名字にはくせがあった。
唇を触るくせ。
指で摘んだり突いたりただ触ったり。
それがどんな意味を持っているかは俺は知らない。


練習が終わり、みんなが各々宿舎に戻ろうとしていた。
ちょうど、今グラウンドのベンチ付近に二人だけしかいなかったから、思い切って俺は聞いてみる事にした。


「なんで触るんだ?」

「さわるってなにを?」

自覚は無いらしい。
俺はいちいちその仕草に、危なげな高揚を感じているというのに。

「……唇、触るくせ、あるだろ」

「くちびる?」

俺は頷いた。
緊張しているのを悟られないように極力言葉を発したくない。
俺は唇という言葉にどことなく恥じらいが含まれているような気がしてならなかった。

「そんなにさわってないと思うけど……」

言ってるそばから触っている。

「ほら」

「あ」

名字はどこか恥ずかしそうに俯いた。
そしてそのまま俺に問いかけてきた。
また唇を触っている。

「豪炎寺くんはなにかある?」

何か、とはなんだろうか。
頭の回転がいつもより遅い。
俺は首を傾げた。

「くせだよ、くせ」

「あぁ」

俺は自分を顧みた。
あれやこれやと考えを巡らせるが、心当たりはなかった。
強いていうなら、目の前の女を目で追う事か。
俺はこっぱずかしくなって顔を横に振った。

「ないの?」

「あ、ああ」

俺の恥じらいを振り払う挙動を名字は否定と見なしたようだ。

「無くて七癖、緑川くんが言ってた」

「ふうん」

名字と話す事自体、日常ではあまり機会が無い。
そういえば緑川はよく名字と話している気がする。
胃がむかむかした。

「私も知ってる」

「なにがだ」

だんだん慣れてはきているようで言葉が自然と口から出てきたのはいいが、何分この女は言葉足らずだ。
おまけに舌足らずときたもんだ。
まあ、そこがいいとも思っている。
……やはりこっぱずかしい。

「それ」

それといわれても。
名字が指差したのは俺の腰の辺りだと思う。
俺は頭上に疑問符を浮かべた。

「ぽっけ、に手」

「あ」

言われてみれば、練習後汗を拭いて寒いからジャージを着た時から手はポケット中だった。

「それが、豪炎寺くんのくせ!」

満面の笑み、この世のものかと思うほど綺麗だと感じた。
俺は恥ずかしながら、見惚れていた。

「転んだ時、危ないよ」

「手がつけないからな」

「そうそう」

よく夕香には言っているが……、兄がこんな事では駄目だな。
俺はポケットからいそいそと手を出そうとした。
すると、名字の手が飛んできた。

「いいの、いれてて」

「豪炎寺くんは転ばないから」と言い、名字の手が俺の手をポケットに押し込んだ。
俺の右手が名字の左手に包まれる。
名字の手は冷たかったが、一瞬で温かくなった。
一方、俺の手は瞬間的に熱くなった。

「豪炎寺くんの手、あったかいね」

名字の言葉が頭に入ってこない。
これがテンパっているという状態なんだろう。

「ぽっけに手いれてる豪炎寺くん、好きなんだ」

好き、と言われた。
それが至って軽い意味でも俺は顔から火が出るような感覚を覚えた。ついでに手からもだ。
だんだん汗ばんてきた。

「手汗がやばいんだが」

「そんなのいいよ」

俺に逆らうみたいに名字が指を絡めてきた。
手汗が悪化した。
名字が唇を触る。

「豪炎寺くんにいわれてわかったよ」

「何がだ」

「くちびるをさわる理由」

そう、それが知りたかったんだ。
なんで今こんな状態に陥っているのかすごく不思議に思った。
陥っているといっても、嬉しい誤算であるのは確かだが。

「私がくちびるさわる時って、豪炎寺くんを見てる時なんだ」

名字が俺を見てる時なんてあったのか、それがとても嬉しかった。
思えばそうだったかもしれない。何度か目が合ってしまった事がある。
完全に俺からだと思っていて必ず反らしていた。
なんて惜しい事をしたんだろう。
話すチャンスは以前からあったという事か。
しかもその時に唇を触るらしい。
俺の脳裏に焼き付いているのはそのせいだったのか。
しかし、なぜ唇を触るのだろう。

