起きるともう正午間近。日曜日なんてそんなもんだ。うがいをしても顔を洗ってもいまいちしゃんとしないまま私は遅い朝食を摂る。パンを適当に焼いてバターを適当に塗ってかじった。食べ終わっても終始ぼんやりと椅子に座ってテレビを見ていた。そこでかかってきた電話が事のすべての発端だった。


「会いたい」
「珍しいね鬼道がそういう事言うなんて」
「今からお前ん家行く」
「まじ?」


聞き返したら、切られた。なんなんだ。こっちだって忙しいんだぞ。起きたばっかの脳ミソを働かすのにね!じゃなくて、えっと、鬼道が私ん家来るんだっけ?えー嘘やべー、まだ私パジャマだし髪ボサボサじゃん。まあいいか。何でも受け入れろ、我が彼氏様よ。


歯を磨いている途中、インターホンが鳴らされた。私は歯ブラシをくわえながら玄関を開けた。


「名字……」
「おはよー鬼道」


鬼道はお得意のVネックの黒い無地のTシャツにジーンズにスニーカーを合わせていた。別にいつもとそんなに変わりようがないけど、かっこいいじゃない。でもその時ひとつ違いに気付いた。鬼道の肩が深く落ち、眉毛がふにゃりと下がっていた。鬼道、元気ない。


「どうしたの鬼道、なんか具合悪い?」


頷く鬼道。なんだって!とりあえず上がって、と私は鬼道を招き入れる。


「大丈夫?どっか痛い?」


頷く鬼道。どうしてわざわざ私ん家まで来たんだー!と言うと口角まで下げられて泣きそうな顔をされた。胸がちくりと痛む。私は急いで洗面所に行き口をゆすいで歯ブラシを置いた。私は鏡を見ながら思う。鬼道のあんな顔初めて見た。
リビングに戻ると鬼道はちょこんとソファーに膝を抱えて座っていた。鬼道がこんなに小さく見えたのは初めてだった。いつもは自信満々で偉そうにしているのに。そういや、やけに口数も少ない。多分、いつもの鬼道だったら今の私に文句を言うはずだ。女のくせにだらしがない、って。張り倒す勢いで無理矢理パジャマを着替えさせるともしないし。やっぱりどこか調子が悪いんだ。私は静かに鬼道の隣に座った。


「大丈夫?」


首を横に振る鬼道。どうしよう、平気かな。顔色もちょっと悪いように見えてきた。


「どこが痛いの?」
「ここが……あつい……」


か細い声で言うと鬼道は私の手を取った。そして自分の胸に押しあてた。ちょうど左胸、心臓の位置だった。もう私は心配どころの話じゃなくなっていた。


「救急車呼ぶ!119番!」


私は立ち上がり、電話まで全力疾走しようとしたその時だった。すぐさま左手を引かれ、鬼道の隣に尻餅をついた。それから弱々しい声が鬼道の口から出る。


「あついだけだから……」
「本当?」


頷く鬼道。本当に大丈夫かなあ。そう私が気にかけている最中、鬼道は膝をつくと、なんと私にしがみついてきた!私の胸に鬼道の頭がある。脳ミソはもうフル回転だ。


「そばにいてくれ」


えっ、蕎麦煮てくれ?わざと私が脳内で変換してしまうくらい、鬼道は言動がいつもとかけ離れていた。鬼道に抱きしめられるのなんて、私は初めてだ。心臓がばっくんばっくん言っている。


「鬼道……?」
「名前」


わあ。名前を呼ばれた。初めてだ。「名前」何度もだ。鬼道は鼻頭を私の胸にこすりつけながら何度も私を呼んだ。今日の鬼道はいつもと違う。そんな鬼道に私はうろたえるばかりだった。


「名前、好きだ……」
「ええぇ」


普段そういう事は絶対言わない男なのに。具合が悪いせいなのかな。人肌が恋しくなるとか、聞いた事がある。私は鬼道の背中に手を回してみた。それから背中を撫でてやる。


「大丈夫?」
「全然足りない」


それは大丈夫なのか大丈夫じゃないのか、よくわからない答えだったが、何かマイナスの答えだって事はわかった。私は背中をさすり続ける。


「名前……」


鬼道はおもむろにゴーグルを外した。鬼道の赤い目を見るのは久しぶりだった。それだけでもどきっとするのに、その目が潤んでいたから尚の事どきどきした。いかんいかん、鬼道は病人。どきどきなんてしちゃだめだ。


「ひっ」
「名前……」


ねだるような声で鬼道が私の名前を呼ぶやいなや、私の首に吸いついてきた。一体全体何が起きている。抱きしめられるのも初めてだったのだから言わずもがな、こんな事されるのも初めての中の初めてだった。


「ちょ、ちょっと、きど、いっ」


首筋を甘噛みされた。急に力が抜ける。鬼道の体に回していた腕もへたり落ちた。柔らかいものが首筋を辿るのを感じる。鬼道の唇だ。それから、それが私の耳へと移動した。


「好きだ……名前」


耳元でそう囁かれるとこそばゆさに全身が震えた。こんな事、鬼道はやり慣れているのかな。そうだとしたら、嫌だな。急にお腹の当たりが寒くなった。でも、執拗にちゅっちゅちゅっちゅと責め立てられれば、自然とそこから熱くなってしまう。私ってだめな女だ。

