「……え」
 私の顔を見たナミちゃんが固まる。
「どうしたの、それ」
 それ、と言われても。
 女部屋の入り口に立ち尽くすナミちゃんの視線はまっすぐ私に注がれているけれど、「それ」が何を示すのか、私には皆目見当がつかない。
 顔に傷を作ったわけでも、特に化粧をしているわけでもない。
 そうすると、あとは。
「……何かついてる?」
 尋ねながら、頬や口元をぺたぺたと触ってみた。
 けれどナミちゃんは、私に釘付けになったまま首を横に振る。
「いや、そうじゃなくて。髪よ、髪」
「髪? あ、ええ、ちょっとね」
 顔を見ていたのではなかったのね。
 そう、今日は特に蒸し暑くて髪が首に張り付くのがやけに気になったから、高めに結い上げていたんだった。
 いわゆる、ポニーテールという髪型にあたるのだと思う。
 ナミちゃんはそこでようやく開けっ放しにしていたドアを閉め、こちらへつかつかと歩み寄ってきた。
 そのままベッドに片膝をつき、私の髪に触れるナミちゃん。
「なあに?」
 首を傾げるようにして見上げると、その動きに伴ってするりと逃げた髪の束を、彼女の手が追いかけて捕まえた。
 そうして無言で私の後ろ頭のあたりを見つめ続けている。
 以前にも同じように髪を束ねていたことはあるし、そうまじまじと見るほどの物珍しさも無いのではと思うのだけど。
「……どうかした?」
「いや……いいな、って」
「ああ、ナミちゃんの長さだとこんなふうにはできないものね」
 いいな、という言葉。
 “羨ましい”との意味で言ったのだろうと踏んで、そう答えた。
 けれどナミちゃんは途端に眉を顰めて、「あんたそれボケてんの?」と呆れ返った様子。
「髪を結べていいな、ということではないの?」
「ではないわよ」
 正解が気にはなったものの、どうもナミちゃんにとってはそれほど深い意味なく口にしたことだったのか、特に言葉を続けることもしないので、私も追求するのはやめにした。
 彼女はもう片方の脚もベッドに上げて、私の背中とクッション代わりの枕の間に体を割りこませる。
 普段私がベッドで本を読んでいるときには、たいてい私の前に陣取ってもたれかかってくるのに。
「イレギュラーね」
「お互い様でしょ」
 後ろから、毛束の根元を掴まれて揺さぶられる。ふふ、それもそうね。
 そのまま手櫛で梳かれたり、後れ毛を引っ張られたり。
 けれどナミちゃんはそうするばかりで特に何も喋らないから、遊びたいだけかしらと思って私も読書に戻った。
 襟足のあたりに鼻先を押し付けられ、すぅーっと思い切り深呼吸をされた時にはさすがに逃げたけれど。
 やがて、しばらくもてあそんで気が済んだのか、飽きたのか。突然解放された髪の束は、重力に従ってすとんと垂れ下がる。
 と、思いきや。今度は、脇の下からすっと伸びてきたナミちゃんの両腕が私の腰に巻き付いた。
「ロビンの腰ほそーい」
 あなたのほうが細いじゃないの。
 そんなことより、首のつけ根に顎を乗せて喋るものだから、その振動とうなじにかかる吐息がくすぐったい。
「……暑苦しいってんなら退くけど」
 少し身を捩ると、抵抗と勘違いされてしまったみたい。
 わかりやすく拗ねた口調になるんだもの。かわいい。
「違うの。それは気にならないわ」
「ふーん……髪は束ねるくらい鬱陶しいのに?」
 もう。せっかくフォローしてあげたのに、立ち直ったと思うとすぐにこれ。
 こうやって、わかりきったことを改めて確認するような駆け引きが、ナミちゃんは大好き。
 私も私で、そんなふうに翻弄されることにいつも確かに困っているはずなのに、その一方で、それが生み出す体の内側からじわじわとこみ上げくる情動には胸を焦がしてしまっているのだから、どうしようもない。
「……あ」
 いきなり、ナミちゃんが腕をほどいて体を離した。
 あ、だなんて、動揺を口にしてしまったのは大失敗だった。
「そんな切なそうな声出さないでよ、にやにやが止まんなくなっちゃう」
 そんなの、とっくになっているでしょう?
 顔は見えなくても、声でわかるもの。
 膝立ちで前に回ったナミちゃんに肩を押され、上半身がやや傾く。
 いつものように私に背中を預けて腰を下ろすのではなく、腿のあたりにこちら向きで跨ってきたから、少し考えて、開いていた本はお腹の上に伏せてみた。
 私が見上げ、ナミちゃんが見下ろし、視線が交わる。
「あ、これってまさに馬乗り状態じゃない?」
 唐突に彼女が言った。
「え?」
 まさに、とはどういう意味だろう。
 考えていたら、ナミちゃんが急に体を前に倒してきた。ヘッドボードに片手を突っ張り、不敵な笑みを浮かべている。
 それからもう一方の手によって、枕に埋もれた私の後ろ髪が引っ張り出されたところで、ああ、と閃いた。
「うまいこと言うわね」
「感心してないで早く本閉じて退けてよ」
「……鞭で叩いたりしない?」
「そんな趣味無いわよバカ」
 ぺちりと額を叩かれたかと思うと、間髪を容れず今度は顔中に甘いキスの雨。
 いいわ、私のジョッキーさん。
 握った手綱は好きにして。



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