教室の最後列窓側にて。その隣の席にいる俺の一応幼なじみの女、名前はため息吐いて呟いた。


「豪炎寺くんの子供授かりたい」
「お前、そういうのは俺の前だけにしておけよ」


「こんなの有人にしか話せないよ」と言って名前は虚ろげに机の木目を見つめた。
俺が部活に行くまでのこの少しの空き時間は、名前の戯れ言を聞く事が日課になってしまっている。俺が雷門に転校して名前と再会した時にはもう既に豪炎寺にほの字だったようだ。
それからというもの、俺は名前の相手をしてやっている。最近、発言がエスカレートしているようだが、それでも俺は耳を傾けている。意外とお人好しなのかもしれないな。


「豪炎寺くんの赤ちゃん孕みたい」
「・・・・・・・・。お前はオブラートに包むという事を知らないのか」
「豪炎寺くんと男の子ひとり女の子ひとりの幸せな家庭を築きたい」
「・・・・・・やればできるじゃないか」


俺達二人の他には誰もいない教室だったから、名前は言いたい放題だ。顔色ひとつ変えずに歯に衣着せぬ物言いにはもう慣れていたから特に驚きはしないが、苦しみが伴う。

恥ずかしながら、俺はこいつに惚れていたのだ。

窓を隔てて投げやりに校庭に目をやると、染岡や半田達がもう練習を始めていた。鉛色の空にそいつらは輝いて見えた。
俺は席を立つ。椅子が後ろにある掃除用具入れに当たってガシャン、と盛大な音が教室に響いた。


「ねぇ、有人は好きな人いないの?」


突然論点の矛先が俺に向けられて、肩に掛けようとしていたエナメルバッグが俺の手から離れた。床にドサッと音を立てて落下した。心臓の鼓動が激しく鳴っている。


「さあな」


言葉を濁した俺に名前は眉間に皺を寄せてムッとした表情を見せた。
今俺はどんな顔しているだろう。こいつが豪炎寺以外の話をするのは初めてに近かったから、大分動揺している。
これ以上名前に顔を見られるのが嫌で、急いで落ちたエナメルを肩に掛けて足早に教室を後にした。
後方から名前の「まだ早くないの」という声が追いかけてきたが、それを扉を閉めてそのけたたましい音で掻き消した。



ボールは大きく弧を描いてゴールの枠に擦りもせず飛んでいく。これでもう十一回目だ。


「こんな日もあるさ!」


円堂の労いも今の俺には苦々しく胸を締め付けるだけだった。俺は円堂に軽く手を振り、自主練する事を伝えて皆とは少し距離を置いた。
リフティングしながら思案に更ける。自分の事だ。苛立ちの原因はよくわかっている。
溜め息吐いた瞬間、スパイクに当て損ねてボールが俺の元から離れた。


「くそっ」


俺はそのボールを追いかけたが、現れた人物に動きを止めた。そいつは俺がこぼしたボールに足を乗せて腕を組んでいた。ほんの少しだけ俺より背が高いせいなのか、こいつの目が威圧的なせいのかわからないが、俺は見下されているようで無性に腹が立った。


「豪炎寺・・・・・・」
「随分と荒れているようだな」


「鬼道にしては珍しい」と加えて言う豪炎寺に苛立ちが隠し切れず、俺はギリリと奥歯を噛みしめる他なかった。そしてボールに向かって走り出す。しかしスライディングを軽く避けられてボールはまだ豪炎寺の物だった。


「正面から来るなんてお前らしくない」
「うるさい黙れ」


俺は頬についた泥を拭った。今日は湿気の多い嫌な日だった。忌々しく地面を見れば額にはりついていた汗が地面に落ちた。その時は豪炎寺に対する怒りもなぜか忘れて、名前のことが頭の中にあった。もしここに名前がいたら間違いなく豪炎寺を応援するだろうな。しかしあいつのことだからこいつに聞こえない声で応援するんだ。あいつはああ見えて奥手で恥ずかしがり屋だから未だに豪炎寺とまともに会話をしたことがない。俺がうまく豪炎寺と会わせてやればいいのだろうが、そんなことできるわけがない。俺はあいつが好きだからだ。


「久しぶりに勝負だ、鬼道」


豪炎寺と二人でこう睨み合うのは、思えば河川敷で豪炎寺から説得を受けたあの日以来のような気がする。俺は決死の一歩を踏み出した。

皆が去った後、俺はコートに独り仰向けになっていた。辺りはもう暗い。
八つ当たりだという事など、承知の上だった。なのに何故こんなにも心が荒んでいるんだろう。こんなにも惨めに泥まみれになっているんだろう。
俺は豪炎寺から一度もボールを奪えなかったのだ。
無論、それにはサッカーとは無関係の私情が多いに絡んでいたわけである。全く情けない。
ふと名前の顔が頭によぎった時、雨がポツポツ降り出した。それをいい事に、俺は総帥の教えを破った。

どのくらい時間が経ったのかわからない。もう何も考えたくなかった。豪炎寺に二つの意味でかなわない事が、俺にとって最大の傷となっていた。ゴーグルを外してみれば、雨とは違うただ冷たいだけではないものが頬に伝った。
すると、どこからともなく、あいつが現れた。


「どうしたの、こんなとこで寝て」


俺を見下ろす名前の黄色い傘が眩しい。太陽みたいだと思った。それが傘ではなく名前自身の事だと気付くと途端に恥ずかしくなる。俺はさりげなく目の涙を拭った。


「ほら、早く起きて。着替えて一緒に帰ろ」





「有人の目久しぶりに見たな」


着替えを済まし、部室の扉を開いて言われた一言。俺は施設にいた頃の記憶を思い出していた。「有人の目かっこいいね!」なんて笑顔で言われたことをあんなにも幼い頃だったというのに今でも覚えている。「有人大好き!」とか言う大昔の記憶も蘇ってきて、平常心ではいられなくなる。あれは完全に友達としてのそれなのに、照れくさくなる自分が嫌になった。名前はこんな昔のこと覚えているわけないだろう、と悲しくなるのだった。
今はゴーグルをかけて見えない俺の目。指先でゴーグルをなぞる。これで俺の視界は狭まったが、見ているものは変わらない。いや、見ている人と言った方が正しいだろうか。
ただ立ち尽くす俺を見て名前は口を開いた。


「あれ、有人、もしかして傘忘れた?」
「ああ」
「珍しいなあ。ちゃんと天気予報で言ってたよ、今日は雨だって。はい、中入って」
「すまないな」


当然傘を忘れたというのは真っ赤な嘘だ。俺は折り畳み傘を常備している。
どうしてそんな嘘をついたか、というのは愚問である。今日ぐらいは名前の傍にいさせてほしい。でなければどうにかなってしまいそうだった。
今日名前と相合い傘をしたという事実が未来の俺を強くするのだ。俺の傷を癒すのだ。たとえ結局は傷口に塩を塗るのと同等の苦しみが待ち受けていようと、事実は事実だ。
ほら、名前の口からこぼれるあいつの名前も自然と遥か遠くに聞こえるだろう。残るのは名前の笑顔だけ。
肩が触れそうなこの瞬間の幸せを俺は大切に胸にしまいこんだ。













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