ライブラのリーダーであるクラウス・V・ラインヘルツが『バースデーパーティーのお知らせ』と書かれた紙を持ってきたのと、スティーブン・A・スターフェイズの恋人であるカナエが『6月9日の夜空いてる?』というシンプルなメッセージを送ってきたのはほぼ同時だった。

低い腰をさらに低くして「君のバースデーパーティーを催したいと思うのだが……」とお伺いを立てるクラウスにスティーブンは眉を下げ心の底から申し訳ないと思っている表情を作りながら、「悪いがその日は恋人との先約があってね」とこれまた本当に申し訳なさそうに聞こえる声色で返事をした。

カナエのメッセージに素早く返事をしながら、スティーブンは心底ホッとしていた。彼の提案を却下するというのは決定事項だとしても、全くの嘘を押し通すのと事実を淡々と伝えるのとでは良心の痛み方が全く違う。どうでもいいクズのような人間ならまだしも、自らが敬愛する純粋無垢な人間に嘘を吐くというのは冷血漢と罵られがちなスティーブンにおいてもなるべく避けたいことであった。

そうして約束の日。スティーブンは朝からライブラのメンバーに祝われながらいつも通り粛々と仕事をこなした。正直なところキリのいいところまで書類を終わらせてから帰りたかったがそれは流石に建前上憚られたため、今から恋人に誕生日を祝われるので浮かれていますみたいな空気を申し訳程度に醸し出しながら退社した。

とはいえスティーブンは恋人に一切の素性を教えていない。スティーブンという名前やプライベート用の携帯番号やメールの他はなにもかも。だから当然今から行く彼女の家で誕生日を祝われるなんていうことは起こりようがないのだーー彼女が明確な意思を以てスティーブンの秘密を探り当てようとしない限りは。

だから、インターフォン越しに『今手が離せないから勝手に入って』と言われ、勝手知ったるなんとやらで玄関をくぐりリビングへと足を踏み入れた瞬間、巨大なクラッカーを炸裂させ「お誕生日おめでとうスティーブン!」と大声で叫んだカナエに対して“仕込み”をしてしまったのは致し方のないことだった。スティーブンだってよりによって産まれた日に死にたくはない。

「驚いた!?ねえ、驚いた!?」といたずら顔で聞いてくるカナエにスティーブンはこれでもかというくらい目を大きくかっ開いて「心臓が止まるかと思ったよ!」と降参のポーズをとった。その台詞に嘘はなく、実際彼の心臓は一瞬止まりかけた。

彼女を恋人にするにあたり徹底的に身辺調査はしたはずなのだ。当然その時の結果はシロ。オフホワイトでもアイボリーでもなく新雪の如き純白。彼女が我々の目を欺くほどのやり手にせよ、知らない間にどこかの悪いやつに唆されたにせよ、スティーブンの受けた衝撃はいつぞやのホームパーティの比ではなかった。彼はその時初めて、自分が思った以上に彼女に入れ込んでいたらしいことを知ったのであった。

「……ところでカナエ、僕が、いつ、君に、今日が誕生日だって言ったっけ?」

努めて明るく聞いたつもりの台詞は彼の思ったよりもうんと冷たく、乾ききった声で響く。スティーブンの手からひったくるように取り上げたシャンパンをワインクーラーにいささか乱暴な手付きで突っ込んだカナエは不思議そうな顔つきで振り返り、「いやだわスティーブン、あなたったら自分が今までなにを言ってなにを言わなかったのかさえも覚えてないの?」と盛大なため息を吐いた。

「ええと……僕の記憶では、君に誕生日を教えたことはなかったはずなんだけど……」
「ええそうよ、その通りよスティーブン!」
「じゃあ何故?」
「なぜ?」

そこでお互い小さく首を傾げた。どこか噛み合っていないのはわかるものの、どこが噛み合っていないのかはわからない。なんとも言えない空気の中、ずいっと一歩足を踏み込んだのはカナエの方だった。

「だって、あなたが悪いのよスティーブン!私が何回誕生日を聞いたってちっとも答えてくれないんだもの!」

女が「あなたが悪いのよ」と言うときは、十中八九してはいけないことをした時だ。最悪の想定を頭に浮かべながらスティーブンは腹にぐっと力を入れ、次にくる言葉を待ち構えた。

「やっぱり恋人である以上、愛する人の誕生日はきちんと祝ってあげたいじゃない?それでなくてもあなたは色々と私によくしてくれているのだし、私だってちゃんと返したいの。でもあなたは何回聞いてもはぐらかすばっかり……だから……」
「……だから?」
「私が勝手にあなたの誕生日を決めて勝手に祝うことにしたの!!」

どうだ!と言わんばかりに胸を突き出して不敵な笑みを浮かべるカナエを目にした瞬間、スティーブンは自分の腹の底から勝手に「はあ……?」という間の抜けた声が出るのを聞いた。

「ええと、つまり、君は、僕がいつまで経っても誕生日を教えなかったことに痺れを切らせて勝手に誕生日をでっち上げて、僕を驚かせようとサプライズパーティーを用意してくれたわけだ」
「そのとおり!だからほら、早く座って座って!」
「ああうん待って、とりあえず手を洗わせて……」

キッチンで洗えば?というカナエの声を無視してスティーブンは来た道を戻り洗面所に立て籠もった。まだアルコールは一滴も入っていないにも関わらずふらふらする足取りで洗面台に手をつき鏡を覗き込めば2徹明けのような酷い顔になっているではないか。これなら大人しくクラウスの祝福を受けていた方が余程良かったと思いながら、素早くスマートフォンを取り出した。

「ーーああもしもし、ちょっと聞きたいんだけれどもさ、僕の子猫が知らないうちに悪さをしていたなんてことは……ないよね?」
『……我々の知り及ぶ限りではこの一年弱、疑わしい言動は何も見られませんでしたが』
「ああうんそうだよね。もしあれば君は必ず僕に知らせてくれる。それがないということはつまり、そういうことだ」
『そちらに向かいましょうか?』
「いいや大丈夫さありがとう。どうやら僕はこの前のアレがあってからちょっと神経質になっているらしい」
『それは無理もありませんよ。何かあればすぐに連絡を。駆けつけます』
「連絡がないことを祈っていてくれ。じゃあ切るよ」
『はい……ああミスタースティーブン』
「うん?」
『お誕生日おめでとうございます』
「……ありがとう……まさか君に祝われるとは思わなかったな」
『良い夜を……では』

ある意味では最も信頼している男の声を聞いたことでスティーブンは漸く、いつもの冷静さを取り戻すことに成功した。カナエは知る由もないことだが、彼女は最重要監視対象としてスティーブンがせっせと仕込んだおびただしい数の盗聴器やカメラによって24時間365日常に動向がチェックされている。

監視というと聞こえが悪いが、これは当然彼だけでなく彼女の安全を守るための措置でもある。

優秀な私設部隊の“目”があるからこそ、彼は心置きなく彼女を愛せるし、自分が彼女の側にいられない時でも安心して仕事に専念できるのだ。

勢いよく流れる水に手を突っ込んで、スティーブン・A・スターフェイズは深く息を吐いた。遠くで彼女が呼んでいる。
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