(黄黒マジ喧嘩するの巻)


 黒子が家出してから一週間が経とうとしていた。黄瀬はその間、探そうとすらしていない。どこにいるかはそのつど、頼まなくとも、そこから連絡が入るから心配いらないのだ。黄瀬は今回絶対迎えに行かないと、心に決めていた。黒子もああいうふうに頑固だから、帰って来づらいのかもしれないけれど。一週間というのは意外と、いや、普通に長いなあと、100%のグレープフルーツジュースをコップに注ぎながら、黄瀬は一人で食卓テーブルに付きながら思う。何だか寂しくなってきた。

 ある朝のことだった。二人で朝ごはんにトーストと、ハムエッグとサラダを前にテーブルについていただきますをした。そこまでは、いつもの光景だったのだ。ハムエッグの皿を前に引き寄せた黒子は一度席を立ちあがった。それを横目に、黄瀬は自分のハムエッグに醤油を垂らす。あ、やべ。シャツに飛んだ。染みにならないといいけれど。冷蔵庫から戻ってきた黒子は何かを手にしていた。そしてそのふたを開け、ハムエッグに向かってぶちまける。黄瀬は見た。容器のラベルに、ハチミツと印刷されていたのを。

「だぁっあぁあああ何かけてるの!?」
「なにって、ハチミツですけど」

 琥珀色のきれいな液体が、とろとろとろと目玉焼きをデコレーションしていった。黒子は気の済むまでハチミツを掛けると、ハムエッグにまんべんなく掛けられたそれを箸でうすく伸ばしてゆく。一連の行為を、黄瀬はアーモンド型の目をかっぴらいて見ていた。信じられない。目玉焼きには普通、塩胡椒か醤油、ソースではないのか。ハチミツを掛けるひとなんてはじめて見た。そして口をついて出た言葉が。

「うえっ、きもちわる」

 ぴくり、と黒子の眉が動いた。機嫌の悪いときの動き方だった。

「なんです?」
「あ、いや、だってハチミツはないっス。無理、オレは絶対無理」

 引き気味の半笑いで黒子を見ると、全くの無表情で黄瀬を見返してくる。纏う空気は絶対零度だった。黄瀬がいくら黒子のことを好きだと言っても、愛していると言っても、全部が全部というわけじゃあない。たまには分かりあえないことだって、あるのであって。黒子は明らかに怒っていて、それは黄瀬にも分かっていた。しかしその後の行動までは読めるはずもなかった。黒子はハチミツのボトルを逆さまにして二三回振ると、蓋を開け、黄瀬のハムエッグに向かって中身をぶちまけたのだ。とろとろとかそんな上品な音ではない。ぶぶ、ぶちゅ、と汚い音がしばらく続き、ボトルはとうとう、空になってしまった。ハムエッグの皿はハチミツのみずうみになっていた。

「ちょっ、何してくれてんだ!」

 思わず丁寧にしゃべろうという気持ちも吹き飛んで、黄瀬はテーブルを思いっ切り叩く。拍子にスプーンが跳ね上がりくるくる回って、床に落ちた。カン、という鋭い音は、その時ばかりはゴングの代わりだった。

「自分でも食べてみれば分かるんじゃないですか? ハチミツハムエッグ」
「どーしてそうゆう子供っぽいことするかなあもう! あーあーオレのハムエッグが…!」
「先に喧嘩を売ってきたのはそっちでしょう。ぼくはそれを買っただけです」
「目の前でまずそうなもん見せられるこっちの身にもなって欲しいっスよ! ……黒子っちの味覚音痴」

 最後ぼそっと、一言追加すると黄瀬に向かってフォークが飛んできた。三つ又が頬の横を通りすぎ、そのまま白い壁に突き刺さる。ざしゅっ。

「あぶねえっ! マジいい加減にしないと怒るからね!?」
「もう怒ってるじゃないですか!」

 黒子はついにハムエッグの皿まで黄瀬に投げつけて、携帯と財布だけ引っつかんで玄関を飛び出して行った。着ていたシャツは醤油の染みの比でなく、ハチミツでべたべたになっていた。さいあくだ、と呟く。朝食はダメになるわ、黒子は出ていってしまうわ、散々だった。
 その日、黒子が帰ってくることはなかった。一日目。

「おい、黒子と何かあったのかよ」

 電話を掛けて来たのは火神だった。まあね、と疲れたように黄瀬が返すと、火神もため息をつく。ザザ、と受話器にノイズが走った。

「アイツすっげー怒ってんぞ。お前何したの」

 まずは黒子の掛けた迷惑を詫び、かくかくしかじか、こういうことがあったのだと説明すると、火神は呆れたような声をあげた。

「黒子のアレは今に始まったことじゃねーだろ」
「まあ、確かにそうなんスけど、今朝はちょっと度が過ぎてたというか」
「細かい男は嫌われっぞ。黒子だって別に味覚音痴ってわけでもねーみたいだし。多分好みの問題だろ。だって普通に俺の作った料理うまいって食ってるぞ」
「……それはオレへの当てつけっスか」

