小説 | ナノ






        あの日の残像が消えない



  今も、まだ其処にある気がして仕方が無い。

大阪夏の陣が終結して、約一年。
あの日も、こんな深い色をした夜空に、星々が瞬いていた。

首に下がる一文銭を、緩く握る。
これは、出陣する日の朝に、彼がくれたもの。

「これを、雅に預けたい所存。」

そう云って、彼は自らの首にある六文銭の内の一銭を、私の掌へ乗せた。
何故かと尋ねると、彼は優しく笑んで、答えた。

「某は、何時の戦もこの命をかけておりまする。なれど、某はまた、雅の元へ、生きて帰ってくると誓いましょうぞ。これは、その誓いの象徴として、持っていてくだされ。」

力強い声だった。嘘も偽りも知らない様な、心にすとんと落ちる声だった。

行って参りまする。

そう云った、六文銭を背負う紅い背中に、必ず彼は、真田幸村は、此処へ帰ってくると信じた。何の疑いも持たずに、信じていた。






「雅様、」

は、と我に返る。心配そうな顔で、私を覗き込む佐助が目に入った。

「雅様、今夜は少々冷えます。戻りましょう。」
「でも、幸村様が、帰ってくるかもしれない。」
「……雅様」

毎日、門の前で幸村様の帰りを待つ。
今日こそは、帰ってくるかもしれない。あの陽だまりの様な笑顔で、雅、と、名を呼んでくれるかもしれない。
そう思うと、此処から足を動かせなくなる。

「…旦那は…、もう居ないんです。」
「……居ない?」
「旦那は、もうこの世には居ない!帰って来ることはないんです!雅様、お願いですから…、旦那を待つのは、もうやめてくれ…!!」

居ない、此処に、帰らない?幸村様は、もう…。

「そう…だったね。」

そうだ。幸村様は一年前、この世から居なくなった。
分かっている筈なのに、知っている筈なのに、どうして毎朝、目覚めると、そのことを忘れてしまうんだろう。悪い夢を見たな、などと勘違いしてしまうんだろう。

この世界の何処を彷徨えど、幸村様は居ないだなんて、不思議で不思議で、仕方無い。

当たり前の様に隣にあった彼の全ては、一瞬たりとも、私の中から消えない。

「佐助、どうして幸村様は、誓いを破ったりしたんだろう。」
「…雅様…」
「あの誓いは、どうしたらいいのかな。捨てることなんて、出来ないのに。」

幸村様、と、小さく呟いてみても、返事はない。

どうして居なくなってしまったの?
私は、これからどうして生きていけばいい?

貴方が居ない未来には、一寸の光もみえない。
闇ばかりが視界を覆っている。
これじゃ、前に進むことは出来ない。

握り締めていた一文銭が、不意に鈍く光る。
眩しい程の思い出の中に、彼はいつでも笑っていた。

幸村様、逢いたいです。
もう一度、その温もりに触れられたら、どんなに良いか。
貴方と過ごした日々に、いまだ縋る私を、どうか叱ってください。
色褪せない貴方の全てが、愛おしくて、胸が押し潰されそうです。
きっと、明日の朝には、また私は貴方の帰りを待つのでしょう。
こんな現実なら、私は一生、夢の中でいつまでも、貴方と居たい。


行って参りまする。

そう云った大きな背中を見送って、私は明日も生きていく。









あの日の残像が消えない



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