他 | ナノ
 
クラムボンは、なぜわらったの? 3

『僕が行くから、待ってて。
どの辺り?迎えに行くから、位置情報送ってよ』
「いや、フロント管理社が」
『いいから、さっさとして』


電話越しに伝わる圧に負けて自分の位置情報を送信すると、即座に『すぐ行く』と返信がつき、へなへなとその場に膝をつく。


ホッとしたせいで、左手だけじゃなく脇腹の痛みも増してきた気がする……。


血で汚れてる手にハンカチを巻き、ぐったりしている女子生徒が凍えないように傍で寄り添いながら息を吐く。


「寒いけど、大丈夫ですか…?」
「ぃ、痛くて、それどころじゃな…いかも」
「ですよね!」

体を少し捻ろうとするだけでも激痛が走るらしく、私の肩に頭を押し付けながら唸っている女生徒の肩を擦る。

戦闘音は大分前から聞こえなくなったけれど、無音空間だと逆に自分の心臓の音が妙に大きく聞こえる気がして落ち着かない。
内心ソワソワしてしまい、無駄に生徒手帳を開いてはエラン様との通話履歴を眺めてしまう。



「そ…ういえば、貴女、エランさんの……?」
「…ええ、まあ」
「貴女だけでも早く逃げてれば……こんな面倒に巻き込まれなかった、のに。ごめん、なさい」


ポツリポツリと言葉を溢す女生徒へ、視線を落とす。


「そんなことしたら、私はいよいよエラン様に呆れられそうですねぇ…」
「え?」
「こちらの話です。
大丈夫です。エラン様がちゃんと助けに来てくれますから」


体が冷えないように、制服の袖で彼女の額に滲んでる脂汗を拭っては、体が冷えないようにやんわりと抱きついて温めた。


「信じ、てるんだ…」
「あの人はめちゃくちゃな人だけれど、言ったことを違える人では無い(と、思う)からです」
「………そ、う」


ぃぃな…。


彼女が溜め息をもらすようにポツリと呟いた後、しばらくじっとしたまま二人で寄り添う。


何の音も光の刺激もない空間では、数秒の時間さえも永遠に感じさせられるくらいに長く感じ、徐々に暗闇に目が慣れてくる。


そして、待っている間にも開いた手の傷がジクジクと痛んで、冷たい空気に冷やされ、指先の感覚が遠くなっていく。


霜が降りてくるようなひんやりとした冷気が天井からじわじわと空気を浸蝕し、床面に触れている肌が冷えてカタカタと体が細かく震え、遠くでうっすら点いている非常灯によって吐いた息がぼんやりと白くなっているのが見えた。





「……ぁ」


宙で揺蕩っていた毛先と服の裾が床にふんわりと落ち、体にずっしりとした重力が戻ってきたことが合図のように、目の前にある隔壁がギシッと軋んだ。


ガンッと乱暴に蹴るような音と、扉の外で少し言い争うような声。


ギギギギィッと金属の擦れる不快な音と共に、暗かった空間の中へと眩い光が細く射し込む。




その光の明転に目がついていけず、片目をすがめながら手を翳すと、白く尖ったピアスがチャリッと視覚の端で揺れた。




「クソッ…!もっと動かしやすい設計に、しておけよな!君も、もっと押してくれよ!」
「やってるよ!?てか、なにここ、寒っ!空調まで止まっているのかなぁ!?」
「エラン様…と、マルタンくん!?」


隔壁をこじ開けるように、壁と扉の間に身を滑り込ませ、無理矢理押し開けているエラン様とその扉を両手で開いているマルタンくん。


見慣れた顔をみた瞬間、ホッとしてつい涙腺と口元が緩んだ。



「すぐ見つかって良かったよ!今動けるの、僕とエランさんしか居ないからさ。怪我人は、僕が背負おうか?」
「ありがとう……マルタンくん」
「ねぇ、もう一人居るんだけど?」
「ありがとうございます、エラン様」

