5.きみのいない未来だけ


 引き寄せたのは、確かに俺だった。でも、掴んでいたはずの弟の腕が俺の背に回る頃には、主導権は完全に弟に握られていた。
 触れた唇が、やけどしそうなほど熱い。
 そう感じるのはきっと、俺も、弟も、これ以上ないほどに気持ちが高ぶっているから。
 二人の持つ感情が、同じ方向を目指しているから。
「裕、也……」
 唇を触れ合わせたままで囁くように名を呼べば、その隙間を縫って弟の舌が忍び込んでくる。
 触れ合った舌先に、背筋がびりびりと震える。同じように、俺の心も。
「んっ、ふ……っは、あ……ぁ……」
 性急に舌を絡め合い、奥の奥まで貪るような口づけを交わす。
 弟の舌は遠慮なしに俺の口腔内を舐めつくし、俺は酸素を求めて、少しだけ唇を離した。
「はぁっ……、裕、也……」
 それなのに弟は、片時も離れることを許さないとばかりに、すぐさま追いかけてくる。
「んふ……、ふぁ……、あっ……」
 音を立てて混じりあう、二人の唾液。飲み込めない分が、口の端からつう、と零れ落ちた。
 どうしてこんなに熱いのだろう。
 どうしてこんなに感じるのだろう。
 それなのにどうしてこんなに――胸が苦しいのだろう。
「ン、裕、也……!」
 泣きたくなるほど切なくて、叫びたいほど心が痛くて、悲しいわけでもないのに俺の瞳からは一筋の涙が流れた。
 それを合図に、弟の動きが止まる。
 閉じていた目を開け、弟の視線を辿る。そこには、苦労ばかりの人生だっただろうに、それを感じさせないほど美しく微笑む母の遺影があった。
 そこまで無神経な息子ではありたくないと、俺は弟の首に腕を回し、そこに顔を埋めた。
 弟は、黙って俺の体を抱き上げた。



 着ていた衣服をすべて脱ぎ去り、一糸纏わぬ姿で弟と二人、弟のベッドの上に乗る。
「本当に、いいの?」
 聞きながら、弟の指が俺の体の奥、誰も触れたことのない窄まりに当てられた。
 あの時、それだけは、と思い踏みとどまった行為。
 最後の一線を越えてしまったら、今度こそ、本当にもう、戻れなくなる。
 それでも俺は頷いた。
「――いいよ」
 俺の中に、弟を、その熱を刻み込んで。
 痛みを伴うものでもいい。その印を焼き付けてほしい。
「兄さん……、幸成……」
 弟は初めて俺を名前で呼ぶと、俺に覆いかぶさり、再び濃厚な口づけを仕掛けながら、まだ硬く閉じられている俺の蕾を解しにかかった。
 唾液を纏わせた指をゆっくりと埋め込まれる。内部を深く探るように、そして、柔らかく広げるように。
 俺は弟の肩に縋りつきながら、じれったいその行為に耐えた。唇だけは離せないまま。



 どうして、肌を合わせたいと思うのだろう。
 男同士なのに。兄弟、なのに。
 どうして繋がりたいと。
 どうして、その体ごと全部、手に入れたいと思うのだろう。



 答えはもう何年も前から、初めて口づけを交わしたあの夏からずっと、自分の中にあった。
 やがて指が抜かれ、弟の灼熱が宛がわれる。
「ッ、ぅ……あぁ……っ!」
 それが確かに痛みを、苦しみを伴うものでも、それでも俺は裕也を――。
 閉じた瞳の奥で、どんなに消そうと思っても消えなかった思いが再び浮かび上がる。
 俺はただ、弟が――裕也が好きなのだ。
 緩やかに律動を始めた弟の首に腕を回し、ぐっと引き寄せ、口づけをせがむ。
 一度は逃げた。手放してしまったもの。でも、もう二度と離さない、離せない。
「裕、也……ッ!」
 明確な言葉にされなくても、弟の気持ちもおそらく俺と同じところにあるのだろう。
 触れ合った部分から、繋がった部分から、痛いほどに切ない弟の感情が流れ込んでくる。
 ――なあ、裕也。
 言ってもいいだろうか? 言葉にしても、いいのだろうか?
 口づけを解いて、弟の目を見つめる。弟は、それを許諾するかのように、柔らかく微笑み返してくれた。
 体の高ぶりがそのまま感情の高ぶりとなって、口をついて出る。
「裕也、……きだ……すき、だ……裕也……っ!」
「兄さん……」
 汗で張り付いた前髪を払いのけ、弟がそこへ小さく口づける。
 頬にも、唇にも。
「兄さん、俺もだよ。俺も兄さんが、ずっとずっと好きだった」
「裕也……ッ!」
 たまらなくなって再び弟にしがみつく。弟は俺を抱き返しながら、腰の動きを早めた。
 うわごとのように好きだと囁きあいながら、同じ高みへと昇りつめる。
 許されないのなら、どうして。どうしてこんな感情が芽生えてしまったのだろう。
 ずっと思っていた。
 許されないのなら、どうして――と。
 それはきっと、この業を背負いながら生きていけと。
 この先の未来をずっと、二人で歩んでいくのだと。
 それが俺たち二人の運命なのだと。
 きっと、俺と弟が同じ血をひいて生まれたときから決まっていたのだ。



 少し悲しくて、すごく切なくて、たとえそれが痛みや苦しみを伴うものでも、それでも俺は裕也を愛したい。
 弟がそばにいれば、もうなにもいらない。なにも怖くない。
 怖いのはただ――。



 裕也のいない未来だけ。



END


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