「ところでどうして今日だったんだい?」

ベッドの上に散らばる美しい黒髪を掬い上げ、スティーブンはおもむろにそう尋ねた。彼に背を向ける形でまどろんでいたカナエはほうき星のように髪を靡かせながら振り返り、引き締まった彼の胸元に指を這わせ口角を吊り上げる。

「どうしてでしょう?」
「意地悪しないで教えてくれよ。でないと今夜は寝られそうにない」
「ふふふ、あなたが一晩中私に愛の言葉を囁いてくれるなら教えてあげるわ」

カナエの口ぶりにどちらにしても眠らせてはもらえないらしいことを悟ったスティーブンは早々に諦めをつけ、欲望に素直な彼女にとろけるような口づけと、「君に捨てられたら生きていけない」「可愛い僕だけの天使」なんて今どき映画でも聞かないような陳腐な言葉をたくさんプレゼントすることにした。

恋愛小説、モノクロ映画、街を歩けば必ず耳に入る流行りの曲、エトセトラ。記憶の中から掘り起こした胸焼けをしそうな甘い台詞を持ち前の演技力で時に身振りも交えながら囁き続けるスティーブンの唇はしかし、30個目の台詞を前に燃えるような熱い手によって塞がれてしまった。その手の持ち主の頬もまた炎のように赤い。

「もういい!もう充分よスティーブン!」
「どうして?僕はまだまだ全然言い足りない」
「一晩でストックを使い切るより、毎日ちょっとずつ小出しにしてもらったほうが嬉しいってことに今気付いたわ!」
「そうかい?ま、君がそう言うなら僕はそれに従うまでさ」

捕まえた掌にチュッと可愛らしい音を響かせた唇が「それで?」と先程の答え合わせを求める。この期に及んでも尚焦らすように勿体ぶった前置きを入れはじめるカナエに往生際が悪いぞという気持ちを込めて小鳥の啄みのような甘噛みを胸に落とせば、彼女は悩まし気な息をひとつ吐き、それから「曜日と日付よ!」と叫び声を上げた。

「どういうこと?」
「……日曜日は一番スティーブンのドタキャンが少ない日で、今まで一番デートした回数が多いのが9のつく日なの」
「え、君、いちいちそんな統計取ってるの?」
「なんの気なしに手帳をさかのぼって見てたらハッと気付いたのよ!それで改めて確かめてみたらそうだったの!」
「だから今日にしたのかい」
「……そりゃあだって、折角のごちそうを明日のランチにするのはできれば避けたいことだもの」

蜜蜂が刺すようなささやかな嫌味に苦笑を浮かべながら、スティーブンは目を閉じる。

「あのラザーニャ、本当に美味しかったなあ……また作ってくれるかい」
「あなたが望むなら」

可笑しそうに笑うカナエを腕の中に閉じ込めて、スティーブンはそっと自分の頭の中のアルバムをめくった。

カナエが作ってくれたチーズたっぷりのラザーニャは店で出てきてもおかしくない出来栄えで本当に本当に美味しかった。料理に合わせて用意されたちょっぴり上等なワインはスティーブンの好みに合っていたし、デザートに出てきたこぶりなホールケーキはいつだったかにスティーブンが今まで食べた中で一番美味しかったと言った店のものだった。

適当な本数刺されたろうそくに息を吹きかけたのも、腹の底から笑ったと感じたのも、きっと数年ぶりだ。それから、セックスにあんなに興奮したのも。まさか「プレゼントはわたし」なんて引くくらいベタな台詞ひとつであんなことになるなんて彼女も思ってなかったに違いない。少なくともスティーブンは思っていなかった。

「ねえ今なに考えてるの?」
「幸せだなあって」
「どのくらい?」
「うーん、そうだなあ……僕の辞書の幸せって単語の説明書きに今日のできごとをそのまま載せたいくらいには」

それで伝わったかい?と言うスティーブンの言葉に、カナエは「ええ、ええ!十分すぎるくらい!」と鈴のような笑い声をこぼした。

「私も、好きって言葉の意味にあなたの名前を書いちゃいたいくらい大好きよ」

まるで初恋の人の名前を打ち明けるみたいにはにかみながらそう囁くものだから、スティーブンは完全に参ってしまった。

冗談なんかじゃなく愛してるのに、それを口にしようとすると胸の底が震えて言葉が紡げない。愛しい、いとしい、かなしい。ツンと痛む鼻をひとつ啜れば、カナエの手がそっとスティーブンの体を引き寄せた。

「ねえカナエ、君、僕が一緒に地獄に来てくれって言ったなら迷わず来てくれるかい?」
「……バカねスティーブン。あなたと一緒ならどこだって天国よ。好きなところに連れてって頂戴」

馬鹿は君の方だろう。僕が一体どんな人間かも知らないで、その言葉に僕がどれだけ救われるかも知らないで。後からやっぱりなしなんて言っても絶対に取り消してやらないからな!と叫ぶ代わりに、スティーブンは一層強く彼女を抱き寄せた。次の彼女の誕生日には僕の一番大切なものをあげようと心に決めて。

そうしてふたりの夜は更けていく。冷蔵庫の中で氷が溶けるように、ゆっくりと。
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