「ふんふふふふふふんふふ〜」 今日は実験をするらしい。理科室の四角い木の椅子を傾けつつ鼻歌を歌う。別に機嫌が良い訳ではない。小さい頃見たアニメの歌でうろ覚えだが好きだったからだ。 周りの同じ班の奴はそんな俺を見て見ぬふりをする。俺みたいな奴が鼻歌なんて、と気味悪がっているのだろう。どうせ、俺は不良の不動明王ですよ。 「ふんふふふふふ〜ふんふふ〜」 「あ、あの」 「あ?」 隣の奴が話しかけてきた。今まで存在も気にした事のないような女子だった。なんて名前だっけ、こいつ。地味だから地味子でいいか。地味子は俺の圧力に潰され気味なようだが、目は辛うじて合っている。意外と根性があるみたいだった。 「今歌ってた歌……、あの、あれ、昔、朝やってたアニメの?」 「あー、そうそう、ナントカのナントカってやつ」 「やっぱり」 びっくりしたような顔をした後少し表情が柔らかくなった気がした。俺みたいな奴がアニメのオープニングなんて、とおかしがっているのか?……ああ、こういう地味〜な女ってアニメとか好きな奴多そうだよな、俺は思う。それともそういう親近感か?どうでもいいや。 周りの奴が席を立ち始めた。どうやら何か指示があったらしいが全く話を聞いてなかったから何をするのかよくわからなかった。教科書も持ってきていないし。まあ、テストでいい点とりゃ万事OKだろ。 しかし、同じ班の奴ときたら誰も立ち上がらず向かいに座っている二人は向こうの違う班の奴とくっちゃべっている。俺にやれってか?ふざけんなよ。苛立ち爆発、舌打ち寸前、地味子が立ち上がった。 一人で器具を準備して一人で作業をして一人で実験結果をプリントに記入していた。俺はそれをただ見ていた。我ながら最低な男だと思う。もう鼻歌を歌う気分にはなれなかった。しかし、あいつらだって同罪だ。平気な顔してプリントを見せてもらっている。だがそれより、こいつの方がおかしいのかもしれない。地味子もまた平気な顔してプリントを見せているのだ。俺が不可解だ、と視線を送ると地味子は「不動くんも見る?」と言った。平気な顔をして。まじで頭おかしいんじゃねえの?俺は無言でプリントを写した。 チャイムが鳴った。周りの奴が一斉に帰り出す。俺もさっさと立ち上がる。しかし理科室を出て数メーターのところで俺は引き返した。 まさかとは思ったが、あいつは誰もいなくなった理科室で一人ビーカーを洗っていた。流し台にぶつかる水がうるさく聞こえる。 「お前、要領悪すぎなんだよ」 「わっ」 「すんげえいらつく」 俺は、地味子の手にあったビーカーをひっ掴んでさっと水で洗い、残りの多数の試験管やら漏斗やらをビーカーと同じように水洗いして一瞬で片付けた。濡れた手をぶんぶん振って水滴を撒き散らしていると、地味子が恐る恐るハンカチを差し出してきた。 「ありがとう」 俺は何も言わずにハンカチをかっ攫って手を拭いた。無視をするのもなんか癪だったからだ。つか、礼なんて言われるほどのもんじゃねえし、第一俺はさっきこいつに仕事を押し付けたんだ。なのに地味子はありがとうとか言う。意味わかんねえ。 「ん」 「あ、ありがとう」 ハンカチを返すとまたありがとうと言ってきた。こいつ、ありがとうって言わなきゃ死ぬ病気患ってんじゃね?でなきゃ言われる意味がわかんねえ。俺はあまりの地味子の不思議さに思わず笑った。 「不動くんて意外」 「何がだよ」 「器用だし優しいし笑うと可愛い。あ、さっきの鼻歌も可愛かった」 「は!!」 俺は地味子の聞き捨てならない発言に声を張り上げた。てっきり地味子は縮こまるだろうと思ったが、地味子はぴんぴんしていた。男としてのプライドがいろいろ傷ついた。 「……怖くねえのかよ、俺が」 「怖くないよ。不動くん、本当は優しいんだってわかったから」 「うるせえよ地味子!」 「地味子ってなに!?」 むっと地味子を睨み付けたが、未だ地味子はにこにこ笑っている。悔しくて歯を食いしばるがこんな変な奴に何を言っても無駄かと途中で気づいた。この俺を可愛いなんて言う奴だ。やっぱり頭がおかしいらしい。 「私の名前は名字名前!」 もっと怒っていいはずなのに、地味子もとい名字はあまり怒っているようには見えなかった。本当なんなんだこいつ。 「じゃあ、ありがとうね」 ひっかかった疑問を解きたかった。ただそれだけだった。 「おい、待てよ」 俺は名字の手首を握って引き止めた。名字はひどく困惑した目で俺を見た。当たり前だ。全く接点のなかった今日初めて言葉を交わしたただの不良に手首を握られているのだ。無理もない。 「あれ、どしたの不動くん」 「い、いや、なんでお前ってそんな損ばっかする生き方してんだろって。お前って馬鹿?」 「ははは」 力なく笑う名字にまた疑問が大きくなる。馬鹿にしてるのに特に怒る様子もない。多分俺は目を丸くしている事だろう。名字が口を開くのをじっと待った。 「頭のいい不動くんにはわからないだろうけど、私ってどうも気が弱くて、人に気を遣っちゃうんだ」 「奴隷みたいだった」 「うん、そうやって思った事はっきり言えないの」 「そんなら俺だって」 「え?」 「……なんでもねぇよ!」 俺は名字を置いて駆け出した。思った事言えないなんて、俺だってそうだった。むしろその道の先駆者が俺である。 お前の事好きになっちまったんだよ! そんな事口が裂けても言えない俺の全身に初夏の鋭い風が突き抜けるのだった。 |