-覚め-






空っぽな夕闇の中で私を呼ぶ声がした。
自分自身さえ見えないその闇の中で、その声はまるで一筋の光へと私を導いていくみたいだった。
冷たい体にふわりとしたあたたかさが触れて、そこで。


「――…!」


目が、覚めた。


「――…ゆめ…、」


規則正しい機械音がずっとしていた。
周りを見回そうと思って首を回すと、頭に鈍い痛みがして動きが止まる。
血液の流れがひときわ大きく脈打つのが聞こえて、よく分からないまま吐き気がして顔をしかめた。


――きもち、わるい。


頭が痛くて眩暈がして、生ぬるい涙が頬を伝った。


どうして、こんな。


理由が分からなくて混乱する。


「――…っ!!」
「っ、クロームっ!?」


不意に声がして目を開けると、茶色の髪の男の人が慌てて走り寄ってくるのがぼんやり見えた。
誰かは知らない。
けれどそこに自分以外の人がいたことに安心して、そのせいなのかどうかは分からないけど、額に熱が触れた気がして少しずつ眩暈が治まっていく。


「…大丈夫?」


心配そうな声に小さく頷いた。
ゆっくりと視線を上げて見たその人の顔に見覚えはなかったけど、不思議と嫌な感じはしなかった。


「? どうかした?」


じっとその人を見つめていると小さく首を傾げられて少しだけ戸惑った。
でも、聞かなくちゃ。


「…あの…、」
「ん?」
「あなたは、だれ…?」
「…!」


一瞬だけ、彼の表情が歪んだ。
(どうしてそんなかおするの?)
けれど私が口を開く前に彼はもうさっきまでの優しげな笑顔に戻っていて、理由はよく分からなかったけどその笑顔には少しだけ安心した。
その人は言った。


「俺は、沢田綱吉。」
「…さわだ…さん?」
「、うん。クロームは…じゃなくて。…凪は、自分のこと覚えてる?」
「私の…こと?」
「そう。名前とか歳とか、何でもいいんだけど。」
「…。」


そう言われてぼんやりと自分のことを考えてみた。
私の名前は?
歳は?
住所、は?
どうしよう、何も分からない。


「…どうして…、」


沢田さんの方を見ると、沢田さんはさっきほんの一瞬見せた悲しそうな目で私のことを見ていた。
(ボス、そんな顔しないで。)


「そっか、覚えてないか。」
「…ごめんなさい…。」
「いや、何も凪が謝ることないよ。何も悪くないんだから。」


そう言って、沢田さんはふと笑う。
そこに悲しそうな表情はなくて、それだけで許してもらえたような気がした。
沢田さんは不思議な人だ。


「きみの名前は、『凪』って言うんだ。」
「なぎ…?」
「そう、凪。しっくりこない?」
「…なぎ…。」


何度か小さく繰り返すと、その名前はなぜかほんの少しだけ違和感を持って私の体になじんでいった。


凪、私の名前。


私の中にゆっくりとそれがなじむのを待って、沢田さんはそっと小さな手鏡を私に差し出してこう言った。


「顔も、思い出せない…よね?」
「…。」
「これが、きみの顔だよ。」


手鏡を受け取って恐る恐る覗き込む。


「…これが…私…?」






鏡の向こうから、空っぽの目をした女の子が私を見返していた。




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