ピンポーンーー

昼とも夕方ともつかない微妙な時間帯。部屋に玄関のベルが響き渡った。思わずかなえと顔を見合わせ首を傾げる。

「なんでしょうね。」
「なんかの勧誘か?……ちょっと出てくる。」

のっそりと立ち上がると、立て続けに二回も三回もベルが鳴る。勧誘にしてはいくらなんでも非常識だ。一体どこのどいつだ、と思いながら、はいはい今出ますよとつっかけを履いてドアを開ければ、見慣れた顔があった。

「兄者!!ついに三段リーグを抜けました!!!!」

こちらが声をかけるより早く飛び出た言葉に面食らう。「兄者?」という不思議そうな坊の声にようやく我に返り、しどろもどろに「お、おお。おお!そうか!ついにか!」と言い、それから慌てて「おめでとう!」と付け足した。

「これからは兄者と同じプロです!」
「本当におめでとう!よく頑張ったなあ!」

一生懸命頑張っていた弟弟子の朗報にじわじわと喜びがこみ上げてきて、力いっぱい坊の頭を撫でていると、あっ!と坊の目が奥に向く。

「あねうえ!」

居間から様子を伺うように顔を覗かせていたかなえはその呼び声に勢いよく部屋を飛び出し、坊の手をガシッと掴んでブンブン振り回した。

「春くん!昇段おめでとう!」
「ありがとうございます!」

手を取り合ってエンドレスにおめでとうとありがとうを繰り返すふたりの姿はまるで本当の姉弟のようで実に微笑ましい。

「今度の研究会は昇段祝いも兼ねてだな。」
「ありがとうございます兄者!」
「ごちそう作るよ。なにが食べたい?」

かなえのその言葉に坊は数秒思案して、それから元気よく「カレーライス!」と答えた。


※※※


「というわけで今日は春くんのリクエストでカレーライスです!」

炊飯器とカレーの入った鍋をドンと畳の上に置き、かなえは皆大盛りでいいよね!とカレーライスを盛っていく。

「はい、島田さんの分。」
「サンキュ。」

俺もみんなのうちに漏れず、いつもより大分多めになっている。

「トッピングをいろいろ用意してみたので好きに乗せてください!ハンバーグは一人一個まで!」

机に乗った山盛りのトッピングを前に、坊と重田くんが声を揃えて「おおお……美味しそう……」と目を輝かせた。

「えー、それじゃあ、坊の三段リーグ突破を祝して……乾杯!」
「「「カンパーイ!」」」
「はー……ビールうめえ……」
「いただきます。」
「はいどうぞ。」
「あねうえ!これはなんですか?」
「それはねえ……」

やいのやいの言いながらカレーをつつく坊とかなえの姿をビール片手に眺める。普段研究会の後には飲んだりしないが、今日は特別だ。

「いやあ、重田さんにトーナメントで会える日が楽しみだなあ……ゴリゴリの居飛車でけっちょんけっちょんのギッタギタにしてやりますから覚悟しててくださいよぉ。」
「はぁ?なに舐めたこと抜かしちゃってんの?もう既に天狗ですか?振り飛車でその伸び切った鼻へし折ってやるよ。」
「こらこら二人とも落ち着けって。」

こんな時にまで、と言うべきか、こんな時だからと言うべきか。坊の昔を知っている身からすれば、年相応に言いたいことを言い合える仲間が出来てよかったなと思うのだが、こんな歳の離れた相手と同レベルの言い合いを繰り広げていてそれで良いのか重田くんと思わずにはいられない。

「はい、デザートは杏仁豆腐だよ。」
「美味しそうですあねうえ!」

それでも、いつもは色々と制限された食事を半ば義務のように摂取している坊が、こうやって笑顔でのびのびと食べている姿を見ると、この研究会を始めて良かったなと心から思う。

「あねうえ!ありがとうございました!」
「はーい、バイバイ。またね。」

坊と重田くんを見送って、いそいそと食器を片付けはじめるかなえに、洗い物はやっとくから先に風呂に入ってこいと言った。

淡々とスポンジを動かしながら、台所の片隅にある本をちらりと見る。よく見る料理雑誌の隣には『腎臓病の食事』『腎臓病の人のための食品早わかりブック』と書かれた本が並んであって、更にその隣にはシンプルな便箋が顔をのぞかせている。これは坊がうちでご飯を食べた時、何をどれだけ食べたのかをメモして花岡さんに手渡すのだそうだ。別にそうしろと言われたわけではないと思うのだが、つくづく律儀だと思う。

「お先です。」
「ん。」
「洗い物代わりますよ。」
「いや、いいよ。もうこんだけだし。」

そう言うとかなえはふきんを取って洗い終わった器を拭き始める。

「毎回悪いな。大変だろ。」
「大丈夫ですよ。あんだけ美味しい美味しいって言いながらいっぱい食べてもらったらこっちも嬉しいし。」
「そうか。」

かなえのおかげで山積みになっていた器があっという間に片されていく。

「……いっぺんだけ味見させてもらったんだけどな、本当に精進料理みたいなんだよ、普段の坊の食ってる飯。プロが作ってるからもちろん美味いんだけどさ、味気なくって。だからかなえが思ってる以上に坊はかなえの飯喜んでると思うよ。なんべんも一緒に飯食ってるけど、ここで食ってる時が一番いい顔してるもんな。」

そう言うとかなえは「ほんとに?うれしいなあ」と呟いた。その口元にはほんのりとはにかみの見える笑みが浮かんでいる。

「ま、あんな風に懐かれちゃあ邪険にできませんよね。」
「ああ、全くだ。」

二人してふふ、と笑いながら最後の鍋をかなえに渡す。

「んじゃ、風呂入ってこようかな。」
「はいどうぞ。」
「サンキュな。」

ぽんぽんと軽く撫でたかなえの髪はしっとりとしていて、同じシャンプーを使ってるはずなのに不思議なくらい甘い香りがした。
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -