「しーまーだー!どこ行くんだよ!」
「……会長……」

新年恒例の指し初め式の後、新年会に出てちょっとだけオードブルをつまんでさて帰るかと立ち上がった瞬間、満面の笑みの会長に声を掛けられた。嫌な予感がすると思った時には既に肩をガッチリ組まれ、空のグラスにビールをなみなみ注がれる。

「はい!今年もよろしくね!」
「……よろしくお願いします。」

グラスが割れんばかりの勢いで乾杯してきた会長は申し訳程度にビールに口を付けたあと、「で、さ、」と目を輝かせ、肩の手にぐっと力を入れた。

「お前、ひと回り下の女子大生とデキてるってホント?」

何のオブラートにも包まれていないド直球な質問に、思わず口に含んでいたものを噴き出してしまう。そんな俺の反応を見て会長は「やっぱホントなのか!ホントなんだな!」と後ろを振り返った。

「おーい朔ちゃん!やっぱ島田女子大生と付き合ってんだってよー!」
「マジかよ島田やるなあ!」
「やってません!!付き合ってませんから!!堂々と嘘を垂れ流さないでください!!!」
「え?違うの?島田がクリスマスにひと回り年下の女子大生に宝石貢いでたって後藤が言ってたけど……」
「後藤さん、あんにゃろ……!」

妙なことを吹き込んだ張本人はどこだとさっきの発言でざわつく広間の中を見回すと、「後藤だったらそれだけ言ってすぐ帰ったぞ」と言われて脱力する。嵐の種だけ蒔いて自分はさっさと帰るなんて。思わずほくそ笑む後藤さんの顔が頭に浮かんだ。

「ま、詳しい話はあっちで聞くからさ!」
「や、もうほんと勘弁してください……」
「駄目だぞ〜!帰ったら次の対局ペナルティー付きにするからな!」
「職権濫用にも程があるでしょう!!」
「当たり前だろ!そのために会長やってんだよ!」

最低だよこの人!と叫ぶ間に首根っこを掴まれて無理やり上座の方まで引きずられる。さっさと帰ればよかったと後悔しても先に立たず。無理くり座らされ、またなみなみと酒を注がれた。

「で、なんて子?今いくつ?どこで知り合ったわけ?」
「絶対に教えません。」
「なんでよ!いいじゃん減るものじゃないんだし!」
「減ります!確実に俺の中の何かが減ります!」
「島田のケチ!」
「ケチで結構!」
「いいもんね!そんなこったろうと思ってこっちもちゃんと作戦練ってあるんだよ!」
「作戦……?」

一体どんな……と会長の指す方を見れば、柳原さん。と、さっきは気付かなかったがその脇に既に机に突っ伏している誰かがいる。あれはもしかして。

「朔ちゃんから同期で研究会一緒の重田くんに聞き込み調査してもらっちゃいました☆」
「ああああっ……」
「どうだった朔ちゃん!」
「いや、あいつホント酒弱すぎてビックリするわ。しかも普段全っ然喋らないくせに飲むと途端に饒舌になるのな。二重にビックリだよ。」
「重田くん……すまん……」
「さ、もっぺん乾杯するか!」

カンパーイ!と高らかに何回目かの音頭を取る会長。その乾杯は、俺の耳には完敗としか聞こえなかった。

「で、その子の名前は?」
「…………かなえです。」
「歳は?」
「……ハタチくらいです。」
「お前今いくつだっけ?」
「35です……」
「うわっ余裕でひと回り以上離れてんじゃん!お前それ犯罪じゃねえの!?」
「だから何にもしてませんってば!」
「で、馴れ初めは?」

左右を将棋界の重鎮に囲まれて話す話題がこれかよと思いつつ、言っても言わなくても柳原さんの口から会長に伝えられるのは時間の問題なのでおとなしく自分の口から吐くことにした。もちろん話す内容は必要最小限だ。

「えーっと、じゃあまとめると、去年の今頃に家の前でのたうち回ってた島田を、その近所に住むかなえちゃんが介抱してくれて、そっから時々ご飯を作ってくれるようになり、気付いたら島田の家に上がり込んで今では献身的に家事やらなにやらの世話を焼いてくれるようになったと。」
「はい……」
「何それもう彼女通り越してただの嫁じゃん!!!嫁!!」
「んでお前はハタチの女子大生と一つ屋根の下で寝食を共にしていながら、この一年間チューはおろか手さえ繋いだこともないと。」
「……はい……」
「おい島田!お前その歳でもう不能か!?俺のバイアグラ分けてやろうか!?よく効くぞ〜!」
「徳ちゃん、流石にその話はやめようぜ、まだ真っ昼間だから。お偉いさんもいるから。」

柳原さんの一言に、「あっいっけねえ!ついつい☆」と額を打った会長は、その辺にいた若いやつに「おーい、ビール持ってきて!」と声をかける。もう帰らせてくれ。

「しかし島田、お前流石にそれは男としてどうなのよ。」
「そうだぜ島田ぁ……そんだけ上げ膳据え膳で何にも手ぇ出さねえって……俺だったらもうとっくに結婚して子供こさえてるよ!なあ!」

会長のその一言に、周りで聞き耳を立てていた先輩棋士たちもうんうんと頷き、やれ俺達の若い頃はどうだっただの、今の若いやつはこうだのというお決まりの台詞を口にしはじめる。そうなればもう、俺がいようといまいと勝手に盛り上がるだけだ。今のうちに帰ろうと荷物を持ってそっと立ち上がれば、俺だけに聞こえる声で会長が「なあ」と声を掛けた。

「もう結婚しちまえよ。紙一枚出しゃあ済む話なんだからさ。」
「無理です……ひと回り以上離れてるんですよ。彼女が気の毒です。」
「気の毒つったってなあ、現時点で既に事実婚状態じゃん?社会的な保障もなくうら若い女の子にそんなことさせてる方がよっぽど気の毒だと思うけど?」
「……彼女が好きでやってることですから。そのうち卒業して就職したら、周りにもっと良い男がたくさん現れて、俺なんてあっという間に捨てられますよ。」
「……お前はそれでいいワケ?」

その問いに、何も答えられなかった。

「な、島田。棋士ってのはさ、自分のために戦う生き物だ。けど、守るものがあると思えば、自然と戦い方も変わってくる。失うことを恐れすぎて守るべきものを最初から手放してちゃあ、意味ないだろう。」

ああ、その通りだ。その通り過ぎて、ぐうの音も出ない。俺はかろうじて「お先に失礼します」とだけ言って、ふらつく足取りで会館を後にする。

「情けねえなあ……」

何が彼女が好きでやっていることですだ。自分に意気地がないのを棚に上げて、まるでかなえを悪者扱い。最低にも程がある。

失うのが怖いからって、彼女の好意を見て見ぬふりして、善意の上に胡座をかいて。そのくせ、独占欲むき出しにネックレスなんて贈ったりして。言ってることとやってることがまるで噛み合っていない。

「とんだクズ野郎だな俺は。」

例えば自分がもう少し若かったら。あるいはこれだけ年が離れていてもかなえの気持ちを引き止めていられると自信を持って言えるだけの何かがあったなら。そして今も心に残り続ける過去の過ちをなかったことにできるのなら。

そこまで考えて、馬鹿げているなと白いため息を吐いた。
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