大義名分


 ピンポン、と訪問を知らせるチャイムの音が部屋に響く。
 ――今年も来たか。
 俺は腰を上げると、来客を出迎えるために玄関へと向かった。
 開錠して扉を開ける。そこに立っていたのは、予想通りの人物。その手にこれまた予想通りの、赤い紙袋。
「これ」
 短い言葉とともに、ずいっと差し出される紙袋。
 無駄なことを一切言わないのは、俺も、こいつも、それがもう毎年のことで、全部全部、わかっているから。
「いつも悪いな。とりあえず、上がれよ」
 受け取って、拓海を部屋の中へと招き入れる。拓海は俺の言葉に従い、おとなしく靴を脱いだ。
 畳三枚分ほどの板張りのスペース。廊下とキッチンを兼ねた狭いそこを通り抜け、拓海を居住スペースである奥の和室へと通す。
 折りたたみのテーブルを出し、ひとまず紙袋をその上に置いてから、俺は拓海を振り返った。
「コーヒーでも淹れるから、その辺、適当に座ってて」
「ん」
 頷き、隅においてあったクッションを引き寄せ拓海が座ったのを確認してから、キッチンへと戻る。
 薬缶なんて気の利いたものは、あいにく持ち合わせていない。小さめの鍋に水を張り、湯を沸かしながら、こうして拓海が俺の元を訪れるのは何度目だろう、と、記憶を辿る。
 拓海がバレンタインにチョコレートを持って、初めてうちへ来たのは、小五のとき。
 前の年の暮れに俺の母親が亡くなって、母親同士仲が良く、家族ぐるみで付き合いのあった拓海の母親が、気を遣って持たせてくれたのが、始まりだった。
 それから毎年変わらずに届けられる、赤い紙袋に入った、手作りのチョコレート。
 それは、俺が大学進学を機に、実家を出て一人暮らしを始めた今となっても、続いていた。
 来客用のカップもないから、普段俺が使っているマグカップ二つにお湯で溶かしたコーヒーを入れ、拓海の元へと向かう。
「インスタントで悪いけど」
「ん、ありがと」
 テーブルには置かずに直接手渡せば、拓海は受け取りながらこちらを見上げて、淡く微笑みを返してくる。
 その顔が。
 静かにコーヒーを飲む仕草が。
 伏せられた睫が落とす影が。
 手渡した時に僅かに触れた指先から感じた熱が。
 もう何年も、心の奥底に押さえつけていたものを解放してしまいそうで、俺は畳の上に座るとすぐに、ごまかすように紙袋に手をやった。
「今年はなんだろな」
「トリュフだよ」
「言うなよ、開ける前に」
 軽口を叩きながら、がさごそと包装紙を解いていく。
 現れたのは、少し大きさにムラのある、でも、まあるいトリュフ。
 早速口の中に放り込む。ココアパウダーの苦味と、チョコレートの甘味。外側の硬い食感と、中の柔らかい食感。絶妙に合わさったそれらが、口の中でほどけていく。
「どう?」
「ん、うまい」
 飲み下して、すぐさま二つ目に手を伸ばす。再びじっくり味わってからコーヒーを啜り、俺は拓海を見た。
「――ありがとな。おばさんにも、お礼、言っといて。それと……」
 これを告げるのは、とても勇気が要る。
 もう何年も、言おう言おうと思って、なかなか言えなかった言葉。
「……来年からは、来なくていいから……」
 楽しいイベントであるはずのバレンタインが、拓海の中では、もしかしたら重い、義務のようなものになってはいないだろうか。近所に住んでいた頃ならともかく、今となっては、これを渡すためだけに、わざわざ電車を乗り継いでここまで来るんだ。この行事が、苦痛になってはいないだろうか。
 毎年この時期になるとそれを考えて、それでも結局、言い出せなくて。
 その理由は、俺自身が一番よく、わかっている。
 バレンタインに、堂々と拓海に会える、大義名分。
 でもいい加減、半端な気持ちで拓海を縛るのは、終わりにしないと。
 だから思い切ってそう伝えれば、拓海はふっと、諦めにも似た溜め息を零した。
「そろそろ翔が、そう言うんじゃないかと思ってた」
「――え?」
「だから今年は、俺が作ったんだ」
「え!?」
 驚き、声を上げる俺とは対照的に、拓海は落ち着いたまま、さっきと同じように淡い微笑さえ浮かべている。
「毎年、帰り際に、何か言いたそうにしてるから。言いたいことがあるとすれば、これしかないだろうって思ってた。だから――」
「ちょっと待てよ、お前が作ったって――」
「だから、最後になるかもしれないなら、母さんのチョコじゃなくて、俺が作ったチョコを食べてほしかったんだ。でも、これで思い残すこともないよ。今まで付き合ってくれて、ありがと。それと、今まで付き合わせて、ごめん」
 言うだけ言って満足したのか、拓海はすっくと立ち上がると、帰るつもりなのか、そのまま玄関へと向かった。
 それを慌てて追って、後ろから拓海の腕を掴み引き止める。
「待てよ!」
 振り返った拓海が、少しだけ、悲しげな眼差しを向けてきた。
「本当、ごめんね。でも俺翔が――」
 続きを言う前に、その唇を、俺の唇で塞ぐ。間近で見る拓海の目が、驚きに見開かれる。
 ゆっくりと唇を離してから、俺は改めて、拓海を抱き寄せた。
「俺に、先に言わせろよ。――拓海、好きだ」
 声に出せば、言葉にすれば、押し込めていた感情が一気にあふれ出す。
「好きだ」
「翔……」
「ずっと、ずっと好きだった」
「俺も、俺も翔が……好き……」
 届けるチョコレートがなくても、バレンタインという大義名分がなくても。
 これからはきっと、いつでも、会いたいときに、お前に会える。

END


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