転校生が来ると知ったのは今朝教室に入った時のこと。みんながみんな、転校生の話で持ちきりで教室中が騒がしかった。私は自分の席に着くと、昨日までには無かった机が隣にある事に気付いた。窓側一番後ろ。単純にいいなとしか思わなかった。だけど、果てなく青い空を眺めるとなんとなく良い予感がしたのを私は今でも鮮明に覚えている。



涼野風介、と書き出された黒板をまじまじと見てから、当人もまじまじと見た。色素の薄い髪にがしがしと手櫛を入れて俯いている。だから顔はよく見えなかった。聞こえないくらい小さく「よろしく」と言って、やっぱりこっちに向かってきた。鞄を机の横に掛けて座る。もうずっと下を向いている。けれど、ここからなら顔が見えた。涼しげで整った顔は、言い方を変えれば無表情だった。笑えばきっとかっこいいんだと思うよ。緊張してるのかな。



HRが終わった。私はちょっと勇気がいるけど、話しかけてみることにした。


「涼野くん、私名字名前って言うんだけど」
「ガゼル様と呼べ」
「これからよろしくね!?」


辛うじて私にだけしか聞こえないくらいの音量で涼野くんは私のあいさつの間に何かものすごい事を言った。


「今なんて……」
「私の名前は涼野風介じゃなくてガゼル。ガゼル様と呼べ」


何を言っているのかよくわからないよ涼野くん。とりあえず順応性が高い自分は試しに呼んでみる事にした。


「ガゼル様?」
「なんだ」
「あ、いや呼んでみただけ」
「用が無いのに呼ぶな。私は忙しいんだよ」


見たところ何もしてないけど涼野くんは忙しいらしい。それとなくどういうふうに忙しいのかほのめかしてみると、こんな答えが返ってきた。


「魔王を倒すために修行を積んでるんだ」


これから涼野くんとやっていける自信が無いよ。



しかし、慣れとは怖いもので数ヶ月後には案外私と涼野くんは打ち解ける事が出来た。


「昨日の闘いはどうだった?」
「私の凍てつく闇の前ではどんな敵も一緒だね」


こういう会話も私からするようになった。もちろん話を振られても対応は可能だ。しかし他のクラスメイトは無理みたいだった。涼野くんを狙っていた数名の女子たちも涼野くんの特殊な性格の前では冷めきった目をしていたな。涼野くんの目も負けじと死んでたけど。でもたまに火がついた時の目は堪らずかっこいいのを私は知っている。



「聖なる剣で私は魔王を倒したんだ!」
「おー!流石ガゼル様!」


涼野くんは嬉しそうにガリガリ君を振っていた。それを聖なる剣に見立てて目の前にいるゴブリンでも屠っているかのように。楽しそうな涼野くんは面白いから好きだった。


「だが、姫はもうその籠城にはいなかった……」


涼野くんはガリガリ君を食べ終わると、急に落ち込んだ。当たりが出なかったからだろうか。私のまだ食べかけのガリガリ君をじぃっと見つめる涼野くんに一言、「いる?」というと「うん」と即答されたので私はとてもびっくりした。冗談だ、と言う前に私の手にあるガリガリ君はもう涼野くんに齧りつかれていた。
部活帰り、はりつく汗、夏休みの真っ最中、コンビニの前で私は青春の味を知った。



光陰矢の如し。正にそんなスピードで歳月は人を待たず、どんどんと過ぎ去っていった。今日は卒業式。
形式的な式は特に何の面白味もなく周りの一部の感情豊かな人が泣いているだけだった。私はというと、皆との別れはそんなに悲しくはなかった。ただ一人を除いて。
大きな桜の木がすぐ隣にあるこの屋上には、春風に乗ってたくさんの花びらが舞い落ちていた。フェンスに凭れかかる私と近くのコンクリートの段差に腰掛ける涼野くんの間には、なんとも言い難い重い空気が漂っていた。私の行く高校と涼野くんが行く高校は違う。そんなの、進路が決まった時からわかっていたはずなのに。私は俯いた。涙が出そうだったからだ。溜まっていた涙が重力に負けて落下した。


「お前のそんな顔は見たくない」


いつの間にか、涼野くんが目の前に立っていて、無理矢理私の顔を覗き込んできた。見たくないんじゃないのか、涼野くん。


「私は、ガゼル様と別れるのが悲しいよ」


至近距離でも涼野くんは無表情だった。眉も唇も動いていなかった。涼野くんは、私と別れるの悲しくないのかな。


「私の目を見ろ、名前」


下の名前で呼ばれた時はいつもいつも心臓が危ないとこに行く気がする。そんな気持ちももう最後かと思うと、また涙腺が刺激された。私は名残惜しくなって、涼野くんの目を見た。すると、バチリと視線が交わった。この目は涼野くんがサッカーをしている時の、熱中している時の目だ。その目が自分に向けられている。心臓がうんうん唸っている。一体全体どういうこと。
私がもんもんと考えを巡らせている内、涼野くんがスッと視界から消えた。涼野くんが跪いたのだ。私は驚いて涼野くんをただただ見つめた。このボリュームのある髪を見るのもこれが最後か。私の涙は留まる事を知らない。
桜吹雪が吹き荒れた時、涼野くんは、何かを私に差し出してきた。ブチリと音を立てて。


「これを私だと思って、取っておいて下さい、姫」


涼野くんの掌にあるのは、制服のブレザーの金ボタンだった。よく見ると二つしかない制服のボタンの下の一つが無かった。第二ボタン!受けとる時、私は感極まって涼野くんに抱きついてしまった。勢い余って押し倒してしまうし、最後の最後で最悪だ。


「ご、ごめん、ガゼル様」
「……風介でいい」


立て続けに私は衝撃を受ける。涼野くんを、ガゼル様じゃなくて、風介と呼ぶ私がうまく想像出来ない。でも、嬉しい。単純にその事が嬉しくてたまらない。


「ふう、すけ!」
「わ、ぶ」


またやってしまった。涼野くん、いや、風介の胸に飛び込んでしまった。ついつい、体が勝手に。だってあまりの感動だったから。私は風介の顔を見た。するとなんと頬が紅潮していた。嘘だ。風介が私の視線に気付くと、顔ごと目を反らした。


「今日は、無礼講だ」


だ、そうなので、私は思う存分に風介を抱きしめて抱きしめて抱きしめ尽くした。私の手の中にあるボタンもぎゅと握りしめて。時々洩らす、風介のうめき声が勇者らしからぬ声で最高に面白かった。


「好きだよ、風介」


口が滑って出た本音に、風介が私の背中をポンポン叩く。見るからに風介はいっぱいいっぱいで言葉が出ないみたいだ。勇者なのに情けないな。でも好きだ。好きで好きでたまらなかった。
嬉しいのに、悲しかった。


「ねぇ、何度好きと言えば、何度抱きしめれば、この気持ちは埋まるかな」


そんな言葉が思わず口をついて出た時、風介の息を飲む音を聞いた。次の瞬間、ほんの一瞬唇にあたたかな感触を覚えた。


「これで、いいだろ」


本当にたった数秒だった。けれどそれだけで、不思議とさっきまでのぽっかりと空いていた空洞は無くなった。代わりにふかふかしたあったかいものが、私の胸にあった。風介との赤い絆が、そこにあった。










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