捧げ物 | ナノ

誰もいない廊下に小気味良く、録音された鐘が鳴る。
この箱庭学園に勤める杁理知戯は最後に授業を行った教室に忘れたチョークを取りに放課後の空き教室を訪れた。(別に誰も盗るような物でもないのだが、今日が金曜日だったのでしがない一社会人は面倒くさいがそれなら少し頑張るか、と思い腰をあげたのである)
ガラリ、と扉を横にスライドして開ける。すぐに出ていくつもりなので閉めることはしなかった。しん、と静まり返るがらんどうの空間が広がっている。…あった。教卓の上に分かりやすく。
大方、掃除をしてくれた生徒が見つけたが誰のものか分からず分かりやすい場所におくことで解決と言うことにしたのだろう。まあ、結果首尾よく見つかったのだし、杁はそれ以上関心を寄せなかった。
だからこそ、背後の気配に気づけなかったのだが。

「えっぶりちゃあーん!」
「!?」

ぎゅっ、と。
力強く後ろから抱きつかれた。声と感触から恐らく女子。残っていた女生徒だろうか、と杁は慌てて振り返った。

「あは。来ちゃった」

そう言って笑うのは、顔見知りだった。ただ、生徒ではない女がそこにいた。

「来ちゃった、じゃないよ。どうして…君がここにいるんだい、宝生さん」
「宝生さんなんてそんな他人行儀は止めてよね。智香ちゃんって呼んでよ。わたしはもうここの生徒じゃないんだしー」
「だから、どうしてその、箱庭生でない君が学校にいるのか、それを聞いてるんだけど」
「決まってるよ。杁ちゃんと一緒だよ。仕事」
「し、仕事?」
「仕事」

「学校やめたから就職したの。私」
「………」

あっけらかんと、実に清々しく。
そう、これだ。
社会で生きることを覚えてしまった自分には決してできない、そんな笑顔。

どれだけトップがイカれていようが、私立高校である箱庭学園の生徒のほぼ全てが当然のように大学に進学する。
(これは十三組においても、の話である。驚くべきことに)
多くはしたいことなど決まっていないし漠然と、ただ大学に進学しておかなければ、というある種の強迫観念によるものだ。
なのにこの生徒は、明確な意思を持ってそんなものに興味を示さなかった。
中学は義務教育だから。高校はみんなも受験するから。そんな理由で箱庭学園に来たは良いものの、中学と何ら変わり無く慢性化した日々を送るのに飽きただとか、そんな理由で高校を中退。
そんな彼女が就職しているというのはまあ、考えてみれば当然なのだが、それでもその身なりを見るに自分より待遇が良いのではないだろうか、と思わざるを得なかった。
普通は、人よりいい職につきたくて人より良い高校を目指し、人より良い大学を目指すのだが。自分勝手に進路を変えて、それでいて良いものをもぎ取ってくる。彼女は怠慢なのではなく、明確な意思で中退したのだと理解しているつもりではあった。それでも世の中は不公平で。

そんな世の中に生まれた彼女だからきっと、受験でひいひいいっている生徒をどうにかするために頭を悩ませて日々センター対策を練り続ける杁の前に、こんなにスッキリした顔で現れることができるのだ。

「ま、詳しいことは企業秘密ってやつで言えないんだけど。でも心配しなくたって私はカタギよ?なんかすごい大企業みたいだからトップはどうだか知らないけどねー」

恐らく、というか当然、教師でも事務員でもなくこの学校に出入りしているのだから彼女はフラスコ計画従事者なのだろう。それ以外に私服でここを訪れる職があるはずがない。
それもきっと、最近の事なのだろう。
智香の風体は社会人とはまるで言えないくらいに子供っぽかった。

「杁ちゃん?」

なんて、そう言って杁を除き混んでくる瞳は本気で心配している。
表面上は良い先生を演じていたから、杁はこの異端児ともそれなりに仲が良かった。智香も、親しみやすくていい先生だとか、憧れているとか、そんなことを言っていた気がする。
誰にでも面従する男、杁理知戯程度を、である。

こんな自分を、この程度の自分を、この元生徒はまだ信じているらしい。社会に出て尚、聖職者の存在を、信じているらしい。

「…ふうん。でもね、社会人はおいそれとトップの陰口なんか叩いちゃいけないよ?どこで誰がどんな風に聞いてるのか分かったものじゃないからね………智香ちゃん」
「これはどうも杁先輩律儀にありがとうございます!若輩者ですのでご指導ご鞭撻のほどを!」


杁理知戯は誰にでも従う男である。
親しみやすいと評判のそのキャラクターも仕事をより完遂しやすくするためだけのもので、本当は生徒のことなど特に気にかけていないしどうでもいいとすら思っている。
ただ、この右も左もわかっていないような新社会人に対しては、面従ではなく指導をしてやろうと、珍しく、珍しく思ったのである


ピーターパンにさようなら

(ようこそ薄汚くて優しい現実へ)


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なんと当サイトと相互リンクしてくださった妖詈様に捧げます。
大変お待たせしました。
リクエストはロード先輩か杁先生だったので、自分も見たことの無い杁先生夢にはじめて挑戦させていただきました。
原作のほのぼのなやり取りが非常に好きなのですが…それを目指してみて表現し切れなかったり・・・

妖詈様。これからもよろしくお願いします

タイトルはカカリア様より。

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