※ちょっと下品


「ねえ、射精ってしたことあるの?」

その唇に分厚く塗られたシロップ漬けのチェリー色より遥かに下品な質問に、ツェッドは数秒思案した。

「……ええ、一応」
「ふぅん。出るものは出るんだね」

自分から聞いた割にさして興味のなさそうな返事をする彼女に、精子は含まれていませんけどねと伝えるべきかどうか。しばらく悩み、ツェッドは言うのをやめた。自らに繁殖能力がないことを彼女は知っている。だからこそのあの言い回しなのだ。

「やり方って人間と同じでいいの?」
「わかりません。何分初めてですから」
「ふふ……こんな手探りのセックス私も初めて」
「随分楽しそうですね」
「ツェッドは楽しくないの?」
「どちらかというと、恐怖の方が勝っています」

素直に自らの心情を吐露すれば、カナエは恐ろしく真剣な表情で「大丈夫、優しくするから」と青い冷えた手を握りしめた。違う、そうじゃない。

「いえそっちじゃなくて……僕のこの身体が貴方を傷つけないかという心配です」
「ああなんだそんなことか」
「そんなことって……」
「大丈夫だよヴァージンじゃないから」

空振ってばかりのやり取りにとうとうツェッドの口から深いため息が漏れた。察しの悪いカナエは不思議そうな顔をしながら次のリアクションを待っている。ツェッドは黒い瞳に写った己の顔を見つめ、さっきの彼女の声色を真似るように、ゆっくりはっきり言葉を吐き出した。

「僕の爪や棘条が貴方の美しい肌を傷付けてしまうんじゃないかと言ってるんです」
「キョクジョウ?」
「これのことです」

ツェッドが見せつけるように腕を捻じれば、カナエは酷く下らないゴシップ記事を見たときのようにぐっと口角を下げ、鼻で短く息を吐いた。

「このズタボロの身体を見てよくそんなこと言えるわね。近眼じゃなかったの?」
「ちゃんと見えていますよ」
「下手なお世辞は逆効果って知ってる?」
「お世辞なんかじゃありません。貴方は美しい……僕が見てきた何よりも」
「……モノを知らないだけよ」

素直じゃないですねとツェッドが呟くと、カナエは繋いでいた手をするすると解き、代わりに彼の持つ長い爪に指を這わせた。柔らかい指の腹が確かめるように爪の先に触れる。

「猛禽類の爪じゃあるまいし、早々傷付いたりしないわ」
「でもこっちはそういうわけにいかないでしょう」
「そうね」

そう言って細い線を描くように爪先から手首を辿った指先が、触れるか触れないかの絶妙さで鰭の外縁をなぞりだす。その場所に感覚などほとんどないはずなのに、ツェッドは自らの中に甘い痺れが走るのを確かに感じた。

「危ないですよ」

その忠告をいとも容易く無視して、彼女は取り憑かれたように切っ先へと肌を沈めていく。その光景がいつだったか伯爵に見せられた絵本の挿絵そっくりだったので、ツェッドは半分本気でカナエが悪い魔女の呪いにかかっているのではないかと心配した。馬鹿げているとは我ながら思う。

「痛い」

そう言いながらも彼女は血の滴る指はそのままに、彼の唇と呼んでいいのかもわからない場所に自らの唇を重ね合わせた。そもそもツェッドの鰭は紡ぎ車の錘ではないし、お姫様はショッキングピンクのランジェリー姿で男の上に跨ったりしない。よしんば彼女が呪いにかかり茨の中で100年の眠りに就いたとしても、ライブラの総力をもってすれば外界の王子様が来るよりうんと早く彼女は目を覚ますに違いない。そうわかっているのに彼女の目が開かれていることに心の底から安堵した自分に気付き、もしかすると呪いにかけられているのはこちらの方ではないのだろうかとツェッドは考えた。

結局のところカナエがこうしてツェッドに構っているのはその有り余る知的好奇心を満たすために過ぎないのだ。『君のことが気になる』『君の全てを知りたい』そんな言葉で半ば強引に始まったこの関係はもしかすると今夜で終わりを迎えるのかもしれない。自らに対する興味関心がなくなればカナエは躊躇うことなく他の好奇心を満たしてくれる人間(或いは異界人)の元へと行ってしまうだろう。そうわかっていてもここに来てしまったのはやっぱり悪い魔女の呪いなんだとツェッドは無理やり自分を納得させた。

「ツェッド……」
「はい」
「泣いてるの?」
「え?」

そもそも半魚人であるツェッドには目蓋らしい目蓋もなければ涙腺もない。悲しかろうが嬉しかろうが泣くことは出来ないし表情筋にも乏しいので感情の表出は最も苦手なことのひとつだ。

「前にも言った気がしますが僕の目からは涙は出ませんよ」
「うん知ってる」
「だからそれは愚問です」
「でも……悲しそうに見えるもの」

ツェッドは酷く困惑した。と同時に、この人のこういうところが好きなのだと改めて自覚した。この世に唯一無二の存在であるが故に誰からも真に理解されることなどないと諦めながら生きてきた己を理解したいと願い、事実誰よりも深く理解してくれるたったひとりの人。いつか失う日が来るとわかっていてもその光に手を伸ばさずにはいられなかった。