エラン様がマルタンくんの背に彼女を背負わせると、ハンカチを巻いている手を見たエラン様が眉を寄せる。


「君も怪我してるじゃないか」
「あぁ、コレは……今さっきのではないので大丈夫です。この程度なら、自分で手当て出来ますので」
「いやいや、裂けてんじゃん?ほら、君も医務室行くよ」
「は、…イッたぁっ!?」


立って歩こうとすると、ズキッとした痛みが脇腹に走り、その場で蹲って小さく悶絶する。
そんな私の姿に、女子生徒を背負ったマルタンくんがあわあわしていた。


「だ、大丈夫かい!?」
「……だい、じょうぅ…ぶです…っ」
「ったく、無理なら無理ってちゃんと言なよ」


脇腹の痛みに顔をしかめていると、呆れ顔のエラン様が膝をついてしゃがんだ。
背中が血で汚れないよう、片手でよじ登るように寄り掛かる。


「すみません…本当に、すみません。重くてすみません」
「謝られ過ぎると、逆にウザいよね」
「…す、…ぁ、ありがとうございます…」
「どういたしまして」


クスッと少しだけ機嫌良さそうに微笑み、マルタンくんを追うように医務室に向かっていく。



(昔、何度かこうしてエラン様におんぶしてもらったことあったな……)


そんなことを思い出しては、切なくなった。














「彼女、骨が折れてるかもしれないから、これから医療施設に緊急移送されることになるってさ。
救急隊に引き継ぐまでちょっと待ってだって」
「私のことはお構い無く。勝手に手当てしておきますので」




避難時に怪我をしたらしい来賓や生徒たちが何人か保健室のソファーに座って待っている。
中には擦り傷の手当ての仕方が分からないのかそのままにして待っている人もいるみたいだし、医務室の医師をあまり酷使しても可哀そうな気がした。


「マルタンくんもありがとう。ランブルリングの後始末もあるでしょ?後は大丈夫」
「ほ、本当に大丈夫?」
「はい。ほら、エラン様も居ますから」
「って言うことだから、君はもう地球寮の生徒の所行った方がいいよ」
「…分かったよ」


心配そうに眉を下げているマルタンくんを見送ると、保健室内で話している人たちの声がざわざわとした喧騒となって、少し騒がしい。
水道で左手の血を洗い流そうとして立つも、「手伝うよ」とサラリと言ったエラン様が肩を貸してくれた上に、壁際の処置ベッドに座らせてくれて傷口を消毒してくれた。



「…どういう風の吹き回しですか…?マルタンくんが居なくなったら、『じゃ、僕も失礼するよ』ってなるかと…」
「君の中の僕って、ちょっと酷くない?さすがに怪我人は放り出せないよ。
手は……縫った方が良さそうかな。僕もある程度なら傷縫えるから、やってあげるよ。
他に怪我したところは?」
「他は古傷みたいなものなので、放っておいて多分大丈夫です。痛み止めも部屋にありますから」
「古傷ぅ?…ま、とりあえず先に縫うよ。医者に局所麻酔薬とか使っていいか訊いてくる」
「この程度なら麻酔は要りません」
「肝が据わってるね」


エラン様は棚から縫合セットを見つけ出し、処置ベッドの端に傷が開いてる私の手を置くと、手袋を素早く装着して慣れた手付きでサッと縫い合わせていく。



「……上手ですね」
「パイロット科だと戦闘後に回収されるまでのサバイバル術とか、簡単な傷を処置する演習もあるからねー。まあ、演習は人形で、だけど」
「成る程」


(…それにしては、ずいぶんと手慣れてるような…)

そもそも学内演習でやる時は、片手でも簡単に処置が出来るように医療用ホチキスとか傷を保護するテープを使っているような気がする。


学内演習だって、そんなに同じことを何回もやらない。


演習を一回やっただけの普通の学生ならば、少しくらい準備段階でモタついていい筈。
まるで、この程度の傷ならやり慣れている。と言わんばかりに落ち着き払って処置をしているのはかなり異質だ。



