい。 一月一日、元旦。 両家の親は子供を置いて、昨夜から、遠方にある有名な神社へ四人だけで初詣でに出かけていった。 子供たちがまだ小さい頃は、子供も一緒に行っていたけれど、中学に上がった頃から自然と、子供は子供同士、大人は大人同士で出かけるようになった。 大人の目がないのをいいことに、一貴は、両親が出かけてすぐ、那由多を呼び出した。 乞われるまま部屋を訪れた那由多に、一貴は殊更優しくキスをして、適当に言いくるめて二回ほどセックスをし、そのまま二人一緒に眠りについた。 窓から差し込む日差しの明るさに、一貴は目を開ける。一体何時だろう。ベッドヘッドに置いてある目覚まし時計を確認しようとしたそのとき、腕の中で那由多がもぞもぞと身じろぎした。 「あ……、一貴……?」 「うん?」 「………おめでとう」 「ああ、おめでとう」 年始の挨拶だと思って同じように返せば、布団の中から半分だけ顔を覗かせた那由多は、少し困ったように二、三度瞬きをした。 「……違うよ。誕生日、おめでとう」 ――ああ、そうか。そっちの意味か。 「ありがとう」 元旦が誕生日の自分に対して、今年も、忘れずにかけてくれた言葉。素直に嬉しいからそう返せば、那由多は柔らかく微笑んでから、再び布団の中へと顔を埋めた。 利益だけを求めて近づいてくる人、本性を知って離れていく人。 浅く広い人間関係の中で、一貴にはこれまで特定の「親友」と呼べるような人間はいなかった。 那由多だけ。昔から一貴のそばに、ずっと一緒にいたのは、幼なじみの那由多だけ。 「那由は一体、俺のどこが好きなの?」 何気なく問いかけると、那由多は再び布団から顔を出して、一貴の顔をじっと見つめてくる。 「……そんなの、知らねぇよ。ただ……」 「ただ?」 「ただ……、お前の隣に、オレ以外の誰かが並ぶなんて、そんなの、イヤだって、思った、から……」 軽く頬を染めながらそんな言葉を言われ、欲情せずにいられる人間など、いるのだろうか。 「那由多」 一貴の手が、欲を含んで蠢き始める。 「な……! ダ、メだ……って……」 「那由多のここは、そうは言ってないけど?」 昨夜さんざん犯した後孔に指を忍ばせながらそう言えば、那由多は一度きゅっと目を瞑り、困った顔で一貴を見つめながらも、甘い吐息を漏らした。 両親はどうせ、昼過ぎまで帰ってこない。それは毎年のことだから、那由多もわかっているはず。 それなのに抵抗しようとする手を先回りして封じ、一貴は、文句を言われる前に、その唇さえも塞いだ。 那由多が隣にいてくれるなら、もう、それだけでいいと。そう願いながら。 END |