錨を下ろしたその島は、折悪しくも雨季の真っ只中にあった。
 一口に雨季と言っても、海域によってその態様には様々ある。この有人島のそれは、長雨が多いのが特徴らしい。
 ここには昨日から停泊しているけれど、船が近海に入って以降途絶えることのなかった漫ろ雨は、今朝になってようやく上がった。ナミによると、今日の日没まではこのままもってくれるそうだ。
 窓の外を見れば、素人目にはいつ再び降り出してもおかしくないような空模様。
 それでも、ナミが言うならきっと間違いはないのでしょう。
「だからご飯食べたら買い物行こ、ロビン」
「ええ、そうね」
 朝食を頂きながらナミとそんな話をしてから小一時間は経とうとしている今、私たちはまだ女部屋にいる。
 普段であれば、二人ともとうに身支度を整えて船を降りている頃合いだけど、今日ばかりは少し事情が異なっていた。

「もーやだ! 湿気嫌い!」
 あら、と思って、顔を上げる。
 先ほどからドレッサーの前でブラシ片手に唸っていたナミが、とうとう爆発してしまった。
 そう、雨季のひどい湿気のせいで、ナミはどうにも髪型がこれと決まらないみたい。私のほうは、特にそういったこともなかったのだけど。
 ほとんど読み終えていた新聞を置いて、鏡越しに苦笑を投げかける。
 それを受け止めたナミはくるりと振り向き、ぷんすかしながら続けた。
「全っ然まとまんないんだもん! なんでロビンはそんなサラサラなの!?」
 なんでと言われると……ええっと、そうね、おそらく、私とナミとでは元々の髪質が違うのだと思う。ヘアケアなら、ナミだってきちんとしているし。ただ、航海士という役職柄、どうしても私より潮風や波飛沫に晒される機会は多いから、その分の傷みはあるのかもしれない。
 そういう答えを求めているのではないのだろうと思いつつも、一応そのような考察を語ってみたりして。
 すると、やはりナミは腹の虫が治らない様子。
 それはそうよね、ごめんなさい。
 口を尖らせたままこちらのソファに近づいてきたと思ったら、わしゃわしゃと私の髪に八つ当たりをし始めた。
「こら」
 いたずらなその手を優しく掴んでたしなめる。私自身の、本物の手で。
 こういうときにハナの手を使うと、ナミはさらに臍を曲げてしまうというのは、私の経験則。
 捕まえた両手をぎゅっと握ったら、ご機嫌斜めも落ち着いたみたい。
「……ごめん」
「いいのよ。こうぐずついたお天気だと、気分も晴れないわよね」
 素直な謝罪に共感を示すと、ナミはばつが悪そうな顔をして、乱れた私の髪を手櫛で整えてくれた。
 彼女の歯がゆさはよくわかる。私だって、デートのときにはできる限り自分を磨いて隣を歩きたいと思うから。
 つまりはそういうことだと、自惚れてもいいんでしょう?
 以前の私なら、とてもそんな都合のいい考えなど持てなかったけれど、それを許していいのだと教えてくれたのは、他でもないナミだもの。
 だから、ね。
「そんな顔をしないで、ナミ」
 お天気は専門外の私でも、あるいはあなたの心を晴らすことになら、少しはお役に立てるかも。
 そんな思いから、頭の片隅にあった一つのアイデアを口にしてみた。
「ねぇ、二つ結びにするのはどう? あれ可愛くて好きだわ」
「……」
 私の髪を梳く手が一瞬止まる。でもまたすぐに動き始めて、それから。
「そ、そーお? ……どうしよっかなぁ」
 ですって。
 これは多分、お気に召してもらえていると思う。
 決しておだてのつもりではなかったのだけど、あまりに素直なナミの反応に、ついほっこりとしてしまった。
 座ったままナミの両肩に手を咲かせて、試しに髪を二つに分けてみる。ほら、やっぱり素敵。
「ね、こうすれば髪の膨らみはあまり気にならないし、首元もすっきりしていいと思うの」
「まあね……でも、ちょっと子供っぽくなっちゃわない?」
「今日はお洋服の色味がシックだから、全体で見るとそんなこともないんじゃないかしら」
「それもそっか、んー……あ、じゃあさ、ロビンも一緒に」
「私は間に合ってるわ」
「え〜」
 とかなんとか。
 そんなやりとりをしている間に、最初は慎ましく髪を撫でてくれていたはずのナミの手が、いつの間にやら頬やうなじを這っている。と言っても思わせぶりな感じはしないから、もう手癖のようなものなのかもしれない。
 正面に立つナミをちらりと見上げてみた。曇っていた表情も、すっかり険が取れている。
 もしかして……こうやって私のことを撫で回すのって、私がチョッパーにそうするように、癒し効果があったりするの?
 なんてね、ふふ。

「はい、できあがり」
「かわいー! ありがと、ロビンっ」
「どういたしまして」
 いくつかアレンジを試してみて決めたのは、サイドに編み込みを加えたカントリースタイルのツインテール。素人仕事だし、それほど手の込んだものではない。それでもナミは気に入ってくれたみたいで、私も嬉しかった。
 お返しに、と今度はナミが私をドレッサーに座らせる。
 ポニーテールの位置が普段自分でするより高い気がして尋ねてみたら、「せっかく背中が開いてる服なんだから見せてかないと!」とのこと。
 そういうものなのね。ナミらしい発想というかなんというか……お見逸れしました。
 
 残りの支度も済ませて甲板に出る。
 見上げた空は、やはり危うげな色が否めない。
「ロビン、濡れてるから足元気をつけて」
 先に船を降りたナミが、続いてはしごを下る私に手を伸ばしてくれる。
「ええ、ありがとう」
 そっとその手を取って微笑みを返せば、いっそう眩しく笑うナミ。
 決していいお天気ではないけれど、雨が降っていなければ充分。だって、あなたがいるんだもの。
 きっと今日も素敵な一日になると思う。



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