小説 | ナノ






        紅く、淡く、滲む。



  「……あのさあ、雅ちゃん、いい加減わざと赤点取るのやめてくれない?」

「わざとじゃないです。これが私の実力ですから。」

「うそつけ。お前こないだの模試、国語の偏差値校内一位だったろーが。」

「たまたまです、たまたま。」

放課後の、私たち以外には、誰もいない図書室。
このあいだのテストで、いつものごとく国語だけ赤点を取った私は、その補習を受けている。


のだが


「あのね、俺、お前みたいな、なんちゃって劣等生に構ってる暇ないの。早く今週のジャンプの続きが読みたいの。分かる?」

「じゃあ読んでていいですよ。その間にこのプリント終わらせとくんで。」

「おまっ…やっぱり補習やる必要ねえじゃねえか!!」

「必要ないなんてことはありませんよ先生。こうしてプリントを解くことで、さらに理解が深まるんですから。」

ね?と、首をかしげる私に、先生は埒があかないとでも言いたげに、ため息を吐いた。


本当のことを言えば、国語は大の得意科目だ。
普通に解けば、テストで100点に近い点数を取るなんてへのカッパ。

"普通に解けば"の話だが。


「……先生、ここの問題なんですけど…」

「んー?どれ?」

先生はやる気のない目を上げて、読んでいたジャンプを伏せながらこちらにずい、と顔を近づける。

「あー、これは、ここの文に伏線があるから、そっから推測して…」

「あ、なるほど。ありがとうございます。」

「ん。さっさと終わらせろよー。」

そう言ってまたジャンプに集中し始めた。

私も、再度問題に取りかかる。
………フリをする。


先程から高鳴っている鼓動を必死に抑えながら、私はちらりと先生を盗み見た。

私が国語で"わざと"赤点をとる理由、それは

銀八先生が好きだから

ただ、それだけ。


赤点を取れば、必然的に先生は私を気にかけるし(最近は疑われているけれど)、そして何より、補習を受けることで、先生と二人きりの時間がつくれるのだ。

今、先生に質問したのも、本当はわざと。
質問したら、先生は必ず顔を寄せてくるから。

ずるいことしてるって、ちゃんと分かってる。
だけど、こうでもしなきゃ、先生に近づけない…。




「おーい、雅ちゃん?人の顔じろじろ見てないで、プリントやんなさい、プリントー!」

不意にジャンプから顔を上げた先生に、不覚にもドキリとした。

「…やってますよーだ」

「やってませんー、先生気付いてましたー」

「それはただの自意識過剰ですー」

「ったく、ああ言えばこう言うな…。ほら、ちゃっちゃとやれって!」

ぺし、と軽く頭を叩かれた。
唇を尖らせながら、渋々プリントに目を落とす。

先生の前だと、変に強がって、可愛くない態度をとってしまう癖を、そろそろ本気で直したいと思う。




図書室に夕焼けの橙色が射し込む。
眩しくて、知らず目を細めた。

「…先生、カーテン閉めていいですか?」

「どうぞー。」

了承を得て、足早に窓に近付く。
沈みかけている大きな夕陽に、不思議と目を奪われた。

今日の夕陽はやけに紅い。
…気のせいかもしれないけれど。

なんか、飲み込まれてしまいそうな、そんな紅色。



「…………綺麗だな…。」

今、同じことを口にしようとしていたが、一足先に、背後からその言葉は聞こえてきた。


「…先生、人の心は読まないでください。」

振り返って、わざとらしく、き、と睨んでみる。

「え、いや、…悪い。」

一瞬、驚いた顔をしたあと、口元を手のひらで覆って、ばつの悪そうに先生は目を伏せた。


なんだ、その反応…。てっきり言い返してくると思っていたのに。

予想外の反応にどう返したらいいか分からない。

「や、でも、今日の夕陽は本当に綺麗ですよね。」

変に白々しい切り返しになってしまった。
妙に気まずくて、わざと音を立ててカーテンを閉めてみた。



「………綺麗っつーのは、夕陽だけじゃなくてだな…、」

暫くの沈黙のあと、それを破ったのは、先生だった。

「…?」

「なんつーか…、雅が…さ、」

「え…?私ですか?」

目を丸くする私を見て、先生は少し吹き出した。

そして、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。

「はあ、口が滑ったっつーか…本音が漏れたっつーか…、もう、この際言っちまうけど、」



いたい、心臓が、いたい。
壊れるんじゃないかってくらい、ばくばくしてる。





「………夕陽より、お前が綺麗だと思ったんだよ、俺は。」



私の目の前に立ち止まり、先生はそう言った。




息が、止まりそうになった。


え、なに、それってつまり、





「……口説いてますか?」




ああもう、やっぱり可愛くない!
もっと気のきいた台詞があったはずなのに!
自責の念で少し涙目になる。


だけど、そんな私に、先生はいたって真面目な顔で

「まあ、そうとも言うかもな。」

そう言った。

自分の目が大きく見開くのが分かる。


「き、期待しますよ?いいんですか!?」

「したらいいんじゃない?わざと赤点取るような子、俺しか面倒見れないんだし、さ。」


先生の頬が紅い。


そこを突っ込んでみたら、「夕陽のせいだから!」と言われた。


淡い淡い、夕暮れ時のある日のこと。





           紅く、淡く、滲む。

       (君に桜が咲いたら、手を繋ごうか)