夜、ソファで本を読んでいた。
航海士さんはベッドの上。鼻歌交じりで、お風呂上がりのストレッチをしている。
章の区切りまで来たところで、私もそろそろ入ろうかしらと、本を閉じて立ち上がった。
「あ、ロビン。ちょっと」
航海士さんに呼び止められ、招かれるままベッドのそばへ。
「なあに?」
「お風呂でしょ? これ使いなよ」
そう言って航海士さんが差し出したものを受け取る。
それは手のひらに収まるほどの、小さなボトル。
「これは?」
「シャンプーの試供品だって。ふたつもらったからお裾分け」
私もさっき使ったの、と航海士さんは続けた。
そうだったのね。
すんと鼻を鳴らしてみたけれど、この距離からではあまりよくわからない。と、思っていたら。
「ロビン」
「え? あっ……」
いきなり後頭部に手を回され、航海士さんに引き寄せられていく。
「航か、」
「ほら、嗅いでみて」
航海士さんが頭に被っていたタオルがはらりと落ちて、上品な香りがほのかに漂った。
「……ええ」
距離が縮まって一瞬どきりとしたけれど、それは私の早合点だったみたい。
ベッドに膝立ちになって、私の頭を掴まえている航海士さん。ただ真っ直ぐ私を見据えるだけで、それ以上動くことはしない。
促されるまま、彼女の前髪あたりに鼻を近づけて息を吸い込んだ。
慣れない匂い。嫌いではないけれど。
私の意見はともかく、航海士さんが気に入ったのなら取り寄せてもいいのではと思った。
だから端的に肯定したくて、「素敵な香りね」とだけ感想を述べようとした、その瞬間。
開きかけた唇の隙間に、狙い澄ましたかのように熱い舌が差し込まれた。
「っん」
航海士さんたら、いきなり本気。
でも、先ほどほんの一瞬期待してしまっていたせいで、私の心にも身体にも戸惑いなどはない。
じわりと広がる、まるで脳髄が細かく痺れているみたいな感覚。
むしろそれを待ち望んでいた気がして、一人赤面した。
唇が離れる間際、故意か偶然か航海士さんの指先が耳の裏に触れて、びくりと肩が震える。
ボトルが私の手をすり抜けて、音もなくベッドの上に落ちていくのを視界の隅でぼんやり捉えた。
「っ、航海士さん……」
互いの吐息が肌を撫ぜるほどの距離で、彼女はいたずらに笑う。
「どう? ロビン、こういう香り好きでしょ?」
いじわるな子。
それどころじゃなくさせたあなたが、そんなことを言うのね。
少し恨みがましく眼前の顔を見つめるけれど、航海士さんはあくまであっけらかんとした様子。
「いやあ、はじめはね、ただシャンプーの匂い嗅がせてあげようとしただけなの、ほんとよ?」
そんなことをいけしゃあしゃあと言ってのける。
私が取り落としたボトルを拾い上げ、それをもう一度こちらへ手渡しながら、「なんだけど、ロビンが色っぽくって、つい」だなんて……。
なんだか今は、何を言っても彼女には敵わない気がする。
「……とにかくありがとう。行ってくるわね」
「はい行ってらっしゃーい」
そうして今度は素直に私を送り出してくれる航海士さん。その笑顔はさっぱりとしていて、普段の快活な女の子そのもの。
女部屋を出て、後ろ手に閉めた扉にもたれ掛かり、短く息を吐いた。
本当に、もう。
航海士さんの……すけこまし?
お風呂場へ向かいながら、手のひらのボトルに心の中で悪態をつく。
余韻の動悸はまだ鎮まらない。
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