俺は今、生まれて初めて女の子に押し倒されるという経験をしていた。太ももの柔らかさとか、頬にかかる髪の毛の匂いとか、吐息の熱さとか、なんかもう色々とマズイ。けれどそれ以上にマズイのは、相手がかなえということだった。

「えっと……」

真上からじっとりとした目で見下されると、違う意味でドキドキする。俺の右手にはビールの缶が握られていて。おまけにその中身は一口分しかまだ減っていなくて。俺が無茶な体勢を取れないのをいいことに、かなえは腹の上でふんぞり返って、俺のシャツのボタンに手をかけた。

「ちょっ!ダメだって!!」
「なんで。」
「なんでって……ダメだろ!普通に!」
「だからなんでよ。」

不機嫌全開の声でそう言うかなえの両手をを左手でひとまとめにして押しのけようとするが、かなえもなかなかの馬鹿力で抵抗してくるので一筋縄では行かない。このままでは俺の大事なものが奪われてしまう!助けていっちゃん!

「やーめーろってー!」
「…っ……」
「かなえ!」
「…………」
「あー!もー!」

唇を噛み締め尚も強固に抵抗を続けるかなえ。このままでは埒が明かないと悟った俺はヤケクソで、持っていた缶を床に放り投げ、かなえの手を引いた。

きゃっ、と聞いたこともないような模範的な女子の悲鳴を上げ、バランスを崩すかなえ。天地がひっくり返って、俺は見下される立場から見下ろす立場へと変わった。

「なに、お前欲求不満なの?」

はあやれやれとため息を吐きながら床を見れば、予想通りの大惨事。どうすんのよこれ、と眉をひそめながらもう一度かなえの方を見て、ギョッとした。

「え、なんで泣いてんの。」

口を真一文字に結んでポロポロと大粒の涙を流す姿は今まで数え切れないくらい見てきたけれど、原因はいつだって他にあった。他のやつに泣かされたときの慰め方はわかっても、自分が泣かせた場合の慰め方なんて微塵もわからない。どうしていいのかわからず右往左往していると、いつの間にか目元を腕で覆い隠していたかなえが、ゆっくりその口を開いた。

「もうやだぁ……わたしいつまでこんな、不毛な恋つづければいいの。」

その言葉を皮切りに、嗚咽を漏らしながら子供のように泣きじゃくるかなえに、かける言葉が見当たらない。俺はポリポリと頭を掻いて、頭もとにあったティッシュを何枚か取り出した。

「……泣くなって。」
「っ……うるさい、バカっ……」
「口悪いなあ。」
「わたしが、ずっとたつゆきのこと好きなの、知ってるくせにっ!」
「……」
「…………すきなの、龍雪が、好き……」

男と女というのは。男と女だからこそ得られるものより、男と女だからこそ失うものの方が多いと俺は思っている。

俺とかなえはかなえの年齢の分だけ物心つかないときからの付き合いがあって。それは時に家族より深いものでもあって。俺はかなえとの関係を壊さないように、バランスを保っていたつもりだったのだが、それはどうやら本当にただのつもりだったみたいだ。

それこそ思春期の頃の俺達は、互いの手を取り合って細いロープの上を渡っているようなギリギリの関係を続けていた。けれどお互い二十歳を超えて、恋人がいた時期もあったし、とっくにそんな関係は抜け出していたと思っていたのに。

かなえは背を向ける俺をつま先立ちで追いかけ続け、ついに挫けてしまったようだった。そしてかなえがつま先立ちを続けていたことに今の今まで気付かなかった、あるいは気付かないふりに徹していた間抜けな俺は今、泣きじゃくるかなえを置いたまま立ち去るか、それとも手を取って新しい道を往くかの選択を迫られている。

「……絶対後悔するぞ。」
「…………欲しいものが目の前にあるのに、指咥えて見てるだけの方が何倍も後悔する。」
「棋士と付き合うって、多分想像の何倍も大変なの、わかってる?」

その言葉にふっと大人びた笑みを浮かべたかなえは、俺の胸ぐらを掴んで唇に噛み付いた。

「それでも私は龍雪がいい。」
「…………ああもう、知らねえからな。」

絡み合う舌の感触も、手に吸い付くような肌のきめ細かさも、甘ったるい声も、一生知らずにいたなら約束された未来があったはずなのに。けれどもう後には戻れない。賽は投げられた。

もし壊れたのなら、飛び散った欠片をかき集めて、新しい何かを作ろう。それが良いものか悪いものかなんて出来上がってみないとわからないのだから。
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -