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        恐るるべきは食物の恨み



  すれ違う隊士達の怪訝そうな顔には目もくれず、雅は廊下を駆け抜ける。

信じられない。
有り得ない。
こんなこと、あっていい筈がない。

「私のマヨネーズ返せええええええ!!」

ばあん!と怒りに任せて襖を開けば、その部屋の主は眉間に皺を寄せて振り向いた。

「んだよ、うるせぇな。」
「土方さん!私のマヨネーズ使ったでしょう!?」
「ああ?」
「使うなって何度言えばわかるんですか!カムバック私のマヨネーズウウウウウ!!!」

遡ること5分前。
朝食のご飯とお味噌汁に、マヨネーズという名のオールマイティーな素晴らしい調味料を入れようと、雅が冷蔵庫を開けたときだった。

「な、ない…!?」

普段は10本ほどストックを用意してあるそれが、見事に1本もない。
昨晩までは最後の1本が残っていた。風呂上がりに確認したから、間違いない。
となれば、

「…あの野郎…使いやがったな…!!」

思い当たる節は一つしかない。
今日という今日は文句言ってやる!
そう決意して向かった場所こそがここ、雅に匹敵するほどのマヨラー・土方十四郎の部屋だ。

「あのですね、同じマヨラーとしてマヨネーズをたっぷり使いたい気持ちは察します。でも、やっていいことと悪いことがあるでしょう!?」
「言い掛かりはやめろ!使ってねえよ!!」
「嘘つかないでください!土方さん以外に誰が使うっていうんですか!前科がある人間の言うことなんて信じられません!」
「知らねえっつってんだろ!だいたいお前のマヨネーズ使ったの1年前に一回だけじゃねえか!まだ根に持ってんのか!」
「あれは私の生涯でトップ3に入る絶望だったんです!」

ぎゃあぎゃあと大声で喧嘩していたせいか、気付いた頃には、部屋の前に大勢の野次馬が集まっていた。
だが、今はそんなものに構っていられない。
それほど、雅のマヨネーズを失った悲しみは、計り知れないほどのものらしかった。

「犬の餌同盟で何揉めてんですかぃ?」

その野次馬の中からひょい、と顔をのぞかせたのは、サディスティック星の王子。

「沖田さん!聞いてくださいよ!土方さんが私のマヨネーズ使いやがったんです!」
「だから使ってねえって!」
「…そんなことで騒いでたんですかぃ?」
「そ、そんなこと!?」

聞き捨てならない言葉を耳にし、雅はさらに声を荒げる。

この一大事を、"そんなこと"だなんて…。この男共は事の重大さが分かっていない。
いい加減堪忍袋の尾が切れかけている。

そっちがその気なら、実力行使だ。

しゃらりと音を立てて、鞘から刀を抜く。
雅の目は本気だった。

「……てきてください。」
「お、おい、雅…?」
「今すぐ買ってきてください。30本、今すぐに。」

しん、と静まり返った部屋に、低い声がよく響いた。
土方の頬に冷や汗が伝う。

「やべえな…キレた雅はめんどくせえぞ…。」
「土方さんがマヨネーズ使うからじゃないですかぃ。俺は巻き込まれるのはごめんですぜぃ。」
「まじで使ってねえんだって!」
「じゃあいったい誰が…」
「聞こえませんでしたか、土方さん。こそこそお喋りしてる暇があるなら、はやく行ってきてください。」

ぐ、と口をつぐんだ二人。
雅の苛々ボルテージは限界に達する寸前。
一触即発の雰囲気に、野次馬達までもが息を飲んだ。

「おい、どうしたんだ一体!」

突如飛び込んだ新たな声に、全員が一斉に振り向いた。

「近藤さん…。」
「騒ぎを聞きつけて来てみたら…トシに総悟、雅まで。何があったんだ?」
「それが…、!」

事情を説明しようと、土方が口を開きかけたが、近藤が右手に持っているものを目にした瞬間、みるみる顔が青ざめていった。沖田までも両目を見開く。

暫く黙っていた雅が、ぽつりと呟いた。

「……マヨネーズ、」
「ん?ああ、これか!ここへ来るまで、鯣を食ってたんだ。鯣にはマヨネーズが欠かせないからなあ!冷蔵庫にあったものを拝借した!置いてくるのを忘れる程慌てていたようだ!がっはっはっは!」

ぷつん、と何かが雅の中で切れたのを、近藤以外の全員が察した。

「…こんの腐れゴリラがアアアアアアアアアア!!!」

その日の屯所は、少女の絶叫と共に、男性たちの悲痛な叫び声が響き渡っていたとか。



後、屯所には冷蔵庫がもうひとつ設置された。
言わずもがな、中を埋め尽くすものは、黄色の調味料だ。



          恐るるべきは食物の恨み
           (下手すりゃ命をも落としかねぬ)