理由を訊いてみたいけど……でも、こんな事で人の過去をほじくり返すのは、良くない。



ペイルの人体実験で集められた人材のデータは故意に消去されていてカケラも残っていないものの、まともな手段で集められたのではない事は明らか。

しかも全身フル整形や他人に成りすますことを承知しなければいけない事情なんて話しては貰えないだろうし、私も抱え込むことは出来ない。



そう思うと、私は”彼”のことを、本当に何も知らないんだ……。




「………」


そんな事を考えながら包帯を巻いてもらった手をじっと見つめていると、処置セットをコンテナに片づけて手を洗ったエラン様が戻ってくる。


「手当て、ありがとうございました。助かります」
「抗生剤とかは医者が戻って来てからでいいでしょ。じゃあ……それまでに他の傷も確認しとこうか」
「はい?」


処置ベッドをぐるりと隠すように天井にレールが敷かれているカーテンを掴むと、シャーっと音を立てて医務室の空間と簡単に分断されてしまい、喧騒がやや遠退いた。



「見せて」
「いえいえ、それはちょっと」
「もし重症なら、君も移送しないといけないだろ。それに……それに学園内で君が怪我してたら、僕にも責任がかかるじゃないか」
「?そんなことないと思いますが…」


『コッチは君以外にも本物様からの監視がいるんだよ』なんてエランは口に出せない為、「良いから」と言って押しきった。


「君が五体満足で任務を全うしてくれないと、僕も困るんだよ。
寮の仕事とかも滞るからね」
「じゃあ、見せれば納得して貰えますか?」
「うん」


制服のハーフパンツに仕舞っていたインナーを引っ張り出し、少し引き上げるとすぐに脇腹があらわになる。

胴を横に斬り付けられた傷の縫い痕に、パチパチとエラン様は目を瞬かせて唖然とする。


少し深くまで斬り込まれたけど、内臓は傷付いていないらしいし、もう抜糸も済ませてる。
ただまだ治りかけの為、ほんのり赤みを帯びながら肉が盛り上がっている傷痕を、指でなぞられた。


「……これ、まだ治りかけの傷じゃないか。受傷してから3ヶ月も経ってない。いったい、いつ」
「もう良いですか?」


傷に触れていた手が反射的に引かれた瞬間、インナーを直して身なりをきっちりと整えた。


「貴方が学園に来る数日前に、ちょっと色々ありまして」
「色々って?君はまだ学生だし、ペイルで大事にされてる、御曹司の婚約者筈だろ!?」
「御三家と言えど、エラン様を目の敵にする人間は結構居ます。私は確かに婚約者として役立たないといけませんが、同時にあの方の盾になることも仕事です。
エラン様に見出だされた時、私も納得の上で承諾しています。
公的には婚約者ですが、実質的にエラン様は、私の雇用主でもあります」
「…………」



私にとって、エラン様の命令は絶対。

それに、結局あの人の判断が間違っていたことは無いから、従っておけば良い。
だから特に何も考えず、与えられた範囲の仕事だけを業務時間内にこなしていた。

言われた通り、命令の通りにこなしていれば、それで充分だと思っていたし、何とも思っていなかった。

今までの強化人士に対してだって、面倒を見るのも仕事だから。と割り切っていた。


だけど、



「でも、『命令だから』と、私はそうやって考えを放棄して、向き合ってこなかった。強化人士も、私たちと同じ人間なのに。
………何もしないで居たせいで、”彼”はいなくなってしまいました」
「………」
「だから、今度こそ私は償わないといけません。
貴方に対しても、精一杯のことはして差し上げたいと思っています」


ベッドに腰掛ける私に、向き合うように立っているエラン様。
冷めた顔で私を見下ろしていたエラン様は、顎に指を添えては小首を傾げ、ポツリと呟いた。




「…………この前から、何と無く感じてたんだけどさ。
君、前任者の僕の事、好きだったよね?」
「……」
「はーー。やっぱ、そっちかぁ……不毛な恋だったからこそ、お互いに燃え上がっちゃった感じ?
だから、婚約者のフリもノリノリで」
「私たちは、そういう関係ではありませんッ!」