 そう思うならさっさと迎えに来い、と火神が言う。思うけど、だって、黄瀬は納得がいかない。だから一日くらいいいかと思った。そしたら次の日。

「……黄瀬、今すぐに黒子を迎えに来い」

 緑間から電話が掛かってきた。どうやら黒子は火神が電話してきたあと、緑間のところに場所を移したらしいのだ。至極機嫌の悪そうな声でああでもないこうでもないというのを、黄瀬は上の空で聞いていた。場所を変えるということは、黒子は迎えに来てほしくないのではないか。ならば行く必要もあるまい。こうなったら、黒子が帰って来たくなるまでノータッチで行こうじゃないか。黄瀬は固く心に誓った。
三日目。

「なんかテツ来てんだけど、また何かやらかしたのかよ」

四日目。

「黄瀬ち〜ん、黒ちんが来てるんだけどさぁ」

五日目。

「きーちゃんもテツくんも、ほんと意地っ張り。早く仲直りすればいいのに」

六日目。

「涼太。桃井のいう通りだ今すぐテツヤと仲直りしろ。……え、ならあの料理を食べてみろだって? それはいくら僕でも無理だ」

七日目。

 昨日の「じゃあ、頑張れ」と切られた赤司からの電話を思い出し、ため息をつきたくなった。だいたい赤司にさえ無理と言わしめるものを、黄瀬にどうにか出来るわけがない。仲直りだって出来るならとっくにやっている。そんな簡単に出来ないから、三日も四日も、ついには一週間もこの状態なんじゃないか。
 今日は誰から掛かってくるのだろう。携帯のディスプレイを見つめる。すると、丁度電話が掛かってきた。相手も見ずに出る。もしもし?

「…………もしもし、」

 一週間ぶりの、黒子の声だった。黄瀬は心底驚きながら、しかし冷静を装って返事をする。

「なんスか」
「あの、ええと……先週はひどいことをしました。ごめんなさい」

 電話の向こうで黒子がぺこりと頭を下げたのが見えた。そんな気がした。折れたのは黒子だった。彼もまた、転々と居候するうちに何か思うことがあったのだろう。ずっと留守番していた黄瀬と、同じように。

「ううん、オレこそごめん。一回ちゃんと話し合おう。だから帰ってきて、黒子っち」

 すると、玄関の戸がコンコン、と叩かれた。覗き穴を覗くと黒子がいたので、急いでドアを開けてやる。

「黒子っち!」
「鍵、忘れちゃいました」

 恥ずかしそうに笑った黒子は、スーパーの袋を提げていた。中にはタマゴとハムが入っている。黄瀬にはピンと来た。ハムエッグだ。仲直りに、ハムエッグを作るつもりなのだ。

「もうハチミツを掛けたりしません、赤司くんにも諭されました。『テツヤ、そういうのは家族以外の人の前でやってはいけないんだよ。食べるなら一人でこっそり食べなさい』と。ぼくだってそれは分かってましたけど、でも黄瀬くんだから許してもらえるかなって、甘えてたんです。ごめんなさい。あと赤司くんには『だから俺と家族になろう』とか言われましたが丁重にお断りしてきました」

 しゅんとした黒子を前に、黄瀬は赤司への憎しみをふつふつと沸かした。このやろう何誑かそうとしてやがる。黄瀬は黒子のことが基本的には大好きだし、これからも、もっと好きになっていくのだと思う。だから手始めに、相容れないとは言っても彼の味覚を理解することは努力してみせよう。黒子の、珍しくへこんだ様子を見て、黄瀬は心に決めた。これで漸く仲直りだ。小さな白い手を取って、すべてを赦す聖母のようなやさしい声音で黒子に言った。

「なら、家族になろう。もう細かいことは言わないから。オレ、黒子っちのこと、今以上にもっと好きになるから。この一週間寂しくて、でも俺も頑固だからなかなか迎えに行けなくて、ごめんね。だからもう出ていくとかほんと勘弁して、一緒にいて」

 結婚してください。と黄瀬が告白する。黒子は「男同士では無理ですよ」と言ったあと、けれど赤らめた頬で「ハムエッグを作りましょう」と言った。黄瀬にはそれが、いちばんいい返事のように思えた。ハチミツを試してみるくらい、いいかな、なんて。








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