「ほらおいで」

手を引くまま上半身を起こしたツェッドをカナエは優しく抱きしめる。彼が生まれてこの方知ることのなかった1/fゆらぎの音色を肌で教えたのは紛れもない彼女だ。

「ツェッドはすぐひとりで抱え込むからなあ。ほうら、なんでもお姉さんに言ってごらん」
「貴方そんなキャラでしたっけ」
「こら、はぐらかさないの」
「ぐ……」

バチンと一発背中を叩いたあと、嘘のような優しさで頭を撫でだしたカナエのぬくもりに負け、ツェッドはぽつりぽつりと心の内を明かし始めた。

「好きなんです……貴方のことが心から」
「うん」
「僕は何にも属さない、世界にたった1つの個体です。死ぬまで孤独だと言われていたし、自分でもそう信じていました」
「うん」
「けれど貴方が僕の前に現れて、僕を選んでくれた。僕のことを知りたいと言ってくれた。とても嬉しかったです……例えその理由が好奇心を満たすためであろうとも」
「うん?」
「僕の全てをわかってほしい。けれど全てを知った瞬間、貴方は僕に対する関心を失い僕のもとを去っていくでしょう。それがとても悲しい。」
「……待って、」
「僕の中身なんてあってないようなものです。だからきっとすぐその時は来てしまう。けれど叶うなら僕は……」
「待ってツェッド!」

カナエはあからさまに動揺した声で彼の名を呼び、すっかり見えなくなった青い顔を持ち上げた。心無しかしおれた触覚がゆらゆらと揺れる。

「私が自分の好奇心を満たすためだけに君と一緒にいるって、どういうこと?どこのどいつがそんなこと言ったの?」
「言ったのは、カナエさんですよ」
「えっ!?いつ!?」
「一番最初に言ったじゃないですか。僕に興味がある、僕のことが全て知りたいって……」

そのツェッドの台詞にカナエは愕然とした。確かにそれは一言一句違わず自分がツェッドに告白したときの言葉だった。意味を履き違えようもない極めてシンプルなセンテンス。だというのにこの13歳のお子様はその言葉の裏を完全に悪い方に読み違えていたというのか。

「……ツェッド、よく聞いて。私は確かに君に興味がある、君のことを知りたいって言ったしその気持ちに何一つ偽りはない。今でもだよ。けどそれは……ツェッドのことを好きだからツェッドのいろんなことを知りたいって思ったのであって、決して自分の好奇心を満たすためでは……いや、ある意味ではその通りなんだけど、でもそうじゃなくて……あー!!クソッ上手く言えない!!!」
「カナエさん落ち着いて」
「落ち着いてられるわけ無いじゃん!だってこの数カ月君ずっとそんな風に思い違いをしながら私と一緒にいたってことでしょ!?いつか私に捨てられるかもしれないって怯えながら!それで私はそんなことにも気付かず君と思いが通じ合ってると勘違いして浮かれて……こんな……」

馬鹿みたい、とくぐもった声がツェッドの胸元から響いた。こんなことになるのなら意地でもあんなこと言わなければよかった。彼女を傷付けるつもりはこれっぽっちもなかったのにとツェッドもまた項垂れる。

「カナエさん……あの……」
「ツェッド、服脱いで」
「え?」
「早く!脱いで!」
「今ですか!?」

急かされるまま恥ずかしさを感じる暇もないほど慌ただしく服を脱ぎ捨てれば、同じく裸になったカナエがタックルのような勢いでツェッドの胸に飛び込んできた。超至近距離からの蛮行に受け身も取れず、自らの鰭が彼女の腕を串刺しにしないことだけをただ祈るばかりである。そうしてほんの少しの間を置いて二人分以上の重さを受け止めたボンネルコイルがギシギシと悲鳴を上げる中、ツェッドは「危ないでしょう!怪我したらどうするんですか!」とカナエを叱りつけた。

「いいよ」
「……え?」
「ツェッドになら、傷付けられてもいい。嘘じゃないよ。そのくらいツェッドのこと、愛してるの」

瞬間、一連の流れを受けても乱れることのなかった彼の心臓が恐ろしい速さで脈打ち始めた。ぴったりとひっついた肌が火傷しそうなほど熱を持つ。お互い一糸纏わぬ姿であることに今更ながら羞恥心が湧き出てきて、ツェッドの顔からは湯気が立ち上った。

「自分のことだってわかりきらないのに、他人のことを全て知るなんて不可能だよ。けど仮にどうにかして君の全てを理解したとして、私が君を手放すわけない」
「カナエさん……」

ツェッドは生まれて初めて、胸の中からじぃんと何かがこみ上げてくるのを感じた。

「私の気持ち伝わった?」
「はい……すごくよく、伝わりました……なのであの……」
「うん?」
「ちょっと離れて……出来れば服を着ていただけないでしょうか……」
「なんで?」
「なんでって……」
「大丈夫だよ。これからもっと恥ずかしいことするんだから」
「あ、やっぱりするんですね」
「もちろん」

忘れられない夜にしてあげると囁いて、カナエはさっきよりずっと優しいキスを彼に送った。それは言うなれば呪いを解くための王子様のキス。しかしそもそも呪いを掛けたのもその当人であることを考えれば、この物語は童話としては到底成立しなさそうであった。

「カナエさん、ひとつだけいいですか」
「もちろん」
「……僕も愛しています。貴方のことを、心から」

どうか彼女の心にも消えない愛の呪いが掛かりますようにと願いを込めて、ツェッドは細い身体を抱きしめた。あとはもう、二人シーツの海に沈むだけ。
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