小説 | ナノ






        きらりと光る奇跡の欠片



  もうすでに通いなれてしまった、屋上の天文台へと続く階段を、たんたん、とリズムよく昇っていく。
長い階段だけれども、嫌いじゃない。むしろ、昇るにつれて、心が浮き足立つのが自分でも分かる。
理由は、なんとなく理解しているつもりだ。
屋上に出ると、すっかり暮れてしまった空に、明るい月と沢山の星が、きらきらと浮かんでいた。
ひゅう、と、無遠慮に制服の中に入り込む夜風に、ぶるりと震えれば、捲り上げていた袖を急いでおろす。

「あれ、佐助、今日も来たんだ?」

声のした方へ目をやると、天文台から出てきた少女が、にこにこしながら、こちらへ歩いてきた。

「雅ちゃんが、一人じゃ寂しいんじゃないかなーって思ってね。」
「別に寂しくはないけど、お気遣いどうもー。」

そう言って笑う雅ちゃんに、胸の奥が、きゅ、となった。

彼女と初めて話したのは、入学して間もない頃の、ちょうど今日のような、満天の夜空の日だった。
あの日、先生に頼まれた雑務をこなし終えたときには、もう8時を回っていて、少しだけ急ぎ足で校舎を出た。
もちろん、すでに校門は施錠済みだったけれど、なんの躊躇もなく、門の柵へ足をかけた、そのとき。

「あ、」

背後から聞こえた聞き覚えのある声に振り向くと、そこには、クラスメイトの櫻葉雅が、目を丸くして立っていた。

「あ、こんばんはー。」

一旦、柵から降りて、会釈をする。

「こ、こんばんは…。えと、もしかして、閉まっちゃってます?」
「あー、うん。閉まっちゃってますね。」
「そ、そうですよね…。どうしよ…。」

頭を抱えだした彼女に、先程から気になっている疑問を投げ掛けてみる。

「雅ちゃん、こんな時間まで何してたの?」

その言葉に、へ?と再度目を丸くした雅ちゃん。

「あ、えっと、星を…見ていて。」
「星?」
「はい。屋上の天文台で。」
「もしかして、天文学部?」
「はい。」
「星、好きなの?」
「はい!大好きです!」

きらきらと目を輝かせながら、雅ちゃんは頷いた。
この子、面白いな。なんて。
まだ話していたいが、そろそろ出ないと、警備の人に見付かったりしたら面倒だ。

「雅ちゃん、とりあえず、ここ出よっか。」
「え、でも、どうやって?」
「どうやってって…、飛び越えるの。」
「え!む、無理!!」

ぶんぶんと雅ちゃんは、勢いよく顔の前で手を振る。
あまりに必死で、少し笑えた。

「大丈夫、俺様が担いであげるから!よいしょ、と。」
「ぎゃあああああ!!!ちょ、ま、」
「いくよー!」

雅ちゃんの悲鳴が響き渡ったのは、言うまでもないだろう。

その日から、クラスでもよく喋るようになり、いつのまにか、放課後は雅ちゃんの住み処と化している天文台へ行くのが日課であり、密かな楽しみとなった。
本人には、"夜空を見るのが好きだから"と言ってあるが、それを鵜呑みにした雅ちゃんも雅ちゃんだと思う。

「今日はもう、おしまい?」
「ううん。寒くなってきたから、ココアでも、と思って。」
「そ。んじゃ、俺様もついてく。」
「奢らないよ?」
「分かってるよ!」

ふふ、と笑って、雅ちゃんは歩きだした。
その後ろを、無言でついていく。
先程から心臓が痛い。
屋上を出て、ついさっき通ったばかりの道を戻る。
この学校は、校舎内に自販機がないから、少し不便だ。
人気がなく、暗い外の渡り廊下を少し行くと、一ヶ所だけ煌々と明るい人工の光が照っている。

「お昼はぽかぽかしてて気持ちいいのに、日が沈むと、とたんに寒くなっちゃうよね。」

嫌になっちゃうよ、とぼやきながら、雅ちゃんは、握りしめていた小銭を自販機に入れる。

「でも、俺様は冷たい風、好きだよ。澄んでる気がしない?」
「そうだね。それは分かるかも。」

ガコン、とココアがふたつ落ちてきた。

「はい、どうぞ。」
「え、いいよ俺様は。それに、奢らないって言ってたじゃん!」
「あはは、もう買っちゃった。受け取ってもらえないと、困るよ。」

ずい、と押し付けられるココアを、渋々受け取って、冷えた頬に当ててみる。

「あったけ…。ありがとー。明日お金返すね。」
「いいよ、これくらい!」
「だーめ。こういうのはちゃんとしないと、俺様が気持ち悪いから。ね?」
「えー、なんか、ごめんね。」
「なんで謝るの!」

へらっと笑ってみせると、雅ちゃんもつられて頬を緩めた。
どちらからともなく、近くにあったベンチに腰をおろして、ふたりでココアを啜る。
温もりが体の芯から伝わるような感覚が、とても心地好い。

「……ねえ、佐助。あの、赤い星の名前、知ってる?」

唐突に口を開いた雅ちゃんに、少し驚く。
それと同時に、こんなときでも星の話か、と苦笑いがこぼれた。

「どれ?」
「あれ。オリオン座の角の。」
「ああ、あれか。ベテルギウス、だっけ。」

正解!と手を叩く雅ちゃん。
内心ホッとしたのは、秘密。

「あの星はね、地球から、大体640光年くらいなんだよ。」
「へーえ。さすがだね、雅ちゃん。」
「あはは、まあね!」

冗談ぽくピースサインをこちらへ向けて、雅ちゃんは、また、視線を夜空へと戻す。

「……考えてみるとさ、すごいよね。今、私たちが見てるあの光は、640年前の光ってことなんだよ。」
「室町時代?」
「うん。逆算すると、それくらいの時代だね。ほんと、不思議…。」

夜空を見上げながら、雅ちゃんが呟く。
ぎゅ、と無意識にココアを握る力が強くなる。
なんだろう、この気持ち。
切ない、とは少し違う。
ただ、何故だか、涙が出そうだ。

「私ね、最近思うんだ。この星が誕生してすでに、約46億年が経過しているのに、その中で、どの時代でもない今、この世で、この場所で、起きていること全て、本当に奇跡なんじゃないかなって、」

月明かりに照らされる雅ちゃんの横顔は、例えようもないほどに、綺麗だと思った。

「だからね、あの日、佐助とばったり会ったのも、こうして隣に座っているのも、全部全部、きっと、奇跡で、」
「…うん、」
「………伝えなきゃ、勿体ないの。」

ふいに、こちらへ顔を向ける雅ちゃんに、大きく、心臓が跳ね上がった。

「私ね、佐助が好きだよ。」

言い終わるよりも先に、雅ちゃんを、自らの腕の中に閉じ込めた。
そうか、奇跡だ。これも全て、奇跡。
何十億もの年を重ねて、この広い広い星のたった一部分、ここで、やっと、繋がった。

「俺様も、雅ちゃんが、好きだよ。」

答えるかわりに、細い腕が、遠慮がちに背中にまわされる。
またひとつ、生まれた奇跡が、こんなにも愛しいものだとは。

降り注ぐ夜空の星の光は、何年もの年月をかけて、ふたりを祝福しに来ているような気がした。
......なんて、俺様、とんだ酔狂かな。

でも、きっと君は、素敵だと言って、微笑むだろう。
あの夜空に負けないほどに、美しく。





       きらりと光る奇跡の欠片
         (いつまでも、抱き締めていたい。)