「豪炎寺くんが好きだから」

本当に、本当に唐突だった。
脳にその言葉が行き届くまでおよそ数十秒のタイムラグが生じる。
俺を見ていた事よりも、もっと嬉しい事が起こったようだ。

俺は目を見開いて名字を見た。

「聞こえなかった?豪炎寺くんが好き、私舌足らずだから、ごめんね」

再度伝えられた言葉。
名字は俯いて唇を触った。
それが唇を触る答えなのか。
胸の高鳴りが否めない。

ぎゅっと、名字の手に力が入った。

焼け焦げそうな心臓。
中から熱けりゃ、外はそれはもう比べ物にはならないほどに熱い。
顔からグランドファイアだ。
いっぱいいっぱいな俺は、唾を飲み込んでどうにかそれを冷却しようとした。
しかし、それは全く役立たずで意味をなさなかった。

俺は名字の手を強く握り返した。
名字もそれに答えてくる。

俺は腹を括って思っていた事全部を吐き出した。

「俺も名字が好きだ、唇を触る癖も、舌足らずなところも、だから、」

「付き合ってくれ」と言った瞬間、名字が真正面に立ち背伸びをして俺の肩に空いた手を乗せた。
そして顔を近づけてきて、
そのままキスをされた。

唇を離し、至近距離で見つめ合った。
名字の目には俺がいた。
多分、俺の目にも名字がいるに違いない。
それがどうにも嬉しくてしょうがなかった。

「よろしく、豪炎寺くん」
名字の頬はほんのり桃色に染まっていた。

「ああ…!」

ポケットから手が自然と放たれて、俺達は抱き合った。
俺の胸に顔を埋めた名字の髪のいい香りが俺に届いてくる。

すると、突然背後から大きな声と大きな大きな拍手が起きた。
声は祝福、拍手は喝采と形容するに相応しかった。

俺達は驚いて顔をあげた。
するとぞろぞろと、木々を隔てたフェンス裏からイナズマジャパンのメンバーが出てきた。
「おめでとう、おめでとう」とみんなが口々に言った。

俺はさっきとは種類の違う汗が出た。
名字も顔を真っ赤にして狼狽していた。
名残惜しかったが、そそくさと抱き合うのをやめた。

みんなが俺達の前に顔を出してから初めに口を開いたのは緑川だった。

「いやあ、やっとくっついてくれたね!見てるこっちが恥ずかしかったよ!名前ったら口を開けば豪炎寺くん、豪炎寺くん、だったんだから!」

「み、緑川くん!」

「怒んないでよ、名前〜」

唇を突き出してかぁっとまた赤くなった名字に俺の口元の緩みは抑えきれず手でそこを覆った。

「なあ!ここは二人だけにしておいてやろうぜ!」

円堂の鶴の一声でみんなが一斉に宿舎に去っていった。
円堂がこういう気を遣えるだなんて意外だった。
円堂は本当にいい奴だ。


俺達は立ち尽くした。
俺はこのまま宿舎に行けるような勇気は持ち合わせていない。
それは名字も同じなようで、ベンチにすとんと腰を下ろした。
俺もその隣に座る。
そしてポケットに手を入れた。

「まさか見られているとは思わなかった」

「私も」

名字は真っ赤な顔を手で覆った。
じっとそれを見ていると手が開いたと同時に目が合った。
そうして俺と名字は笑い合う。
それからまたポケットに名字の手が入り込んできた。

「私のくせは治りそうだけど、豪炎寺くんのはずっと治らないよ」

「……何故だ?」

「豪炎寺くんのぽっけは、私も必要、心地いいから、豪炎寺くんの手こみで」

「じゃあ今後もポケットに手突っ込んでおく」

「うん、そうしててね」

それから、名字が俺をしっかりと見据えて言った。

「私のくちびるは、私が触る前に豪炎寺くんが奪うこと!」

俺は突然の一言に思わず、ぷ、と笑いが洩れた。

「なんで笑うの!」

名字は頬を膨らませた。それも俺の頬の緩みを助長させる。
すると、名字がさっそく唇に手を伸ばしていたもんだから、俺は優しくその腕を掴み慌てて名字の唇を塞いだ。

緊張する暇も無かった。
キスしてから耳まで熱くなる。
こんな感覚に日常的にむしばまれるなんて、どうにかなりそうだった。
でも唇を離してから、名字の屈託の無い笑顔を見たらそんな事なんてどうでもよくなったのは、言うまでもない。



(20110123)









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