しょうもないポカをやらかして、あり得ないような逆転負けを食らった。確かに手の中にあったはずの勝ちが、たった一手でするりと逃げていった。

「あー……帰りたくねえなあ……」

こんな日に限ってかなえはいない。大学の友達と飲み会らしい。灯りのないあの家に一人で帰ると思えばジクジクと胃が痛んだ。ちょっと前まではそれが当たり前だったのに。

今頃はきっと宴もたけなわというやつだろう。何時くらいまで飲んでいるのかは知らないが、かなえのことだから、俺に遠慮して今日は帰ってこないかもしれない。ならいっそ俺も朝まで飲み明かしてしまおうか。

「はあ……」

そんなことを思っていたのに、結局コンビニでビール数本だけ買って帰路についた。そういえば頼んでいた出前はどうなったんだろうか。夕食休憩前に投了してしまったせいで金だけ払って結局食べ損ねたが、誰か代わりに食べてくれたんだろうか。いやそれは流石にないか。

「勿体無いことしたなあ……」

あそこのうどん美味いのに。せめて誰かが中身をどうにかして返してくれたならいいのだけれど、と思いながら、重い体を引きずって歩いていく。暗がりの中ではどれだけ足を動かしても一向に進んでいる気がしなくて嫌になってくる。まるで自分の棋士人生のようだ。

そんな後ろ暗いことを考えているうちにようやく家にたどり着き、ポケットの中をまさぐる。鍵を差してドアノブを回すというごく当たり前の動作さえ今はノロノロとしか出来なかった。

電気を点けることも、鍵を定位置に置くことも、靴を脱ぐことさえ最早面倒で、小上がりに座り込んだまま土足で上がり込んでやろうかなんて馬鹿げたことを考える。ああ駄目だ。根っこが生えてしまって立ち上がれない。

困ったなあと思いつつ、もういいかという思いも芽生えてきて、そのままビールに手を伸ばした。昨日深爪をしたせいで、プルタブを開けるのにも苦戦する。そうこうしているうちにようやく引っかかって、プシュッと音を立てたところで、何の前触れもなくパチンと玄関の灯りがついた。

「おかえりなさい。」

振り向けばかなえがいる。あまりに突然のこと過ぎて、理解が追いつかない。混乱した頭でひねり出せたのは「……え、お前、なんでいんの、」という一言だけだった。

「飲み会、つまらなくて、乾杯だけしてドロンしちゃいました。」
「あ……そ、」
「ご飯まだですね?」
「あ、うん……」
「とりあえず靴脱いで上がって。着替えてきてください。」

そう言ってかなえは俺の手から中途半端に空いた缶ビールを奪って台所へと去っていく。俺は混乱した頭のまま、言われたとおり部屋に行ってコートとスーツを脱いだ。

部屋着に着替えて、居間に座ってぼうっと待っていると、しばらくしてお盆を持ったかなえがやってくる。盆の上には小さな土鍋と、さっき買ってきた缶のビールに小さなグラスがひとつ。かなえは俺の前に土鍋を置いて、とくとくとビールを注いだ。

「はい。お疲れ様でした。」

パカッと開けられた鍋からもわもわと立つ湯気。その向こうに現れたのは、ねぎとえび天と卵の落とされた鍋焼きうどん。ああ、そうか。

「……いただきます。」

くたくたに煮込まれたうどんはよく味が染みていて、するんと胃に落ちていく。ふやけたえび天も、割ると黄身がとろっと出てくる卵も、みんなみんな優しくて美味しくて、じんわりと胸のあたりが温かくなる。堪えきれず、涙がこぼれた。

「……お風呂入れてきますね。」

慢心して、油断して、ありえない間違いを犯して、逆転負け食らって。そんな醜態を全部、全部知られてたなんて。情けなくて恥ずかしくて顔から火が出そうだ。でもそれ以上に、俺のそんなみっともないところを知りながら、それでも一緒にいてくれるかなえの気持ちがただ、叫び出したいくらい、嬉しかった。

「あー!!!くそっ!!」

というか、叫んでしまった、思わず。そしたらちょうど、戻ってきたかなえに「急に叫ばないでくださいよ!びっくりするじゃないですか!」と怒られて、ごめんと謝った。

「お腹ふくれましたか。」
「うん……美味かった。ごちそうさま。」
「はい、お粗末さまです。」

机の上に突っ伏して、せかせかと机の上を片付けるかなえを眺める。

かなえは、決して俺に頑張れとは言わない。対局の結果も聞かないし、勝って帰っても負けて帰っても何も態度が変わらない。だからこそ、俺は変に気負わずにいられる。

今までそれは、単にかなえが俺の仕事に興味がないだけだと思いこんでた。知らないからこそ、そうやっていられるのだろうと。そんなこと、あり得ないのに。

俺がいて欲しい時にいてくれる。勝っても負けても変わらない笑顔で出迎えてくれる。それが優しさとか思いやりでなくてなんなのだ。

「寝ちゃ駄目ですよ。起きれなくなりますよ。」
「うん……」

かなえがそこまでしてくれる理由を知りたくないと言えば嘘になる。好意なのか、同情なのか、それ以外なのか、突き詰めたい気持ちはいつだってある。でも今はただ、このままで、
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