叫ぶように言ったせいで声が裏返ってしまい、私の声のせいでカーテンの外の喧騒さえも一瞬でシンッと静かになった。

ハッとして口元を覆うと、しばらくはヒソヒソと人の微かな囁き声がし、しばらくするとだんだん元の喧騒に戻っていった。


「とにかく、彼とは何もありませんし、どうなることも有り得ません。それに、彼に惹かれていたと自覚したのも、亡くなった後からでした」
「さすがに、不謹慎だったよ。不快な事を言ってすまなかった」
「いえ……私も煩くしてすみません」
「大丈夫。ただね、同じ立場としてはこれだけは覚えていて欲しい。
そもそも、強化人士は使い捨てされる運命なんだ。それこそ、死ぬことは承知の上だったろう。
君が、ソイツの死に罪悪感を抱く必要は無いんだ」



ゆっくりと目の前に居るエラン様を見上げると、その表情は、いつか見た彼の怒っている表情に驚くほど似ていた。



そして、ハッとして息を飲んだ。



私はまた、同じ顔をした”別人”を、目の前の〈人〉に重ねて見ているんだ、と。


自分の浅はかさと、愚かさに気づいてしまい、じわりと視界が少し潤んだ。



「誰も正解が解らないことを永遠と懺悔しててもしょうがないよ。赦されるように、前を向いて誠実に生きればいい」
「…………はい」
「そもそも一度きりしかない人生なんだ、折角ならもう少し気楽に生きた方が楽しいじゃない?」
「ふふ…っ、〈貴方〉はそればかりですね」
「君が堅苦し過ぎるんだ。生きるの下手そうで、とても見てられないよ」
「はぁ??それは言い過ぎでは?」
「客観的な意見は大事にしなよ〜。
少なくとも、僕は君を恨んではいないからね?
これ以上亡霊に付き纏われるなんて、御免だよ」



フンッと顔を背けながら、拗ねるように息を吐いたエラン様。

何だかその仕草が少し子供っぽく見えてしまい、可笑しくてクスクスと口がほどけて笑みが漏れた。



「ご意見、参考にさせて頂きますね」
「そもそも、君はもっと怒って良いと思う」
「誰にでしょうか?」
「〈本物様〉に決まってるだろ。
影で色んなことを努力して、我慢して、怪我も負って怖い思いもしてるのに。
都合が良い時は婚約者ヅラして来て、かと思えば予防線張って、捨て駒扱いして相手が傷付くのもお構い無し。
私の事をもっと大事にしろ。って怒っても良いと思う」
「………あー…」


あの方の言動を思い返しつつ、つい生返事が漏れた。

正直、昔からわりとそうだったから、変に慣れてしまっている……のだけど、最近は少しだけ変わってきているような気も、少し……ほんの少し、ある気がする。



「今のところ、君も彼も二人ともただのペイルの社員。なら、対外的に二人の格差は無いでしょ」
「まあ、頂いている権利的には、そう、ですね?」
「『雇われ者として、お前の護衛はしたとしても、横暴な態度をとられる謂れは無い!』って、ビンタくらいお見舞いしても良いんじゃないかなぁ?
……つーか、それくらいしろよ。なんか、僕まで腹が立ってきたんだけど」


頬を少し膨らませてムッとしたその顔が、今までの〈エラン・ケレス〉では考えられないくらい可愛らしく感じ、堪えきれない笑いを手で覆う。



「じゃあ今度、イラッとしたらスレッタ・マーキュリー様がグエル・ジェターク様にしたみたいに、思いっきりお尻に平手打ちでもしてやります」
「ははっ、良いんじゃない?」
「どんな顔をするか楽しみです」


笑いすぎて、ホロリと涙まで落ちてきた。



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