ここまで鬼道がやる事なす事、私は全部受け入れたつもり。だって病人だし、何より大好きだから拒否する気が最初からなかったんだと思う。
しかしだ。それはないだろう。キスもしてない相手に向かって。

鬼道は私のパジャマのボタンに手をかけて、脱がそうとしたのである。

その時は流石に私も鬼道に渾身の力を込めて蹴りを入れてしまった。


「けっけだもの!」
「うっ」


本能で危険を察知して蹴った場所は男の弱点だった。本当にごめん。謝っても時すでに遅し。うめき声ひとつを置いて鬼道は気絶してしまった。



鬼道が目覚めたのは、ちょうど太陽が沈んで辺りが暗くなった頃だった。鬼道はかけられた毛布をめくってきょろきょろと目を泳がせていた。


「おはよー」
「なんで名字の家にいるんだ」
「は?」


まさか、こいつ。


「覚えてないの!?」


私が嘆けば、鬼道に何の事やら、というふうな顔をされた。あんな事しでかしたんだから鬼道には反省してほしかった。でも私も股間蹴っちゃったからおあいこかな。蹴った事も覚えてないみたいだし、それはそれでよかったかもしれない。


「具合はどう?」
「ん?俺は朝からピンピンしていたぞ?どっかの誰かさんみたいにな」
「私のことか」


本当に何も覚えてないみたいだった。憎まれ口を叩くくらいだ。鬼道の調子がいい証拠だ。試しに寝ている鬼道の上に跨がって仕返しをしてみようとしたが、もうその時点で鬼道は赤面して目一杯拒絶された。「何するつもりだ!こんな事どこで教わった!」お前がな。あれは本当になんだったんだ……。でも、私も負けじと一生懸命鬼道に手を伸ばした。揉み合いになっていると、鬼道がいきなり喚き散らした。


「名字お前!!」
「はぁ?」


今まで必死に私の手をはねのけていたくせに、いきなり肩を掴まれてグッと引き寄せられた。しかしあまりにも険しい顔をされたので、精神的にはグッとこない。寧ろ怖い顔が至近距離にあるせいで震え上がるレベルだった。


「お前、これ、どこで、誰に……!!」


鬼道の言いたい事がだいたいわかった。私の首筋を指したまま怒りに震えていたから。私は鏡の中の真っ赤になった首筋を思い出した。


「ここで、あんたに」


そう正直に言うと一瞬だけ硬直してさらに顔を赤くした。


「嘘つけ!」
「まぎれもない事実だよ。私が浮気なんてすると思う?」
「そう言われるとそうだな。こんな女誰も相手にしないか」


妙に納得した表情で言われると誤解は解けたが腹が立つ。この男はこういう奴だった。こんな奴に私は惚れたんだった。
正気に戻った鬼道は、今のこの距離間が恥ずかしくなったようで、さりげなく目を反らした。私はというと、あんな事されたせいで恥じらいも何もなかった。


「本当に俺がこんな事したのか?」
「うん。そりゃもう、大胆にもほどがあったね。名前ー、好き好きーつって、あっちをちゅっちゅ、こっちをぺろぺろと」
「もういいしゃべるな」
「あんたがやったのに」


それきり鬼道は顔を手で覆った。禁じ手だろう、それは。私は鬼道が可哀想に思えてきて、鬼道から離れた。私はコップに水を入れて鬼道に渡そうとしたら、突然鬼道は飛び起きて、大きな声で叫んだと思ったら、ドレッドを揺らして玄関から走って出ていった。


「そうだ!不動の奴!!」


私はその声を自然と脳ミソにインプットしつつ水を一気に飲み干した。



鬼道が叫んだ事が気にならないわけがなかった。私は夕飯を食べた後不動に電話をかけた。


「もしもし、不動今ちょっと平気?」
「あぁ、今お前の彼氏くんにシめられ終わったとこ」
「やっぱり、不動がなんかしたんだ」
「いやぁさぁ、お前らの仲があまりにも進展しねぇから、鬼道くんに薬盛ってやった」
「はぁ、何てやつ?」
「びや」


そこで私は携帯の電話を切るボタンを連打した。何してくれんの不動の奴!憎らしく思っていれば、すぐさま不動がら着信が入った。無視してやろうと思ったが、感謝しろ不動、私は出てやるぞ。


「何」
「そう怒んなって。少しくらいは進展したんだろ?」
「生憎ね」
「おー!これで晴れてロストファーストキスだな!めでてぇなこりゃ」
「してない」
「は……?進んだんじゃねぇの……?」
「口にはされてない」


私がそういうなり、不動はひぃひぃ笑い出した。私は当然電話をぶち切った。

私は鬼道に電話をかけた。


「もしもし鬼道」
「名字、さっきはごめんな。というか、いろいろ本当すまん」
「別にいいって」
「本当、ごめん」


私に嫌われたとでも思ってるのだろうか。沈んだ声だった。意地悪をしたくなる声だ。


「じゃあ明日、キスしてくれたら許す」
「はああぁ!?」


携帯電話から耳が痛くなるくらいの断末魔。


「あ〜んな事してきたんだから、楽勝でしょ?」


答えも聞かず、切ってやった。
月曜日が楽しみなんて、私初めてだ。









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