開さんはいつも優しい。年上だからか、生来のものなのか、両方なのかはわからないけれど、どんな時でも穏やかで思いやりに満ちていて。

私は開さんのそういうところを好きになったはずなのに。いつだって髪の毛についた埃を取るように私を扱うその手つきが、最近どうしようもなくじれったく感じてしまう。

今だってそう。開さんの薄い唇が私の唇に触れているけれど、まるで小鳥のついばみのようで物足りない。もっとぐちゃぐちゃに混ざり合いたい。ふたりの垣根をとっぱらって、溶け合ってしまいたい。

「どうかしたのか?」
「え?」
「難しい顔をしてる。」

触れるか触れないかの距離で頬をなぞるその指がもどかしい。

「なんでもないですよ。」

至って何でもない風を装ってそう言ったけれど、かえって白々しすぎたかもしれない。その証拠に今度は開さんが難しい顔をして黙り込んでしまった。沈黙が気まずい。私は取り繕うように声をかけようと口を開いたけれど、それより早く開さんが口を動かした。

「そうか。」

それだけ言って、開さんは静かに部屋を後にした。私はただ呆然としながら、いつもより伸びた背中を見送る。それからすぐに、玄関のドアがバタンと閉まる音がして、目の前が真っ暗になった。

どうしよう。あんなに優しい人を怒らせてしまった。

呆れた?嫌いになった?面倒くさいって思った?

どうしよう。どうすればいい。追いかけなきゃいけないのかもしれないけど、追いかけてもし拒絶されたらと思うと足がすくんで動けない。

チクタクと時計の音だけがやけに耳に響いて、さっきの光景が何度も浮かんでは消えてを繰り返す。このまま開さんが戻ってこなかったらどうしよう。怖い。

いつの間にか西日で赤く染まった畳にぽとりと涙が落ちた。

「ただいま。」

何粒目かわからない涙が落ちた時、開さんはあっけなく帰ってきた。その表情も声も、いつもと同じように穏やかで、それが余計に辛い。いっそ詰ってくれた方がいくらか気は楽になるだろうに、この人は絶対にそれをしない。

「か、いさ……」
「え、かなえなんで泣いて、」
「かい、さん……ごめっなさ、いっ……」
「どうしたっ、なんかあったのか!?」
「きにっ、さわったならあやまるっから、」
「なにが、」
「きらっい、に、ならなっで……!!」

そこから私は子どもみたいに泣きじゃくった。開さんは困った顔で私を抱きしめて、何度も何度も背中を撫でてくれたけれど、優しくされればされるほど私の胸は痛くなって涙は止まらない。

「俺がかなえを嫌いになるなんて、ありえないから。」
「ほんっ……と、に」
「本当だから。大丈夫だから。とりあえず泣き止め。な?」
「う、う……」

大丈夫だから、と繰り返すその声にようやく私は深く息を吸うことができた。顔を上げれば部屋はいつの間にかうす暗くなっていて、そんな中でも開さんの澄んだ目だけははっきりと見えた。

「ごめ…んなさい……」
「いや、俺の方こそほんとごめん。」
「なんで開さんがあやまるんですか……悪いのは私……なのに、」
「いや、悪いのは俺だ。全部俺が悪い。かなえはひとっつも悪くない。」

もう一度ギュッと抱きしめられて、開さんの吐く息が耳にかかった。

「俺、ほんとなんでこんな自分のことしか考えられないんだろうな。」
「……そんな、こと……」
「あるよ。さっきだって、いっつもかなえに我慢ばっかさせて、思ったことも言わせてやれない自分が不甲斐なくて情けなくて。年上の癖に何やってんだって思ったら段々イライラしてきて、頭冷やすのに外で煙草吸ってたらこのザマだ。普通に考えて、あんな態度取ったら誰だって不安になるの、わかるだろってな。」

まくし立てるようにそう言って、開さんは痛いくらい強く私を抱きしめながら独り言のようにごめんと言い続ける。開さんがそんな風に思ってたなんて露ほども知らなかった私は、同じように開さんの痩せた背中に手を回して、ぐっと力を込めた。

「開さんが自分勝手なら、私だって自分勝手ですよ。」
「……そんなことないだろう。」
「ありますよ。私も、言いたいことがあっても、開さんに面倒くさいって思われたり、幻滅されたりするのが怖くて口に出来なくて。それが開さんを傷つけてることにちっとも気付かなくって。開さんの重荷になりたくないって思いながら結局自分の保身ばっかり。私、開さんよりよっぽど……」

そこまで言うと、開さんは少しだけ腕の力を緩めて、私のおでこにコツンと自分のおでこを当てた。睫毛が触れ合いそうな距離で、開さんがふっと笑った。

「……じゃあ、おあいこだな。」
「はい。」

とくん、とくん、という胸の音が肌を伝って耳に届く。一体どれほどの時間、ただ抱き合っていたのかわからないけれど、真っ暗闇の中、私達の境界線は見えなくなっていた。

「……開さん……私ね……」
「うん……」
「私……すごくいやらしい女なんです。開さんにもっと激しく求められたいって、もっと深く繋がりたいって、そんなことばっかり考えてて。そんな自分を知られたらはしたないって思われそうで、なんでもないって嘘ついたんです。」

ああ、全身が心臓になってしまったみたい。顔に熱が集まって、鏡を見なくても真っ赤になっているのがわかる。顔色なんてわかりっこないのだけれど、それでも恥ずかしくって、逃げるように未だしっとりと濡れる開さんの胸元に頬を押し当てた。

「はは、そんなんではしたないなんて言ってたら、俺の頭の中を覗いたら卒倒するんじゃないか。」
「……本当?」
「ああ。なあ、かなえ、お互い変な気を使って言いたいことを閉じ込めて、それですれ違ってちゃ世話無いよな。俺はそんなことでかなえを失いたくない。だから、これからはちゃんとお互いの気持ちを伝え合える関係になろう。」
「はい。」
「さしあたってだな……」

そう言って居住まいを正した開さんは、ふう、と短く息を吐き、それから私の頬に触れた。

「……抱いてもいいか。」

その言葉と共に、冷たい指先がかすかに震える。はいと答える私の声もまた、震えていた。
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -