霧野くんを見ているといつも心がふわふわする。美しいものを見ると心が洗われるような、ぱあと晴れ渡るような気持ちになるのと同じ感じだ。 ふたつに結われたピンク色のきれいな髪がゆらゆら風になびいているのを私は体育の時とか、サッカーの練習をしている時とかによく目で追っていた。 それに、あの水色の目もすごくきれいだ。単純に水色と形容するのが失礼なくらい、透き通ったあの瞳は言わばクリスタル。それほど、あの霧野くんの目は素敵にきれいだった。 女の子に引けをとらないくらいの容姿をしている霧野くんだが、あれで中身はしっかり男の子。真面目で優しくて、ちょっと冗談を言ったりいたずらをしたりするところとかは周りの男の子と何ら変わらないのだ。 そんな霧野くんは言わずもがな、クラスの、校内の人気者だった。だから霧野くんに好意を抱いている女の子は当然たくさんいて、私もその一人だった。 私は霧野くんのことが一目見た時から気になっていて、霧野くんのことで気が気でなくなることもあった。同じクラスということで、霧野くんの人柄の良さにもふれてからは気になるばかりか、私は霧野くんのことが好きになっていった。私からはなかなか話しかけることができないけれど、優しい霧野くんは私に話しかけてくれることが時々あって、そういう時に何度も何度も、私は霧野くんが好きなんだなあ、と実感するのだった。 今はその霧野くんの優しい笑顔が西の空の夕陽に照らされて、私の隣で輝いている。桜並木も相まって、まるで夢のようだった。 先週の、忘れもしない金曜日の放課後。私は霧野くんに「俺は名前のことが好きだ」と告白された。その時はほんとうに信じられなくてびっくりして口があんぐりと開きっぱなしになったのを覚えている。教室にたまたま二人でいて他愛もないことを話していた気がしたんだけれど、突然霧野くんが真剣な顔をしてまっすぐ眼差しを私に向け、好きだと言ったのだ。前後の会話がすっかり吹き飛んで、よくわからなくて混乱して、顔や耳たぶが燃えているみたいに熱くなった。私はうなずいて「私も霧野くんが好き」とだけ言った。それが私の精一杯の言葉だった。霧野くんは大きくガッツポーズをして「よっしゃー!」と大きな声で叫んでいた。私もその時はとても嬉しくて心からあったかい想いが溢れてきて、笑顔が止まらなかった。あの時の少し恥ずかしがりながら笑っていた霧野くんの表情は今でも脳裏に焼きついている。 霧野くんの手が私の手の甲にとんとん、と触れたと思ったら、いつの間にか私の手はぎゅっと霧野くんに握られていた。霧野くんの手の中はやさしいぬくもりでいっぱいだった。 私たちの歩みはゆっくりゆっくり進んでいく。 「なあ、名前」 「なあに?霧野くん」 「手、ちっちゃいな。お前」 「そうかな?霧野くんの手が大きいだけだよ」 「ぜったい小さいと思うんだがな」 あたたかい静寂が私たち二人の間には流れていた。霧野くんのきらきらの目は遠く前を見据えていて、その横顔にはどこかたくましく、それでいて儚く、とても惹かれるものがあった。さりげなく手を握り返すと、霧野くんがふふふと目を細めて笑った。思わず可愛いなと思ってしまったけれど、そう言ったら怒らせてしまうので口には出さなかった。 霧野くんは空いている右手で頬をかきながら、ゆっくりと口を開いた。 「なにが言いたいかって、名前が可愛いってことなんだけど」 「な!可愛くなんてないよ!」 そんなことを言われれば、顔に熱が集まっていくのを嫌でも感じてしまう。 それに、図らずも私と霧野くんがお互いに可愛いと思い合っていたのが私は嬉しかったけれど、無性に恥ずかしかった。 霧野くんも耳まで真っ赤。恥ずかしいことを言って自分で恥ずかしがるのは、霧野くんではよくあることなんだけど、ほんとうに困っちゃうなあ、と毎回思うのだ。 「霧野くんは、ほんとに、もう」 「だって可愛いじゃん。お前が気づいてないだけで」 「それなら霧野くんの方が」 「可愛いとか言ったらどうなるかわかってるよな?」 「うー」 うっかり口を滑らした私だったが、霧野くんの凄みをきかせた低めの声にはめっぽう弱い私は何も言えなかった。 それでも、やっぱり、男の子だけど可愛いことには変わりないんだけどなあ、と思う心は怒らせてでも伝えるべきだと主張する自分がいた。なんでだろう、そう思った時霧野くんがその答えを出してくれた。 「可愛いってさ、愛すべしって書くんだよ」 その言葉を聞いた瞬間、私のこんがらがった頭の中が一気にほどけた気がした。ものすごい爽快感に「そっか!!そうだったんだ!!」と思わず声に出してしまっていた。霧野くんは驚いて呆気にとられたような顔をしていた。そんな霧野くんをよそに私は続けた。 「じゃあ、私が霧野くんのこと可愛いって思うのは当たり前のことなんだ!ていうことは私は霧野くんに可愛いって言ってもオッケーってことなんだよ!」 「霧野くん可愛い!」今まで抑えてきた言葉をお腹の底からはき出した。それはもう気持ちよかった。清々しくて、自然とにっこり口角が上がる。 一方霧野くんは、目を点にして眉をひそめ「げ、解せない」ともごもごと口を動かしていた。そして顔をひきつらせながら何か言っている。 「ふつう、あそこできゅんとくるところだろ・・・・・・」 「え?今なんて言ったの?」 私をどこか哀しそうな眼差しで一瞥した後、霧野くんはそれはそれは大きなため息をついた。ぎゅっと握られていたはずの手も力なくへなへなになっている。「幸せが逃げるよ」私がそう言った直後、霧野くんの手が私の手からするりと抜けた。そして霧野くんは歩みを止めた。「あ」と声を洩らし私も立ち止まった。霧野くんの手が名残惜しい。私は空っぽになった手に寂しさを覚えた。 霧野くんは顔を手で覆い、なんだか思い悩んでいる様子。心配になってきた私は霧野くんの前に立ち、問いかけた。 「やっぱり可愛いって、言っちゃだめだった?もし傷ついたなら、ごめんね。でも私は霧野くんのこと・・・・・・」 そこで言葉がつまった。好きだから、という言葉が出ない、言えない。恥ずかしいからだ。愛してるなんてのも口が裂けても言えない。私がやっとの思いで継いだ言葉は「あの、さっき霧野くんが言ってたやつ、だから」とかいうなんとも情けないものだった。私はともかくとして、霧野くんは訳がわからなかったと思う。 やっちゃった。霧野くんの肩が震えていたのだ。もしかして、泣いているのだろうか。そう思った私はどうしていいかわからず、ひどくうろたえた。それでもとにかく謝ろうとして口を開いたが、それはぽかん、としばらく開いたままになる。 なぜなら霧野くんが突然笑い出したからだ。顔を覆っていた手は離されて、霧野くんの笑顔が露になった。 「あはははは!負けた!ほんと、名前には勝てないな」 なんで笑われているのかわからなかったが、霧野くんが笑っていて私はとてもホッとした。 よかった、と安堵していたら霧野くんが私の両頬に手を添えてきた。霧野くんの目は一度見たら目が離せないほどに真剣で力強かった。私はどきどきが止まらない。その時私の頭の中に過ったものは、昨日見た恋愛映画。それもクライマックスのところで、たくさんの柵を乗り越えやっと結ばれた恋人達が、抱きあって唇と唇を接触させる、いわゆる・・・・・・キスシーンていうところ。 霧野くんの目は真剣さを増す一方で、私は霧野くんにキスされるのかな、まだ心の準備が出来てないよ、と不安になるのだった。しかしながら、全く期待をしていないと言うと嘘になる。私は霧野くんにキスされてもいい、むしろ、してほしいとも思った。私の胸の高鳴りは止まらなかった。 そんな期待と不安は杞憂に終わった。霧野くんは私をその胸に抱きとめた。キスされるだとか、そんなことは全くの勘違いだった。とんでもない赤っ恥。 それでも心臓がばくばくなのは、霧野くんに抱きしめられているからで、私の状況はあんまり変わっていなかった。こうやってぎゅっとされると、霧野くんが男の子だってことを改めて感じる。そして胸の奥の方がきゅんとする。恋をしている甘い証拠だ。 耳元で霧野くんは囁く。私はそれを静かに聞いていた。 「名前、確かに俺はお前のことが好きだ。心底好きだ。だから可愛いっていつも思う」 霧野くんはそこで一呼吸おいて言葉を継いだ。私も霧野くんも二人ともどきどきしていた。 「しかしだ。お前に可愛いって言われたら、それがたとえ好きって意味でも、嫌なんだ。わかるだろ?俺って見た目がこんなだから、よく女と間違われてさ、その度に悲しくなるんだよ。俺って女みたいなのかなって。でも俺れっきとした男だし、名前が好きだった。がんばって話しかけてた時期も嫌がられてたらどうしようとか思ったり、今もそんなのと付き合ってくれてる名前はどんな気持ちなんだろうって思ったりするんだ。だから」 「可愛いなんて言うな」霧野くんが顔を上げて私を見つめた。責めるような悲しくなるような目だった。霧野くんの苦悩を知った私は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。 「ごめんね」 唇が少し震えた。 しかし霧野くんの細められていた目を見て私は安心した。幾度となく私はこの目に助けられてきた。心の暗い部分がパッと取り払われるのだ。 「いーよ」 霧野くんの手のひらが私の頭を優しく撫でた。涙が出そうになったけれど、グッと堪えた。喉の奥がツンとして苦しかった。 そのせいでかすれた声になるも私は口を開いた。霧野くんに聞きたいことがあったのだ。 「がんばって話しかけてた時期って?」 「知らんでいい」 「えー」 「おい、お前ら」 「こんな、道のど真ん中で抱き合うのは、やめてくれ!」背後から発せられた声とともに、私と霧野くんの隣に猛スピードの風が吹き抜けた。その一瞬、真っ赤な顔で通りすぎていった神童くんが見えた。 私達はなんとも言えない羞恥の中にいた。おずおずと私と霧野くんは少しずつそれまで密着していたのを離していった。 しかし、「見られちゃったね」「見られちゃったな」と二人顔を見合わせて笑い合った時は、なんだかとても幸せだった。 また私達は手をつないで一歩また一歩と歩き出した。 その時私は、二枚同時に落ちてゆく桜の花びらに目を奪われた。それは私の目には輝いて見えていた。 まるで寄り添いながらその二枚の花びらはどこまでもどこまでも飛んでいくのだった。見えなくなっても、その花びら達はきっとずっと一緒だろう。 そんなふうに私はなりたい。そう思った私は霧野くんの手をぎゅっと握り返して笑ってみせた。 |