夢喰 | ナノ
75

地に伏した林は赤い池を床に広げながらなおも浅い呼吸を繰り返し生きているようだった。しかし、正中線をばっさり切られたのだ。今すぐ病院に運べば何とかなるだろうが到底戦闘を続けられる状態ではない。
そして佐々木さんの左腕も、今なお染みを広げ続けていて、私は慌てて上着の裾を刀で切って止血をする。全く、動かないものを無理やり動かしたせいで酷いありさまだ。痛みで軽く腕が痙攣している。外科医ではない私はその袖の下を覗く勇気はなかった。
「佐々木さん……左腕……!」
「眠気覚ましのトマトジュースをうっかり胸ポケットに入れたままにしていたようです」
「はあ!?あのねえそんな言い訳が私に通用するとでも……」
「あの時は痛くなかったんですよ」
「……。分かった。分かりました。……助けてくれて、ありがとう」
「…。コレ、どうしましょうか」
「どうするって…まだ生きてるなら、事情聴取しないと。今回の実行犯なんだし……」

「殺せ」
綺麗な着物は血で染まり、整髪料で整えられていた髪はもうぐしゃぐしゃ。その姿は哀れと形容するほかなかったが、私は林を横目にみて、この小柄な男が信念のために戦ったその姿は不思議と憎いと思えなくて。それは彼があまりに歪んでいながらも、愚直だったからだろうか。
なのに彼は殺せという。あまりに強く硬い意志を瞳に灯して、殺せという。
「確かに私は今回の件につ、いてほぼ…っ全て知っている…ええ、知っていますとも。主犯です、から…。しかし、貴方がたの仕える組織は果たして……っ、それを明るみにする、と、思いますか?私、の口から天人の名が出たとて、今の政治状況では、続けるべきは天人、切るのは清水。所詮は裏切り者…の戯言と一蹴されるまで……。そして真実を知っているあなた方は……この星にとって、江戸にとって、害でしかない。」
「そんな……」
「貴様のようなどこの馬の骨とも知れん女には、分からんだろう…。名を背負うものの業が……ねえ、佐々木殿」 
「…なぜ貴方はそこまで、清水家に腐心するのですか」
「これは……っ、は、可笑しなことを聞く。清水が在ることに、意味があるのですよ」
「誰にとって、ですか。」
「……」
「古いんですよ。もう誰も、貴方でさえも、そんなことを望んではいないのに」

佐々木さんはただただ淡々という言葉通りにゆっくりと、しかし淀みなく語る。
家の者に聞かれては、まずいであろうことまでも、なんの動揺もなくだ。それは全てを諦めた彼が彼自身にそう諭しているようにも思えた。思えば彼はエリートを自称する割に家やお偉いさんに否定的だったように思う。しかしそれでも、佐々木家の嫡男という立場に生まれたからには、それらに縋らねば生きれなかった時代も、助けられたことも多々あるだろう。その恩までは否定することはできないのだろうか。忌々しげに葛藤を表す姿が妙に新鮮だった。
しかし、確かに林の言う通り、こいつを生かしておいても得はなさそうだ。
だったら…答えは一つしかない。
この瞬間はいつも寿命が縮んでいる気がする。まるで自分が人間であるための大事な何かが、少しずつ、ポロポロ、ポロポロと端から崩れ出していくようだ。私たちは必死にそれをなくさないようにしがみつくけれど、あっちを守ればこっちから、少しずつゆっくりとでも確かに、自分の心の中からなにかが失われていく。それでも遂行しなければならない。真実が知れたところで、何の意味もなさないなら、初めから知らなければいい。それがいかに歪んでいても。

「やはり貴方は…随分と危険な考えをお持ちのようだ。幕府の犬め」
「犬です。」

私たちは犬だから。





「無事ですか宝生さあああああああん!?」
「神山…みんな!」
余韻に浸っていると、背後からバタバタという足音と、やかましい叫び声。…みんなだ。一番隊の、仲間たちだ。
真っ先に駆け寄ってきたのは神山で、私の姿を見てほっとしたのか涙と鼻水で酷い顔になっている。仲間を失うこともそう珍しくないこの隊で、この先輩はいつまでたっても純粋だなあ、とどこか他人事のように思う。次々に声をかけられて、無事を確認される。ある一人を残して。
「沖田君…」
あの日、変な蟠りを抱えたまま事件に巻き込まれてしまったせいで非常に気まずい。
沈黙が辺りを包む。
実の姉と同い年の私に対して沖田君がどう思っているのか、想像もしなかった自分の空気の読めなさが憎い。執拗に妹扱いするその行為に、単なるじゃれ合い以上の意味が、ほんの少しあったのだろう。姉と重ねたくないからか、重ねてしまうからか、それは分からなかったが。

「ぼーっとしてんじゃねえやい。話はあとだ。まだ敵さんは残ってる。さっさとしろ」
「…はいっ!」
しかし沖田君は謝罪も安否確認もせず、ただくすぐったそうに少し目線をそらしながらそういった。彼は私なんかよりずっと大人だ。これじゃあ本当に妹扱いされても仕方ないくらいだ。

「では、行きますよ」

「ちょっと待て何当然のようにてめえがしきってんだ」
「エリートですから」
「…おい智香。この場には真選組しかいねえ。このエリート天人と間違えて切り結ぶ。今ならやれる。」
「ちょっとぉぉぉぉ!!!何言ってんの!?」
前言撤回してもいいだろうか。揃いも揃って餓鬼ばかりじゃないのさ。張り合う佐々木さんも、仲間も含めて。おい、中指を立てるな神山。
「…けじめ、ですかね。最後の幕引きは、私がしますから」
「…こっちは余計な仕事で非番が潰れてんだ。それで済むと思わないこったなァ」
「ちょっと…むぐぅっ」
右手に刀を構えて、佐々木さんはつぶやいた。足音と怒号が再び迫っている。
佐々木さんなら問題ないとか、そういう事ではないと、私が言おうとした瞬間に沖田君に口をふさがれて無理やり引きずられる。横目に神山が血まみれの当主を担いでいるのが見えた。

「佐々木さん…っ」

最後に見た彼は、いつも眠たげな眼をまるで獲物を見据えた猛禽のように鋭くし、無表情が常の口元はきれいな弧を描いていた。

「佐々木さん……っ!!」




次の日の新聞の一面は、爆発するあの船らしき写真だった。


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